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珈琲好きで思い立ち

「コーヒー!」

無愛想に一言。ICカードケースを突き出して眉根を寄せている。

「こちらにお願いいたします」

電子音がなる。

「ありがとうございます。左手のカウンタ―からお出しします」

朝から不機嫌そうな声色の男はこちらにきて仏頂面を隠さず隣に並ぶ。

「お待たせしました。いつもありがとうございます。行ってらっしゃいませ」

男が隣に並ぶとほぼ同時に私の一杯が出来上がった。

「ありがとう。行ってきますね」

「ふふ、うまく行きますように」

今日はかねてからつめていた大きな商談の日。できたコーヒーを手に出口に足をすすめると背後で大きな声。

「ふざけんな!」

ふりかえると先程の男がわなわなと震えている。

「申し訳ございません!すぐにお作りなおします」

声に驚いて振り返った私に気づいた先程の店員さんは小さく会釈するとパタパタと奥に走っていった。

ああ、作りなおしですか。もしさしつかえなければ私にそちらをお譲りいただいてもよろしいでしょうか。ええ、ちょうどコーヒー好きなスタッフが早出をしているのに私ときたら差し入れる分を忘れていました。もちろんお代はお支払いします。いえいえこちらこそ助かります。

口を出してもよいのならそうしたい。ドラマや映画ならここで爽やかに助け舟を出せるんだろうに、喉から出かかる気持ちをぐっと押さえて店を後にした。

先程の店員さんをよく働くなぁと常々感心してみていた。

名札にはコーヒーシュガーの絵が描いてある。なので私は「さとうさん」とひそかに呼んでいた。

名札に実名記載しなくなってどのくらいたつだろう。

感じがよくてさとうさんがカウンターにいるとコーヒーがいつもより美味しいように思える。決して派手ではないのに不思議な存在感のある店員さん。

コーヒーをいれるのも好きなのだとわかるような見ていると楽しくなる働きぶり。カウンターに姿をみつけ時間があるときはテイクアウトせずに店内ですごすこともしばしば。

はじめは一言、二言。産地だとか香りだとかコーヒーの好みの話。なんとなくお互いを認識して挨拶するうちに話すようになり、気があうような感じがしていた。

もっともこちらは「客」

あちらがあわせてくれているだけの可能性も否定できないし、ストーカーと間違えられても困るのでそこらへんは十分に配慮した。

久しぶりに訪れるとコーヒーの味が違っていた。自分の体調のせいかと思うもそうではなく店内の案内によると高騰に伴って豆の質が変わったのだそう。

それより顕著なのはカウンターの、ひいては店の雰囲気だ。飲み終えて店を出て、味の違いは豆の質だけかといぶかしんでいたところ、さとうさんに偶然あった。色々あってやめたのだという。

「コーヒーが美味しいと思えなくなっちゃって」

寂しそうに笑う。

「よかったらためしにうちで働いてみませんか?」

自分でもとっさに自分の口から出てきた言葉に驚いた。

けれどコーヒーの好みを話せて、どうやらコーヒー好きらしい、働きぶりも好みである。単純な勘のようなもの。

そしてふと、さとうさんがカウンターにいるときに飲んだ後の商談が不思議にまとまっていたのを思い出した。そうだ、先の大きな商談もまとまってこれからさらに忙しくなるんだ。

思い立ったが吉日。「もしよかったら・・・」といいながら半ば強引に事務所へ案内しそのまま働いてもらうことに相成った。

はたしてその勘はあたったらしい。

さとうさんは佐藤さん。

雑務や煩雑な仕事を嬉々として働き、自分でも丁寧にコーヒーを淹れ、私やほかのスタッフが淹れたものでも嬉しそうにしている。そして「コーヒーが美味しく飲める職場ってしあわせですね」と毎日楽しそうだ。

私はといえば約束した通り、質のいい豆を焙煎する店を見つけて切らさないようにかつ、美味しい期間に飲めるようにと気に掛けている。

今年になってコーヒー豆は高騰し、一杯のコストはあがったもののその後の仕事の効率を考えても十分元がとれる。

たとえばこんな風に。

ある朝のこと・・・

カタンとペンが床で音を鳴らした。ペンをひろう佐藤さんのしっぽは谷中を指(?)さしている。

みるとポーカーフェイスの谷中のしっぽがだらんと垂れ下がったりゆっくり左右にふれたりとなにやら険しい雰囲気。

今朝の申し送りに理不尽なクレームが入っていたのを思い出した。これは一息いれたが良さそうだ。佐藤さんは谷中の雰囲気にコーヒーをいれたいらしい。うずうずしているのが手に取るようだ。優しいなぁ。と思い、そんな姿を見るだけで私のふわふわのしっぽはぶんぶんぶぶん。

息を吸ってひとこと。

「コーヒー!」

コーヒーは合図のようなものだと思う。コーヒーそのものが飲みたい時もあるし、一息入れようという意味もある。気持ちを切り替えたり、ねぎらったり。

気になる人に声をかけるきっかけになったり。

まぁ何にしてもコーヒー好きな皆のしっぽは嬉しそうにふれている。

流行のウイルスから人類が得た進化。

感情があらわになるしっぽのおはなし。

みなさまのしっぽ、見える人も見えない人もどうぞごきげんよう。
今日も明日も明後日もあなたのコーヒーのひとときが美味しいものでありますように。


先の投稿でしっぽの様子にコメントをいただきちょっといれてみました。いつもありがとうございます。








読んでいただきありがとうございます。 暮らしの中の一杯のお茶の時間のようになれたら…そんな気持ちで書いています。よろしくお願いいたします。