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顧問拒否について(長文です)

中学校・高校(一部小学校も)の先生方にとって、「部活動」というのが業務の負担になっている方も多いのではないでしょうか。
経験があったり指導可能な部の顧問に必ずなるとは限らず(そうではない可能性の方が高い)、土日も活動がある部の場合1週間休み無しすら当たり前…。
今でこそ「働き方改革」「部活動外部化」の声も声高に聞こえてきますが、昭和時代から脈々と受け継がれたこの部活文化、そう簡単には無くならないと個人的には思っています。
それなら、私にできることは顧問拒否しかない。そんな私が顧問拒否するに至った経緯を私の中学時代から振り返ってみたいと思います。

中学校時代

私も中学時代、とある運動部に所属していました。
実はそのスポーツに全く興味はなく、やりたかった文化部の部活が無かったのでとりあえず入ってみたのですが、教え方の上手な顧問の先生で、過度な練習は無く、今でも時々やりたいと思うくらいそのスポーツが好きになりました。今から思えば、先生には感謝しかありません。

その先生は、定年退職後に非常勤講師として来られていた先生だったので、おそらく講師としての給料と顧問としての給料をもらっていたのではないかと思います。(今のような再任用の制度など無かったので。)
詳しい雇用形態は分かりませんが、薄給で顧問を引き受けていたであろうことは間違いないです。

高校時代

高校では、ようやく希望の文化部に巡り合うことができ、平日に週数回17時までという活動をしていました。
前にTwitterに書いたのですが、私の母校は実に尖った学校で、全部活、活動時間が17時まででした。

今の私ですら、あのくらいの負担で済むなら顧問やってもいいかな、と思うほどの学校でした。
そのため、今Twitterで問題視されているような休みなしが当たり前のバリバリ部活をするような公立高校がこの世に存在することは全く知りませんでした。
まして、顧問は希望しない(納得しない)先生にまで強制されているなんて、想像すらしない学生時代を過ごしてしまいました。

大学~初任校

昔から「学校の先生」には憧れていたので、大学進学後は疑うこともなく教職課程を取りましたが、当時採用試験の倍率は高く、教職を取っていても採用試験を受けず、民間へ就職する友人も沢山いました。
ネットの情報なんて全然発達していない当時、月刊誌のみが頼みの綱。少しでも倍率の低いところ(でも縁もゆかりもないところだとな…)などと考えながら受験した、地元ではない他県に無事合格。

配属前面談で「県内どこでもいいです」と答えたところ、辺境の地にある県下名だたる底辺校に配属となりました。
その学校にも20種類くらいの部活動は存在し、顧問も割り当てられていましたが、実質活動しているのは3~4部活だけ(それも顧問が進んで指導をしている部のみ)。
今とは業務量が違うことを差し引いても、定時帰りの同僚も多く、18時過ぎると数少ない部活の指導者と、教材研究が間に合わない私と、管理職くらいしか残ってない毎日。
(生徒指導で問題が起きたときはその限りではありませんでしたが。)
学校全体の業務量に占める部活動の割合はごくごくわずか。

そんな学校で教員としてのスタートを切った私は、教員の業務に「部活動」が存在していることが全く気にならないまま、初めての異動までの期間を過ごしました。

顧問に対する考え方の変化

その後、現任校まで数校渡り歩いてきましたが、初任校以外は普通に「部活動」が存在する学校でした。
特に指導できる部もない私は、たいてい数人の先生で「当番制」で見るような部の顧問をやってきました。
平日は週1回、土日は月に1回程度の負担でしたし、生徒はとてもかわいかったですが、それでもなんとなく釈然としないまま顧問業をしていました。

部活終わりに生徒が呼びに来て、挨拶をして解散、というような部が多かったのですが、私が当番の時に挨拶後すぐに帰宅していたら、その後に残っていた生徒がトラブルを起こしたことがあり、他の顧問から若干非難めいたことを言われたりして、やってられないなという思いを抱いたこともありました。

