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ミズキングダムのはしっこからのひとりごと-譜久村聖卒業によせて-

11年推したメンバーが今日グループから卒業する。
卒コンを見たらまたいろんな感情が出てくると思うけど、ひとまず今日に至るまでのわたしの想いや彼女との軌跡を振り返って、記しておこうと思う。


黄金期のモー娘。を片田舎からブラウン管を通して見、その後世間の反応とほぼ同じように熱がフェードアウトしていったが、2010年はじめくらいに出戻り。

当時サービス業従事の仙台在住、たまたま休みが合って2010コンサートツアー春「pikaッpikaッ!」に当日券で入って、初めて生のモーニング娘。を浴びた。

それ以降も現場には行けずとも情報はネットでチェックしていたので9期オーデのことも知っていたし、テレビは見れずとも掲示板でオーディションの進行状況やヲタクの反応などは見ていた。

2011年1月2日のこともネットで知ったわけだが、譜久村さんの加入に対しては「革命的なことが起きたんだなー」くらいにしか思っておらず、その後もどちらかというと彗星のごとく現れた期待の次期エース・りほりほが気になる存在で。

長らくそんな状態でゆるーくハロプロもとい娘。を眺めていたのだけど、「ワクテカ Take a chance」のアー写を見て、なぜか譜久村さんに「おっ」と思ったというか「ぐっ」ときて。
まだサービス業従事で思うように休みが取れない中、久々に観に行けたコンサートツアー2012秋「カラフルキャラクター」でセトリに入っていた「リゾナントブルー」での譜久村さんの全力パフォーマンスにわたしの心は完全に奪われた。(※「リゾナント ブルー」は「娘。で一番好きな曲は?」と問われたら食い気味で答えるくらい思い入れのある曲なのである)「推しはこっちが決めるものじゃなく向こうからやってくる」とはこういうことなのだろうと感じた瞬間だった。
この想いを伝えたくて券を1枚だけ握りしめて年末に初めて個別握手に行ったのも懐かしい話。
土日休めるとも限らず、個別系も全然買えないし、コンサートなんて言わずもがな。シフトが出る頃には東京近郊の会場なんて完売していてよくヤフオクのお世話になっていたな…

2013年の秋、譜久村さんのバースデーイベントだけは絶対行きたくて、ここでやっとFC加入。初めて買ったバースデーTシャツに「これでわたしも本当のハロヲタだ…!」と胸躍ったのを覚えている。

「フクムラダッシュ」が話題にされがちなさゆの卒コンだけど、それよりもリーダー就任発表時の、不安を押し殺し、腹を括ったような表情が記憶に残っていたり。

2015年、「リーダーだねおめでとう〜」なんて呑気に楽しく見ていたけれど、今思えば裏側ではとんでもなく怒涛だったと思う。12期加入、年末にはりほりほの卒業と、自身のスキルアップもだけどチームビルディングもしなきゃいけない。ハタチ前の女のコが、歴史あるグループを背負って立ち、歩んでいくのはどれほど大変だったか…

ぐっと時間は飛ぶが2020年。新型コロナウィルスの流行によって奪われた日常。
エンタメ業界の先陣を切るかのように7月に中野サンプラザで行われたThe Ballad。久々に譜久村さんの歌声を聞いて流れた涙。現場があって、そこに行けば推しに会えることが当たり前ではないこと、その尊さを改めて実感するのだった。

なかなか流行病が収束しない間にも後輩がどんどんと卒業していく。
2022年を半分過ぎたあたりからわたしの耳にも譜久村さんに対する心無い声が届くようになった。
わたしは人の発言を「悪意が含まれている!」とか勘ぐったりすることがあまりないので、「ふーん、ふくちゃんはそう思ってるのね」とある意味深く考えず文字の通りに受け取っていたのだれど。
確かに言葉足らずで誤解を招いてしまったりすることはあるかもしれないが、「そこまで突っかかる必要ある?」と思いながら事態を静観することしかできなかった。
その後もどんどんと譜久村さんへの風当たりが強くなっていっている気がして、12/27に卒業発表がされた時には「悲しい」とか「残念」という想いよりも先に「ほっとした」というか「やっと楽になれるね」という感情になってしまったのだった。推してる身でありながらパフォーマンスにおいて正直もう苦しいかもと思う場面やパートもあったりしたし…(例えば今年の春ツアーで「Are you happy?」の間奏明けの「すごい好きだから」はこういう表現にしたのかもだけどマイクに全然声が乗ってなかった、とか)(コロナ感染後に体力や歌の調子がなかなか戻らないという話は耳にしていたけれど)
卒業発表での文面には2020年には卒業しようと思ってたのにコロナが流行してしまって…ということで、より長く「モーニング娘。の譜久村聖」を見ることはできたけど果たしていいのか悪いのか、そして引き止めた事務所の気持ちもわかるけど…と何とも言えない気持ちになった。

2023年。何かと頭に"最後の"が付く1年を過ごしてきた。
「あれができなかった」「これもやりたかった」と思ってしまうものもいつくかあるけれど、かなとも卒業時の二の舞にはならないようにと悔いなくここまで来れた気がする。(※「戻ってきます」の言葉を信じて、卒コンのチケット取れなかったけど必死で探すこともなく、次に着れる日のためにTシャツも買ったけれどそれは訪れなかったという苦い経験)
譜久村さんと同じくらい鈴木愛理さんも推している身だが、℃-uteの解散ともまた違う心持ちでいる。「グループという器が在り続けるか/なくなるか」「表舞台に出続けるか/休むか」ということなのだろう。


卒コンの幕が上がる前の今、頭に浮かぶのはたくさんの「わたしの好きなふくちゃん」で。
しなやかかつ指先まで神経の通った腕と手先の動き、足を肩幅くらいに開いたポーズの時の腰の入り方も含めたそのフォルム、歌割をもらうごとにどんどん成長していった緩急自在の歌声(初期の歌声も今聞くと愛おしいけどね)、マイナスイオンたっぷりで癒される喋り声(「ふくむらの部屋」で飴舐めながら喋って舌足らずになる感じもソーキュート!)、確固たる信念を持っているが故のアツさや負けず嫌いなところ、ハロプロもとい亀井さんとももち先輩の話になるとエキサイトし過ぎてただのヲタクになるところ…
ツアーやZDAで遠くへ飛ぶこともなく、チェキも年に1枚とかしか撮らないし、握手(トーク)券を束にして持っていったこともない。ブログのコメントだって毎日するわけじゃないし、ハロモバラジオの「ふくむらの部屋」は読まれなくなったのが悔しくてメール送るのやめてしまったし(←)、ずーっと同じくらい「好き!推し!」でいたわけでも確かにない。あ、でも毎年ハロショのバースデーカードだけは無駄に頑張ってたな。端から見たらだいぶゆるいヲタクだけれど、それでもやっぱり「わたしなりの好き」はあるのだ。これは誰かにとやかく言われるものでもないし、言われたくもないし、不可侵なものだと信じている。

最近の譜久村さんの発言からするに、1年くらいは休んでその後何らかの形で表に戻ってくるのだろう。
まずは心と体を休めて、今までできなかったこととか目一杯楽しんで、一人の人間、『27歳 女性 譜久村聖』としての日々を謳歌してほしい。

そしてまた会える日が来たらそのときはよろしくね!!!

いただいたサポートでグッズ代、リリイベでの買い増しなどヲタ活が捗ります→推しが潤います(たぶん)ありがとうございますm(__)m