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綺麗な人は得なのか

自画自賛

どっちかっていうと私は綺麗な方だと思う。
それはよく言われて来たから。

自分が綺麗なんだと思ったのは高校生くらいだと思う。
女子校時代の友人が怒った時に言われたセリフで、

「どーせあなたは綺麗だから」

的な事を言われたように思う。

そこから、そーなんだ私は綺麗なんだと思った。

相手が怒った時のセリフで出てくるんだから本当に思ってるんだろうと思った。
でももしかすると私の勘違いかも知れない。

どこに行っても大抵チヤホヤされた。
おっちゃんとおばちゃんウケはかなりいい。

別に媚を売っているつもりはない。
言いたい事は言う。
でも、それがまた良いと言ってくれたりする。

可愛いから、綺麗からといっておまけしてくれるし、許してくれる。
警察まで信号無視や逆走を許してくれた。

綺麗だからだけじゃないとは思っている。
私はすこぶる人ウケがいい。

小さい頃からいくつかの座右の銘がある。
その一つが

「人生、運と笑顔と要領と(が大切)」

である。

家では虐げられていた私だけど、そのお陰でどうやったら相手の懐に入れるかの術を身につけた。
ニコニコしていて愛想がいいと良く言われた。

生きていく手段

綺麗なだけじゃない。
私は笑顔で接して、愛想がいいところが周りからウケが良かった理由だと思う。

どうやったらこの世の中で生き残れるか。
どうやったら周りの機嫌を損ねずに自分の思いを叶えられるか

というのは私にとって生きるか死ぬかくらい大切な事だったのだ。

だって機嫌損ねたら、急にどつかれるし。
機嫌損ねたら急に怒鳴られるし。
機嫌よかったらどつかれないし。
マネキンの上から下まで服を買ってもらえるし。

欲しいものは大抵手に入った。

欲しいものを手に入れるかどうかが問題だったのではなく、自分がどつかれないように、親と祖父母に機嫌よくしてもらい、自分の願いを叶える術は幼少期の環境だからこそ身についたのだ。

これだけ考えても私は運がいい。
どうやったらうまく生きていけるか気づいたんだから。

呑気に生きてたら身についていなかったと思う。
かと言ってうちの子たちにあんな環境で子育てしたいかというと絶対に違う。

今思っても間違った子育てだと思うし、よろしくないと思う。

でも、そんな環境でも私自身は基本自己肯定感満載で生きており、自分の環境をバネにネタにして仕事しているので、私自身にとっては必要な環境だったと思っている。

綺麗で損すること

綺麗だと得するか。

割合で言うと、8割は得すると思う。
逆に2割は綺麗だからという理由で損もするとは思う。

わけわからん人達から何か嫌な事があると

美人税
周りからの妬み

と言われる。

いやいや。ちゃうやろと言いたい。
50近くになっても綺麗でいられるには色々と努力している。
綺麗な事で税金払う筋合いない。

あとは気持ち悪いおっちゃんから美人枠でーとか言われるとかなり気持ち悪い。
おっちゃんといっても年下だったりするが、美人枠とか言われるとぞーっとする。

なんやねん、その枠。

同時に私は綺麗と言っても、すっごい綺麗ではない事は自覚している。

キャンギャル時代にはスーパー綺麗な人が周りに山ほどいた。
職場にもスーパー綺麗過ぎてびっくりするくらいの人に囲まれていた。
だからその人達と比べたら全くもって大したことはない事を自覚している。

