見出し画像

抑制欲

私は絵を描くのが好きだった。
でも、兄を始めとして家族にバカにされるのが嫌で、次第に描かなくなった。
私はひとりでぬいぐるみで遊んだり、抱きしめたりするのが好きだった。
でも、お気に入りとバレたものは兄が踏みつけてくるようになったので、心から気に入っているものは触らないことにした。
私はたぶん、絵本も好きだった。
けれども、何度も読んでいるお気に入りが執拗に酷評されるから、本は読まないことにした。

私は、自分の気持ちを抑えることに、禁欲による自己肯定だけでなく、安心感もおぼえていた。
自分の好きなものが汚されない安心感。
好きなものはできるだけ興味を示さないようにしておいて、機会が来たら味わえばいい。
なににも頓着しないほうが傷つかない。
できるだけ……なにもしないほうがいい。
なにも持たないほうがいい。
小学生の私は、そう直感した。

自分を抑えて我慢すれば、人から褒められた。
小学2年生から始めた剣道では、練習でいつも大人に吹き飛ばされ、声の張り・大きさや礼のしかたなどその他のマナーでもよく叱られた。
でも、いい1本が決まったときには、先生はちゃんと褒めてくれた。
家でも黙って手伝いをしていれば、不愉快なことはあんまりなかった。
畑打ち、水やり、掃除、料理……。
ちゃんとやれば、ちゃんと褒めてくれた。
自分を抑えてまわりに気を利かせていれば上手くやっていけたし、褒められればうれしかった。
反面、なにもすることがないときはぼーっと外を眺めたり、飼いネコと遊んだりしていた。
自分が好きなこと、好きなものをまわりに悟られたくなかったから。
自分の意志は、隠すべきなのだ。
意志を抑えれば傷つかない。
私は、いつしか自分の意志・欲求を抑圧することが好きになっていた。
それで……意志も欲求も好きって感情も、よくわからなくなった。

高2の秋まで、ずっとそんな無気力なかんじで過ごしていた。
目標ややりたいことはみんなと一緒でOK。
でも大学受験は親も薦めることだしやっておこうかな。
地元の国公立なら受かりそう。
学部は……なんでもいいや。
興味ないけど理系だからとりあえず理工系で。
将来の夢ってなんだよ。
医療機関の人と教師と公務員と小売店の店員さんと、警察と消防士と……それぐらいしか思い浮かばんが。
お嫁さんじゃだめか?
医学部以外の人は、大学生になってから考える、じゃだめなんか?
学校の授業でしかインターネットが使えなかった私は、将来への見通しを持たず、課題が現れたときにその都度処理する受動的な姿勢に何の疑いも持っていなかった。
でも、そんななんにもしたいことがない自分に後ろめたさも感じているところもあって、そうはいってもどうやってしょうらいについて考えればいいのかわからなくて、進路学習の時間は、なんにも考えてないんだけれども、言葉に表しがたいつらさがあった。
だれか、私の進路を決めてくれないかな……

高2の晩秋、学校の企画で大学生とお話する機会があった。
どんなことを質問していいかもよくわからず、漫然と時間を過ごしていたのだけれど、大学生ってやたら知的で、やたらよくしゃべるんだなって印象はあった。
私も数年後、あんなふうになれるかな。
あんなふうになりたいな。
ぼんやりとそう思ったけど、カッコイイ人が常にそばにいるような環境じゃないとその憧れは長くは続かないとわかっていたし、どんな生活を送ったら知的な話を流暢にできるのか、皆目見当がつかなかった。
見当のつけ方がわからなかった。

2学期の終わりに、進研模試の結果が返却された。
結果はけっこう良かった。
国語と英語はあいも変わらず偏差値40~50ぐらいだったけれど、数学は9割とれてて、偏差値は80もあった。
私としては見たことないぐらいいい数字だ。
これは……ちょっとは夢を見ていいのでは?
まったく将来を考えることに興味がなかった私は、ちょっと調子に乗って、大学について調べてみようという気になった。
進路指導室の隣の部屋に進学関連の資料があるので、その部屋で大学について調べることにした。
といっても調べ方も知らないから入試科目の配点と選択科目を見るだけ、それも、私立は見ずに国公立だけ。
やりたいことはないけど、理科と数学の授業は好きだから理学部のとこを重点的に見ようかな。
できれば理科と数学の配点比率が高いとこ受けたいな。
進路に関する資料を開いて、試験のとこと大学の研究のとこだけを見て、無気力な将来展望を思い描いた。
華やかなキャンパスライフを思わせる特集記事はあったけど、まったく興味は湧かなかった。
華やかさなんて自分には無縁だと思っていたし、自分の欲望を抑制したい、他者からある種支配されたいという欲求がある私にとっては魅力的ではなかった。
この前話を聞いた大学生に対するあこがれは、いったいなんだったのだろうか。
私は自由を謳歌してキラキラしてる人がまわりにいる環境がほしいだけで、ひょっとすると、自分自身はそこまで自由とかを求めているわけではないのかもしれない。
そんなことを考えていると、模試でいい成績をとった喜びは消え失せ、いつのまにかただただぼーっと文字と数字を眺めているだけになっていた。