私の部活顧問に対する考え方が変わった最初の転機は、妊娠~出産~復帰を経たこと。
育児短時間勤務制度を利用したことで、勤務時間を嫌でも意識するようになりました。給料は大幅削減され、子供の送り迎えもあるので、時間外に働いてなんていられませんでした。
それでも、何らかの部活の「名前だけ顧問」には配置され、実質何もしないけど、HSP気質の私は主顧問に対してなんとなく気を遣う…。
"副顧問だから知らね~"と割り切れる人なら良いのでしょうが、私はそうではないのでストレスばかりたまり、いっそ名前を外してほしいと強く思いながらも声を上げられませんでした。

次の転機は色々な絡みから、専門的な指導もできないのにとある運動部の主顧問になったこと。
それも県大会常連校の、そこそこ強い部です。
その時は、今から思えば「洗脳されていた」私は、何もわからないながらも生徒のために一生懸命やらなければならないと思ってしまいました。

そのときの苦い経験については、上記のようにツイートもしていますが、苦しい思いと、時間的拘束と、金銭的負担と、前顧問の介入と…ここには書けないことも沢山ありました。

その後、その部の主顧問を引き受けられる先生が異動してきて、私は副顧問の立場になれたのですが、それで楽になったわけではなく、新たな地獄の日々となりました。

これまでの経験で一番つらかったのは、この「バリバリやりたい主顧問がいる部の副顧問」の立場でした。
主顧問だった時より、確かに時間的拘束という意味では楽になりましたが、ストレスという意味では爆増しました。
責任感が強すぎる私は、顧問である以上何かしないといけないと考えてしまい、手伝えることを探していたりしていました。
しかし主顧問がどこ吹く風タイプだと、今日はどこで何の活動をしているのかも分からないのが副顧問。下手に事務仕事を手伝うと、主顧問や生徒の意見を聞かないといけないことが必ず生じるのですが、BDKが職員室にいるはずもなく、生徒がどこで活動してるのか(そもそも分かってても話しかけて良いものかどうか)も分からず、常にやりにくさを感じていました。

#教師のバトン #教師からのバトン

そんなストレスを抱えていた真っ最中、文科省が「#教師のバトン」を始めました。そこには出るわ出るわ、同じようにこの仕事が好きだけど、あまりにもな労働環境を嘆く教員仲間の皆様の実態が…。
私もここで思いっきりつぶやくために、このアカウントを新たに作成しました。

当時はちょうどコロナ明け。幸いコロナで部活の負担は減ってはいましたが、逆に保護者が試合を見に来れなくなり、試合の様子を連絡するという新たな仕事も増えていました。
(それも最初は、試合後に結果教えてください、だけだったのが、点数速報送ってください、試合後の子供たちの写真送ってください、のようにエスカレートして行くのです…。)

そのうちTwitterには「言ってるだけでは何も変わらないよ」という意見も散見されるようになり始めました。確かにその通りで、愚痴を言って少しすっきりはするけど、また出勤すれば同じ日々の始まり。

そんな中飛び込んできた「#教師からのバトン」のニュース。世の中には勇気のある先生方もいるんだな、と尊敬しました。私もささやかながら、クラウドファンディングに募金させていただきました。
その後も「#教師のバトン」「#教師からのバトン」を注視していたのですが、「#教師からのバトン」第2弾では、なんと同行者を募集すると…。

これは・・・行くしかない? でも顔出して参加していいのか・・・?

かなりかなり逡巡しました。

でも「言ってるだけでは何も変わらない」というのが確かにその通りだと感じていた私。何かできないかとは思うけど、何をしていいのか分からない。だったら目の前にある「これをやってみたら?」という提案に乗らない手はない。参加申し込みフォームをポチっと…。

集合場所の会議室に入るまでは、すごく緊張しました。心臓バクバクでした。
でも、主催者の皆様、参加者の皆様となごやかにお話して、そんな緊張はあっという間に吹っ飛びました。

それよりも何よりも、この仕事に対して同じような気持ちを抱いている人が他にも沢山いることが分かったこと。もやもやとしていたことを、明確に「違法だ」と断言してもらえたこと。本当に参加して良かったと心から思っています。
その時、参加者の一人のある先生が「私は顧問拒否しています」とおっしゃっていました。え?顧問って拒否できるの?それが私が初めて聞いた「顧問拒否」でした。

