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絵馬に書いた願い事

名古屋を旅行している時に、名古屋旅行に行く人の多くが立ち寄るであろう熱田神宮に行った。

これまで多くの神社に行ったが、ここもやはり何かパワースポット的な特別な感じがした。

神社にお参りしながらも、私は前日に見た映画『37セカンズ』を見て意識させられた、身体の性と性自認が不一致の状態で自分が生まれてきた意味について考えてた。

私にとって納得のゆく人生とはどのような人生なのだろうか。最近、以前より笑顔で過ごせるようにはなっているが、私の中で何が納得いったからそのように変わることができたのだろうか。

そういったことを考えていて、やはり自分の人生は色んな意味で人とのご縁に恵まれてきたのだということを意識させられた。

今の職場に移るきっかけになった人たちとの出会い、東京の池袋でのある人との出会い、今の職場で仲良くしてくれている人たちとの出会い、私のゼミを選んでくれた学生たちとの出会い、行きつけにしている三宮のKitchen Witchというお店の店主さんや常連さんたちとの出会い...

様々な人々と何らかのご縁があって出会い、そうした人たちに何らかの形で私みたいなふつうではない人間が受け入れてもらい、今の自分があるということに気づいた。

そういったことに思いを巡らせているうちに、ふと絵馬を書こうという気になった。

以前色んな神社に行ったとき、人が書いたたくさんの絵馬を見ながら、色んな人生模様があるんだなーと感心していたのだが、自分の人生なんてつまらないもので、絵馬に願い事を書くようなものではないと思い込んでいた。なので、これまで私は絵馬を書いたことがなかったのだ。

でもよくよく考えてみると、私自身の人生も人との様々なご縁によって成り立っており、これも一つの人生模様であることを意識し、急にそれらの振り返りと今後の希望を込めて絵馬を書こうという気になった。

私にしてみれば、自分でも不思議なことだった。ずっと自分に自信がなかった。自分の人生なんてつまらないものだと自分に暗示(あるいは呪いと言った方がいいのか)をかけ続けて生きてきた。何か絵馬に願い事を書くなんて自分にはふさわしくないと思い込んでいた。

ほんとに、なぜか居ても立ってもいられない気持ちで、絵馬を書いたのだった。人生、確かに何が起こるかわからないし、以前の私なら絵馬を書くなんてことしなかったと思う。

これも私が自分の人生を変えられた一面なのだろうか、そんなことを考えながら熱田神宮を後にした。



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