それまで無気力な人生を送ってきたわりには、受験勉強はがんばれた。
あこがれた大学があって、そこに入れるならこれ以上ないぐらい努力しようって、目指し始めたときにそう思った。
どうやって勉強面で無気力から脱することができたかというと、担任がもっと上目指せるぜって言ってくれたのがきっかけ。
きっかけというかそれがほぼすべて。
あと、やりたいことは大学で決めればいい、勉強そのものが好きなんだよね?って言ってくれたことかな。
理学部ならそれでいいよって。

家の手伝いとお風呂や食事といった生活に必要なことをする時間以外は、ずっと勉強していた。
それまで勉強において努力したことがまったくなかった私だけれど、自分を抑えるのは得意だったし、がんばって勉強した先にはなにかあるような気がしたから、がんばれた。
でも、1年目はうまくいかなかった。
浪人して、1日中勉強する生活を1年続けて、ようやくゴール。
しんどかったときもあったけど、でも毎日ずっと勉強していたから、そういう自分を肯定するための根拠を積み重ねていけてたから、私は自分に自信を持っていた。
国語を除けばおおよそ右肩上がりの成績だったので、それも自分を認められてた理由かもしれない。
ともあれ、この約2年に及ぶ受験勉強は、小学校時代の剣道を除いて、何事にも無気力だった私が初めてがんばれた経験であって、「これがなかったら受験後の2年ぐらい、私はもっと自分に自信が持てなかっただろうな」と思うぐらいには重要なものだった。

大学生になって、行動の自由度が圧倒的に大きくなった。
いろんな人と関わりたいと思ったし、実際いろんな人と関われる場に出てみた。
けれども、私は人と話せなかった。
それが致命的だった。
入学式では、その高揚感から、「大学時代こそはいろんな人とかかわって楽しむんだ」って決意したから、今までみたいにひとりでいるのは避けたかったのだけれど、あまりに人と話すことがニガテで、友人はできなかった。
これは、自分から遠慮しすぎて遠ざけていたこともかなり大きな要因だ。
人とうまく話せない自分を責めた。
高校時代は高校時代で嫌なことがあったので高校生に戻りたいなんて露ほども考えなかったけれど、授業に出てテストをやれば自分の責務は果たせることができて、自責の念に苦しめられなかった。
そういう意味では高校時代が楽だったな、なんて思った。
私は管理されているほうが好きなのかもな……
結局コミュニケーション上の課題の解決法もわからないまま、私は次第にひとりでいるようになった。
文章なんて書けたもんじゃないから、人文系科目のレポート課題もお情け程度の合格点ぐらいしかもらえなかった。

交友関係を築くのを諦めてひとりの時間を多く持つようにしたとき、私は大学附属の図書館に行って専門の勉強をしたり、まったく専門と関係のない分野の本を読んでみたりした。
最初は高校の時に授業で聞いたことがある思想家の薄っぺらい本を特にテーマも絞らずに読んで雰囲気をあじわって、そこからだんだん厚めの本や自分の興味があるテーマにそった本を読むようにした。

むろん、私はそれまでろくに活字を読んでこなかったから、最初のうちはめちゃくちゃ苦労した。
ぜんぜん読み進められなかった。
ただ、苦労はしても、途中で放り出すことはしなかった。
そうとうな時間をかけて、おそらく同年代の平均の4倍ぐらいの時間はかけて、200ページぐらいの本を読んだ。

しばらくそういう生活を送っていた。
しだいに、読書スピードは速くなっていった。
そればかりか、自分の思考が日に日にクリアになっていっている気がした。
実際、それは勘違いではなかったようだった。
頭の中で、確かに文章が作りやすくなった。
文章は書けるようになったし、周りの人ともそれなりに話せるようになった。
あ、基本は概念集合の包含関係とか、因果関係なんだなって気づけたし、それを支えるのは考えたいこと周辺の語彙力なんだなって、ぼんやりと思った。
日常的なコミュニケーションもそうだし、将来のことなんかも考えられるようになった。
豊富な選択肢について比較検討できるようになった。
そして……
自分の意志を抑えようというクセはすっかりなくなって、大学受験で志望校にこだわったこと以外で初めて、あれがやりたい、これがやりたいって思う自分を認められるようになった。

そうか、私に最も必要なのは、言葉だったんだ。
今と未来をつなぐもの、考える可能性を開くもの、これまでの私にはそれが圧倒的に不足していたんだ。

これまでの、言葉に乏しい人生は、長かったのか、短かったのか。
嫌な思いをしている時間はとってもとっても長かった。
でも、ろくに言葉で考えることができなかったことが関係しているんだろうか、ほとんどのことは鮮明に思い出せないでいる。
これからは、自分で能動的に動いて、勉強して、将来の財産になるような記憶をつくっていきたいな。

これからは、いままでの空白を取り戻すように、自分の人生を言葉で彩っていくんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?