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法の事

今日は法事。

初めてのお寺さん。

仏様という現世にいない人を祀る舞台と、現世の生(なま)ものの私達、そしてそれを繋ぐ僧侶という人達が集い、一時ほど、祀り、祈り、想う。

参列すべきひとりが、門を前に、中に複雑な気持ちが起きて入れなくなった。

人によっては、何を甘やかしているんだ、ワガママさせるんじゃねえ、と心の中では思う瞬間かも知れない。

そういう言葉はなく、それ以外の人で法事の読経は始まった。

親鸞の「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」を思い出しながら、読経を聴く。

本堂でお経を聞きなから、本堂にいられる人は私を含めて善人なんだ、本堂に来ることすら苦しみを感じている人は、悪人であると思った。

仏様は、そんな、ルールをわきまえることすらしんどい悪人をこそ救うために存在しているんだ、と思いながら聴くと、何とも感慨深いお経だった。

いつか、お坊さんがそう語る日が来るだろうか。

人間とは芥

いわんや天ふじをや