すこぶる綺麗な人は外見で苦労することも多いようだ。
私のすこぶる綺麗だった同期の友人は綺麗な自分が嫌いでたまらないという悩みを聞かせてくれた。

何をしても綺麗を理由にされる
努力しても努力は見られず顔しか見られない

そんな自分の容姿が嫌で仕方ないと言っていた。

きっとすこぶる綺麗な人達にはその立場でしかわからない悩みがあるんだと思う。

そこそこ美人は努力する

私はすこぶる綺麗な枠ではない。
多分話しかけやすい綺麗さ。
手が届く綺麗さなんだと勝手に思っている。
いわばそこそこ美人

どこに行っても大抵綺麗だと言われるので、綺麗だという事は自覚している。

きっとこれでブサイクとか言うと嫌味にしか聞こえないだろう。

だから綺麗だと言われると「ありがとう」と答えるか、冗談で「よく言われるんですー♫」と言い、子供らにそれは言うなと諭される。

同時に自分の綺麗さはそこまででもない事を自覚しているから日々努力はしている。

私自身綺麗な人に弱い。
綺麗なおばちゃんは好きだけど、汚いおばちゃんは嫌い。

顔立ちではなく、人間捨ててる感、年だからと諦めてる感ある人はあまり近寄りたくないと思っている。

若い時に綺麗だった人も、歳を重ねると生活感や内面が出てくると思う。
綺麗な顔立ちをしていても諦め感あったり、追い詰められ感あるとよっぽどの美人でない限りくすんでしまうと思う。

逆にそれほどでもない容姿でも、内外共に磨いていけば歳を重ねるといい味になり表面化すると思う。

人は外見だけじゃない。

そう言いたいけど、キャンペーンガールの派遣会社を経営していると正直顔なんだよなと思うところは多々あった。

仕事柄仕方ないと思うが、容姿で断られる人はたくさんいてふがいなかった。
知識はあって説明はできるけど、容姿で断られる人がたくさんいた。そんな世界だった。

若い頃は「なんで顔で断るねん!」とお客様にキレていた。

でも考えると顔とスタイルが関係する職業だから仕方ないようにも思う。
自分も同性に対して外見で人の好き嫌いを判断してある所がある。

外見だけで人を判断するのは反対!
という人たちがいる。
それは私自身にもそう言いたい。
外見だけで判断しちゃダメよと。

でも正直美人はかなり好きだ。
見てると癒されるんだ。
インスタで好きな女優さんの写真を見て惚れ惚れする。

自分が嫌なおっちゃんと汚いおばちゃんから美人枠とか言われると嫌なくせに私は美女にすこぶる弱い。
全くもって矛盾しているのはわかっているけど、綺麗な人が好き。

綺麗は才能

綺麗な人は得するか。
私は得すると思う。
そして、綺麗なことも才能だと思っている。

スポーツや学力が才能であるように綺麗なことも才能だと思う。

ミスコン反対という人たちがいるけど、それならスポーツの大会や文化的行事、学力テストも全部同じじゃないかと思う。

それぞれが才能。
みな自分の強みを伸ばせばいい。

スポーツできる人はスポーツで
学力高い人は学力で
音楽うまい人は音楽で
容姿のいい人は容姿で

それぞれの場で花咲かせればいい。

私は花が好きだ。
家には色んな花が咲く。

薔薇がひまわりになるわけじゃない。
薔薇の苗からは薔薇が咲き、
ビオラの種からはビオラが咲き、
ハーブの種を撒いても違う花は咲かないんだ。

だから自分の花を大事にして育ててあげたい。

どの強みもないからと思う人もいるかも知れない。でもそれは多分見えていないだけだと思う。

イケテナイと思うところに才能や強みが隠されているかも知れない。

私はイケテナイ所だらけな事を自覚している。
表面で笑ってても、実はダークだったんだということに最近になって気づいたからこそ毒だしをこのnoteでしている。

毒もイケテナイ所も"私自身である"事を自覚している。
イケテナイ私も受け入れている。

鬱になってしんどくて死にたかったちょっと前。
またぶり返すかもしれないけど、基本は能天気で前向きな私が人生初めて後ろ向きになった事もこれまたいい人生のネタになると思っている。

こうやってみると何かしらの事件さえなければ私は元に戻れると思う。
一か月事件がない月なんてここ数年なかった。

そう、私は基本能天気なんだ。
人生ネタにして行こう。
またぶり返すかもしれないけど、また立ち上がるに違いない。

そして何より綺麗は才能なんだ。









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