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なぜ、あなたの作品は創作大賞2024に選ばれなかったのか?


先日、創作大賞の中間発表があった。

私は「エッセイ部門」に複数エントリーしていたのだが、結果は───

落選。

何がいけなかったのだろう?
何が足りなかったのだろう?

中間発表を知ってからの数日、ずっとそのことを考えていた。

今回の創作大賞は応募総数52750、うちエッセイは26158。そこから最終選考へと経過したのは47作品だった。

極めて「狭き門」である・・・が、私はどこかで「選ばれるかも」と期待していた。

というのも、エントリーした作品の中には「今日の注目記事」に選んでいただいたものもあれば、スカパー!さんに取り上げていただいたもの、そしてnoterさんに紹介していただいたものなどが含まれていたので、その中の一つぐらいは「予選を突破し、決勝に進めるんじゃないか」と思っていた。でも───

全滅だった。

この結果をどう受け止めるべきか。
しばらく書く気力が湧かなかった。

とはいえ、終わってしまったものはしょうがない。

気持ちが落ち着いてから私は「創作大賞に関するnote記事」をいくつか読んだ。ほぼ全員が落選しているため、必然的に「選ばれなかった人の記事」がほとんどである。

自分の作品が選ばれなかったことに対し、素直に気持ちを吐露とろしている記事もあれば、最終候補に残っている作品の傾向について分析している人もいた。

そうした記事の中でたびたび目にしたのが「運」というワードだ。

創作大賞のような大きな規模のコンテストは応募作品も多くなる。今回の創作大賞は応募総数52750、うちエッセイは26158作品。

となると、全ての審査員がすべての作品に目を通しているわけではないだろうから「作品との相性が悪い人に審査されたら落ちる」問題である。

こんな計算をしてみた───

創作大賞が締め切られたのは7月23日。
今回の中間発表が9月19日なので審査期間は約二か月である。

例えば、一人の審査員が一日に100作品を読むとしたら、二か月間の60日間で読めるのはどのくらいになるだろう?

ちなみに一日に100作品を読むには、1作品につき5分として1時間で12作品、休むことなく8時間読んで96作品なので、休憩やゴハンを食べる時間を入れたら10時間を超えるかもしれない。

それを二か月間、一日も休むことなく続けても、読めるのは約6000作品。

「いやいや、エッセイだから1作品に5分もかからないでしょ。3分だよ。それに一日10時間読む人だっているだろうし」

だとすると、一時間に20作品を10時間読むことになるので一日につき200作品。二か月なら1万2000作品。

エッセイの応募総数は26158作品なので、それでも応募総数の半分以下ということになる───

この計算からわかることは、すべての審査員がすべての作品に目を通すことなど現実的にほぼ不可能だということ。

それはつまり、あなたの作品がすべての審査員に読まれたわけではないのはまず間違いないということである。

だとすると、もしかしたら一人の審査員の「好み」によってあなたの作品の命運が決まってしまった可能性があるということになる。が、

「審査員はプロだよ!好き嫌いで判断するわけないじゃん」

そうだろうか?

「ピカソの絵」
「ベートーヴェンの曲」
映画「2001年宇宙の旅」

どれも名作、傑作と言われている。が、

全世界すべての人がこれらの作品を名作、傑作だと思っているだろうか?

違うだろう。

人にはそれぞれ趣味趣向がある。それは作品の優劣とは違った判断基準であり、個性ともいえる。

たとえ審査員がプロフェッショナルだったとしても、審査員は神ではない。そこに審査における「絶対の正解」はないのだ。

念のため断っておくが、私は別に今回の審査員の方々の審査能力を疑っているわけではない。

審査をしてくださったnote編集部の方々も、作品を読んでたくさん悩んだに違いない。

この作品を通過させるか落とすか、もしかしたらそれによって、これを書いた人の人生が決まるかもしれない。

そういう思いでプロフェッショナルとして審査を担当する作品に向かい合ってくれたのだと、私は思うし、そう信じたい。

でもやはり、プロの審査員とて完璧ではない。

仮にもし、あなたの作品が10人中9人が傑作だと思うものだったとしても、そう思わない1人が審査したら、もしかしたら落とされるかもしれない。

最初の段階で落とされてしまえば、あなたの傑作は日の目を見ないまま埋もれてしまうだろう。少なくとも、そのコンテストにおいては。

「運」というのはそういうもの。
「運」のなさ、とはきっとそういうものだ。

ただ、もしそこで諦め、あなたの心が折れてしまえば、あなたはその先にあるもっと大切なものを失うことになる。それは───

えんだ。

もし、あなたの作品が世に出るべき作品だとしたら、それを世に出すべき人との「縁」がどこかにあるはず。

今回、「運はなかった」かもしれない。
今回は「運に見放されてしまった」かもしれない。

けれど、あなたの作品が輝きを放っているのなら、その輝きに気づいてくれる人との「縁」がその先にきっとあるはずだ。

ただし、
その「縁」を手繰り寄せることが出来るのは、最後の最後まで諦めない人だけ。

継続を自分の力とし、努力を努力だと思うことなく続けられるその先にきっと、あなたにとって本物の「縁」がある。そんなあなたを「縁」ある誰かが待っている。

「縁」をどう捉えるかで、あなたの作品、そしてあなたの人生は大きく変わっていく。


今回、創作大賞についての記事を読んでいて「創作大賞を獲るための秘訣」を語っているnoterさんの記事も読ませていただいた。

確かに、と納得することばかりで凄いと思った。けど、私はもう少し、自分なりに頑張ってみようと思った。

いい大学に入るためには良い予備校、良い講師に教えを乞うことが一番の近道であることはわかっているけれど、私は「良い」より、自分に「合う」道を進んでみようと思う。

愚か者かもしれないけれど、もうしばらく雑草だらけの「砂利道じゃりみち」を歩いてみたい。そのほうが、なんだか「面白そう」だから。

それに、創作大賞に選ばれなかったことから派生して、今回改めて「書くこと」についての自分の未熟さや不勉強な部分にも気づかせてもらえたので、そうしたことを自分なりに理解し、自分なりの解釈で今後の創作活動に活かしていきたい。


最後に。
今回、創作大賞の中間発表者に選ばれた皆様、おめでとうございます。

もしかしたら、選ばれた人の中には「勝負は時の運」であって、自分は「運がよかっただけ」と思っている方がおられるかもしれません。でも───

運も実力のうち。

エンディングまで、あと少し。
最後の栄冠をぜひ、その手でつかみ取って下さい。

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