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私が仕事をする理由

気合いと根性で私は生きられると改めて思う。同時に気合いと根性がなかったらふにゃふにゃだなと思う私。

今日は起きた時、頭がフラフラした。めまいのような酔っ払ってるような、雲の上を歩いているようなそんな感じがした。

でも、今日は仕事だ。1日気合い入れてかなきゃ行けない仕事だった。
栄誉剤山盛りのんで、効かなかったから、さらに飲んでほぼ気合いで乗り切れた。

自宅での仕事だったから途中布団が恋しくなった。それと同時に仕事なきゃ絶対この日一日寝てるよなぁと布団を見つめながら思った。

仕事にかかるまではダルダルだった。頭もぼやけてた。それが人前になるとなるとかなる。ほぼ仕事は私にとって麻薬のようなものだ。

人前にでるとその時だけ、なんとかなる。テンションあげられるし、乗り切れる。そして終わった後もしばらくは大丈夫。

今日も長時間の仕事が終わったら、フラフラさが朝よりだいぶましになった。きっと体内麻薬が全部出たんだと思う。

それだけ多分仕事は私にとって喜びなんだと思う。おもえば学生時代からそうだった。アルバイトが喜びだった。高額なアルバイトをしたいたが、もらう金額は聞いていなかった。後から勝手に口座に振り込まれるのを使っていた。

私の財布はドラえもんのポケットだと思っていた。が、お金より仕事に興味があった。
働いてるのが好きだった。

それは私の居場所がある、私が必要とされていると感じたからだと思う。その背景には家には居場所がなく、あんたなんかいらないよと言われていた事が背景にあるんだと思う。

そして外であなたが来てくれて助かった!嬉しい!会えてよかったと言われることに喜びを感じた。
それは今も続いているように思う。

同じような思いで働いている人はいるのだろうか。仕事に対してネガティブなイメージを持っていたり、お金のために働いているという人も多いように感じる。

しかし、私は私の存在価値のために働いているんだと思う。私はここにいるよ。私は世の中の役にたってるよ。私と会えてよかったって言ってくれる人がいるよ。そんな事を確認する事が私にとっての仕事の意味なんだと思う。

だから私の心は仕事を切望している。しんどいのが、痛いのが、その時だけ吹き飛んでしまうくらい体が欲しているんだろう。

多分自分が必要だ、自分はいる価値がある、私はいてもいいと心の底から思えたらこの状態ではないのかも知れない。でも多分その状態にはならないようには思う。それくらい幼少期は人間にとって大切な時期なんだと思う。 

でもこの状況の私のことは嫌いではない。この私も今の私、私が好きな私には変わりない。

そして明日も気合い入れて過ごしていこう。そしてどこかで気は抜けるようにしよう。オンオフの切り替えが大切だと思う。

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