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DAY1 at 東京芸術劇場

西尾久にアトリエを持つ「円盤に乗る派」さんの演劇を観に、東京芸術劇場に行ってきた。

 ◇ ◇ ◇

「これは凄い、今までで一番…!」

そう叫びたくなる程に、

難しかった。

言葉の流れも、自分の中に入ってくれない。

(うーん、これはぬり絵だなぁ)と頭を切り替える。

演劇だけでなく、映画でも難しいもの、逆に淡々としているものは、どう受け取っていいか分からない時がある。

そんな時は「ぬり絵」だと思うようにしている。

目の前に広がる舞台は、あらかじめ黒い線で描かれたイラストだけのぬり絵だ。

自分の心に浮かんだ色を勝手に、好きなように塗っていけば良いんだ。

そう割り切って、観ることにした。

これから書くあらすじは、自分の心の中に浮かんだストーリーであり、本来のストーリーとは全く違うと思うので、適当に読み飛ばしを推奨。

 ◇ ◇ ◇

時代は未来。

インターネットの時代が終わった頃だ。

主人公は、ほとんどすべてを忘却したかの様な青年。

青年でありながら、余りに忘却しているので、まるで小学校に入学する前の男の子のようにも見える。挙動が少し不自然で、オドオドしているようにも見える。

あるコンビニに入り、店員と会話を始めるが噛み合わない。

噛み合わないと思っていた二人は知り合いだったことが分かる。

話の内容から、主人公にはお兄さんがいて、お兄さんは、インターネット時代に炎上したりして、大変だったようだ。

そこに幽霊がやってくる。幽霊が主人公に様々なことを語る。

暗示的なことも語るし、どことなく身内のような言葉もかける。

 ◇ ◇ ◇

思っていた以上に若い観客で満席の劇場。

彼ら彼女らは、この演劇のストーリーを理解して楽しめているんだろうか?

何故、自分には言葉が頭の中に入ってこないのか考えていると、幽霊役で、私の町でのイベント中などは私の店によく買いに来てくださる俳優さんの語り言葉にふと、気づくことがあった。

「いつもと違う、この抑揚を抑えたフラットな発音は、うちの子供達がよく見ていたユーチューブのゲーム実況のコンピューターの声の抑揚のない音声に似ている。」

「この演劇で使われている一つひとつの言葉(例えば(炎上)等は、50代の私の年代よりも、20〜30代の人達にとっては、とても意味の重い、一人ひとりの生活の身近にあるようなものなんじゃないか」

「そもそも、この年代の人は、物心ついた時からネットやデバイスがある世代で、それがリアルの世界よりもリアルな世界であり、実際の世界こそがバーチャルなんじゃないか」

「いま目の前で展開されている、私からみたら全くのフィクションの世界であっても、多かれ少なかれ、若い人にはどこか見覚え、体験感のある今の世界なんじゃないか」

そんなことを考えたら、あることに気づき、びっくりした。

ふだん、同じ町で過ごしている人達でも、年齢によって見えている世界が全然違うんじゃないか、と。

 ◇ ◇ ◇

話は進んでいく。

ネット時代すら過ぎた未来の、稀薄な人間関係、孤独、危険、不安定などが見えてくるが、その世界にまでなっても、やはり人間として必要な物が見え隠れしてくる。

ずっと一緒にいた犬との別れ。

別れを意識するからこそ、今までで一緒にいた、
その命の温もりが立ち上ってくる。

仲間との質素な食べ物とビール小瓶一本のパーティー。

精神的に幼い主人公に、語りかける幽霊はまるで若くして亡くなってしまった母親が息子に語りかけてくるような、励ましているような、見守られているようなシーン。

母性。

 ◇ ◇ ◇

ストーリーは続き、セットを変えるための休憩時間がある。

2部。

精神的に幼い主人公は、ある事情で一人で列車に乗ることになる。

相当に不安で孤独なシーンだ。

ひと気のない夜汽車に一人乗って、どう時間を少していいか分からず、車窓を眺めているようなこわばった表情。

そこで、彼はポケットからグミを取り出してぽつり、ぽつり、と食べる。

いま、孤独や不安を支えてくれるのは、このグミだけだ。

幼い彼は、このグミに頼りながらも、その孤独を乗り越えようとしている。

「ああ、まさにこれは最初の一人旅で誰もが経験することだ、どんなに時代が変わっても、旅は生き残るのだろうか、人を成長させてくれる旅。」

私にとっては、このシーンがクライマックスだった。

最初は、世代間の違いを感じたが、少しずつ時代は変わっても必要とされるものが見え隠れして、最後には主人公の旅立ちの物語に見えてきた。

 ◇ ◇ ◇

その後、話に急展開があり、終わる。

会場を出る。

「うーん、まるで手作りの滅茶苦茶硬いスルメみたいだ。咀嚼は大変だ。感想を言葉にするのは今日は無理そうだなあ」

そう考えながら、この日の夕飯係の私は、芸術劇場横の駐輪場に自転車を取りに行き、家路へと向かったのである。