顧問拒否へ動いた

「#教師からのバトン」参加以来、先駆者の皆様から教員の働き方のあれこれについてご教示いただき、ますますこの働き方が異常だと考えるようになりました。
そして「顧問拒否」というキーワードが脳裏に焼き付き、私もしなくて済むなら副顧問やめたい、と強く思うようになりました。

そんなことを考え始めたある日曜日、行きたくないなーと思いながら、部活の引率(現地集合)のため、高速道路(自腹)を走っていました。
テレビのニュース(音声のみ)を聞きながら運転していたところ、ニュースがたまたまスポーツコーナーに。そして私がこれから向かう先で行われる競技の話になり、どこかのチームが試合をしているらしき会場音が流れてきました。

その音が耳に入った途端、ふいに涙がこぼれてきました。

自分でも驚きました。その競技の音すら、自分にとってはストレスになっていると、ようやく気付けました。

このまま自分をごまかしながら顧問を続けていては、精神に異常をきたしてしまう…、そんな危機感を抱き、自分も顧問拒否することを決めました。

私がこれまでいた学校はどこも、2~3月ごろに顧問希望票が配布され、どこの顧問をしたいかの希望を出します。だいたい運動部1つ、文化部1つの顧問にあてがわれるのが通例です。
そこでいきなり「拒否します」と書くのもいいのですが、忙しい時期に管理職や部活担当を慌てさせるのも大人げないかと、事前に校長先生に相談しました。
幸い校長先生は理解してくれ、何回かの面談の後、私の譲歩(「文化部なら持っても良いです」という)もあってか、翌年度から運動部顧問を外れることができました。

顧問拒否してみて

私の場合、まだ完全拒否ではないのですが、負担は本当に減りました。
土日の予定を好きに立てられる気楽さ。
保護者との余計なやり取りをしなくて済む身軽さ。
当たり前にあるべきものが、これまでどれだけ奪われていたのか、改めて感じています。

また、運動部の顧問をやめたことで、誰かから非難されたり後ろ指さされたりする可能性もあるし、ましてや主顧問にはどう言おうか…とも悩みましたが、私は同僚に恵まれているようで、それらはすべて杞憂でした。
特に何か言われることもなく、抜けた部の主顧問も「これまでありがとうね」とねぎらってくれ、もっと早く拒否すれば良かったと思ったほどです。

しかし、こんな学校ばかりではないことは重々承知しています。
顧問拒否したことを理由にパワハラを受けた先生も複数知っています。
ただ一つ言えるのは、今困っている方がいるなら、助かる方法は必ずあります。
どうか一人で悩まず、Twitter教員にたくさんいる先駆者に助けを求めてください。絶対に皆さん、親身に相談に乗ってくれます。
沢山の情報も提供されているので、自分で調べて実行に移すことも可能です。

そして今は、全国各地に「○○県の部活問題を考える会」というアカウントが発足しています。最寄りの自治体のアカウントがない場合は、「全国部活動問題エンパワメント」があります。
まずはDMで相談するところから、動いてみてはいかがでしょうか。
私と同じように不本意な部活顧問から解放される先生方を増やしたい。そんな思いでいっぱいの今日この頃です。

~追記~

顧問拒否に関する反響や意見交換が、この半年で本当に活発になりました。ツイートでも、以前よりはかなり頻繁に見かけるようになりました。
私もまた、文科省へ伺わせていただく機会を得たり、身近な方と顧問業務について話す機会を持つことができたり、少しずつですが顧問拒否の輪を広げられていると自負しています。

下記ツイートで、顧問業務についての追い詰められた状況がすごく分かりやすく説明されていました。

何度も言いますが、生徒はどんな生徒でも本当にかわいいです。担任として、授業担当として、その他の様々な関わり方をする教師として、生徒と良い人間関係を築く時間というのは、本当に尊い時間です。

そんな生徒が頑張っていることは、勉強に限らず何だって応援したいと思うのが教師です。なのに・・・その生徒が試合に負けることを願わずにはいられない・・・それがやらされ顧問の苦悩なのです。
顧問拒否をすることは、生徒に噓をつかず真正面から向き合いたい、生徒のために教師としての本分を尽くしたい、そう思う「ごくごく普通の良い先生」だからこその行動なのだと、ぜひ知ってください。