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蝋燭が増えた三月


秋山黄色の『エニーワン・ノスタルジー」という曲が大好きです。
子供のままでいる自分の気持ちと、
世間的には大人として見られているであろう年齢。
その狭間で揺らぐ葛藤や、不安、を歌っている。
と個人的には解釈してる一曲です。
あとね、ワードは出ていなくともバースデーソングなのでは…?とも思います。

3年前かな、ひたすらこの曲をリピートして聞いてました。何で好きなのかと言われると言葉が出てこない。理由は言えないけど、なんか…なんか…好きなんだよね!直感的に好きなんです。という感じでした。

でも、一定期間を聞いてからこの曲を聞くなりました。
単純にこの曲よりも違う曲に目がいったり、
新曲に心躍らせてそちらをリピートしていたから。

空気を読んだかのようにiPhoneも、全然この曲が流れる事がなかったです。
大切なものだけど時々開ける“宝物箱“にしまっておいた。みたいな感覚でした。

確実に聴く機会が少なくなった時に、この曲をライブで聴いたんです。

誰なんだいったい俺って、どうするべきだろう?

感傷的で、微かなに掠れた声で歌われたこの歌詞が自分の心の中にある何かに触れたんです。

話は少し逸れますが、
社会人になってからよく、『大人』って言葉がよく自分の頭の中で旋回するようになりました。

年齢的にどこかの施設に入場するときは大人料金、
学生の友達もいるけど社会人になったから、これからは社会という大人の世界で生きる。
選挙権が与えられて、煙草やお酒が合法になる。

………それで…?

大人の仲間入りのような見える権利が与えられたり、
学生料金から大人料金に変わった。

でも、別に心は大人になれている?
って思ってしまった時があったのです。

大人かどうか正解も不正解もない、
考えても時間が無駄なのでは?って思ってしまう様な気持ちが悶々としてる日々で。

そんなことを考えてた数年間、
この曲をライブで聴いた時に、私って何者なのだろう。となったのです。

ダサい大人になりたくない 子供な自分が嫌なのだ

何者であるかわからないけど、確かにダサい人間ではいたくない。

手に取れるものも 物取るこの手も
こんなん嫌だと思う心も 大きくなったね

………こんな自分が嫌であるということ

自分が握っていく物たちを、選ぶということをしてる・できてるこの今も大人になれているの?

他の誰かになってしまいたいのに
どんな人にもなりたくない
こんな自分が嫌なのだ
迷う事が正しい順路と
信じるくらいはいいのかねえ
いつまでも いつまでも…

自分でいる事に嫌気がさして代わりに誰かがこの人生を生きてくれる訳でもないのに、なぜか逃げ出したくなる瞬間が訪れて、どうにか乗り越えて、また逃げ出したくな心も、間違ってはいないのかな…。

いつまでも君は君でいい
子供は子供が仕事さ
大人は仕事が仕事さ

大人になって得られた権利を全うして、他人と比べる事もなく自分が自分らしく自分を好きになれる瞬間を大事に生きる。そんなままの自分でいいんだ。

あれ…この曲こんなに私が悩み続けていた答えを持っていた曲だったんだ。ってライブ終わりの帰りの新幹線で、ふと思い出して。

3年前、直感的に好きだと思って聞いていた曲そして久しぶりに再会したような曲に長年悩まされた悩みの種に救われるだなんて。



この曲が収録されたアルバムツアーはコロナで中止なっていたのですが、きっとそのアルバムツアーで聴いてもこんなに響かなかったかな…と。

悩んで悩んで、悩みが熟成し切ったからこそ、沁みて、そして、初めて生で聴くことができて、ずっと不在だった荷物が自分の手元に届いたような感覚で。
このタイミングで聴くのが、人生の中でもベストなタイミングだったんだな〜と感じます。

あと純粋に黄色さんも大人になる事への悩みを抱えていたのかなと思うと、その親近感に安心が沸いてきたのも救われたひとつなのかもしれない。

悩まなくなったからといって、
大人について、半分くらいしか分かっていないのかもしれない。
ただこうやって、曲を作って届けてくれて救ってくれた、本人は作っているだけなのかもしれないけれど、その貰った優しさを返せる大人でありたい。
貰った人に返すだけでなく、自分が感じた優しさを、知り合いでも全く知らない人にでも誰かに渡せるような人間でありたいな。と思います。
そう思わせてくれて黄色さん

そう思わせるほど、黄色さんって自分の中でかけがえのない存在であるし、お守りみたいに見えない力でそっと力を添えてくれるそんな存在なのです。

見つけてもらえない星の数ほどアーティストで溢れているけど、自分の中で大きな存在の替えはどこにもないし探し出せない。
そう思うと曲って音楽って、一点物だな〜って思うんです。似てるかもしれないけど絶対どこか違いがある、そんな世界に一つだけのモノだと思ってます。

これからも私はこう、そのアーティストにしか出せない一点物を追いかけ続けたいし、その一点物をお守りみたいに心に宿しておきたいです。

良いことしかここまでいってないけれど、
去年はもっと、嬉しい日喜ばしい日をちゃんとファンと分かち合って欲しかったな〜って。
嫌いになったり幻滅できた方がいいのではないかな、と思うような出来事もありました。

ただ、救われた過去、好きだと思った過去と、その好きだっ時間は否定したくないからこそ、少しヒビを入ったこの信頼はステージの上で築き上げてほしいなって今は思います。そんな未来に私は、用がある。

そんなこんなで、
今日3月11日は、秋山黄色のお誕生日なのです。
本当におめでとうございます!
そしていつもありがとう。

誕生日はどの日よりも平凡で素朴な1日がいい。という言葉を聞いて、私もどの日よりも平凡な日でありたい。と思って生きているので、もう同じじゃん!✌︎って気持ちとは裏腹に、特別な存在の生まれた日となったらやっぱり、感謝の気持ちを伝えたいなと思うのです。おめでとう!よりありがとう!派。
たくさん色んなこと書きましたが、何より1番に伝えたいのは

「「「「「いつもありがとう!!!」」」」」」

晴れ男と言われてる黄色さんですが、
黄色さんは、最近は、月みたいだな〜って思います。
月が満ち欠けるように、その時にしか出せない感情の美しさを見せてくれる。
煌々と輝く時もあれば、雲に隠れる時もある。
なんなら見えない時さえある。
でも月が見える時、夜道を歩くととっても安心します。あの照らしてくれる光が。
もたらしてくれる微かな光が、月光のようだなと思います。


余談なんですが、
社会人で働き始めた2週間後くらいに黄色さんに出会ったのです。黄色さんを好きな年月が、自分が社会に出た何月と同じってとても心強いんです。
学生の頃出会っていたかった。と思う気持ちは100ありますが、やっぱり、このタイミングだからこそ、出会えた。ってのがあると思うのです。


だからこそ私は、この月光のような光をがこれから社会で生きて行く時の、不安も憂も、優しく照らしてくれそうで心強いのです。

つらつらとここまで書きましたが、
何より黄色さんは自分の思ったままに感情を音楽に転換してそれを放してくれればいいんです。



何より音楽続けてくれてありがとう。


もう何書いてるか訳わからないなってしまったけど、いいよね?!自己満です。☺️
読んでくれた方々も本当にありがとうございます🪄。


最後に…………
1stアルバムで『From DROPOUT』ってつけた秋山黄色、カッコ良すぎないか…………?

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