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FGO歴史解説:第1部5章「北米神話大戦」はなぜ「ケルト」と「インド」なのか


(※1部5章のネタバレあります)

Fate/Grand Order(FGO)の第一部5章「北米神話大戦 イ・プルーリバス・ウナム」。

この特異点は1783年の北アメリカ大陸が舞台なのに、なぜインド神話とケルト神話の英雄が出てくるのか。FGOを遊ぶ友人から質問されることが多いので、何度か説明したことを、ここにまとめておく。

アメリカ大陸に由来するサーヴァント(ジェロニモやビリー、エレナ、エジソン等)を除くと、この章で目立つサーヴァントはインド神話とケルト神話の英雄だ。「神話大戦」の名に恥じぬ、壮大な面子がそろっている。

アメリカなのに、どうしてインド?ケルト?という素朴な疑問が出てきた人は多いと思う。

なぜ「インド」?

インドはピンと来た人も多いだろう。そう、数百年前、確かにアメリカは「インド」だった。

どういうことか。時は大航海時代に戻る。まだヨーロッパの人々が、アメリカ大陸を知らなかった時代。人々は、香辛料の生産地であるアジア、インド、そしてその先にある黄金の国ジパングを目指して、海路を見つけることに躍起になっていた。

この時期に小アジアに興ったイスラム教国であるオスマン帝国がバルカン半島・東地中海・西アジアに進出し、従来のイタリア商人による東方貿易が行えなくなっていたためだ。ヨーロッパの商人たちは、香辛料などをアジアから輸入するために直接ルートを開拓する必要に迫られたのである。大航海時代の背景の一つだ。

そこからの展開は教科書通り。西欧諸国は、ユーラシア大陸の沿岸沿い(東回り)ルートと、地球は丸いことを利用して大西洋横断(西回り)ルートを選択。15世紀前半、ポルトガルのエンリケ王子はアフリカ西岸に進出、バルトロメウ=ディアスによる喜望峰到達、ヴァスコ=ダ=ガマによるインド到達と、東回りルートの開拓は順調に進んだ。目指すは、インドの先にある黄金の国・ジパング。

一方、西回りルート、つまりアフリカ大陸を回らずに、大西洋をつきすすめば、ジパングへ早く到達できるのではないかと思い、コロンブスが出発します。そして、大西洋を横断し、たどりついた場所が「西インド諸島」と名付けられました。コロンブスは大西洋を横断し、アメリカ大陸を発見した人物として知られていますが、アジアを目指していことからくる思い込みから、コロンブスはインドに到達としたと勘違いしてしまいました。だから「西インド」(自分たちの西側にあるインド)と名付けてしまい、その名称は現代まで続いてしまう。

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(つまりコロンブスは青字の航海をしたにもかかわらず、赤字の航海をしたと主混んでしまった)

ここで、アメリカ大陸に、インドの概念が練りこまれてしまった。

なぜ「ケルト」?

一方の「ケルト」要素。ケルトと言えば、アイルランドだ(現代では批判的な研究も増えているが)。

アメリカとアイルランドは結構、縁が深い。移民の国アメリカだが、その12%はアイルランド系の移民と言われている(自認されている)

アイルランド人は18世紀から19世紀の産業革命期にアメリカに移民し、特に当時辺境地域だったペンシルベニア州、バージニア州、ノースカロライナ州、サウスカロライナ州へと定住した。特に19世紀の中盤、アイルランドではひどい飢饉(ジャガイモ飢饉)が起こり、その際には百万人以上が北アメリカへと押し寄せた。1840年代には移民の半分を占めるようになった。

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出所:移民の世界史

当初、アイルランド人は後発組の移民だったため、マフィアとなったり、警官、消防士、軍人といったリスクのある仕事にしかありつけなかった歴史的事情がある。

特徴としては、姓(ファミリーネーム)の綴りが「O'」「Mc」「Mac」で始まる事が挙げられる(「O'」あるいは「Mc」「Mac」にはアイルランド語で誰々の子孫、誰々の仲間という意味がある)。たとえばジョン・マケイン(John McCain)のMcCainは「ケイン(Cain)の家族あるいは仲間」という意味になる。

著名なアイルランド系アメリカ人は多く、ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、バラク・オバマ、そしてトランプを破り46代大統領となったジョー・バイデンと、5人の大統領を輩出している。

おまけ

自分の中ではもう一つ、なぜ「ナイチンゲール」(イギリスの人)なのか、が未解決問題として残っています。なんとなくの回答はあるんですが、まだ整理できていません。

ちなみに、アメリカという国は、新しくシンプルであるからこそ、面白い考察が色々とできる国です。

個人的に参考文献としては、村枝賢一の「RED」(漫画)や、小谷野敦の「聖母のいない国」(文学評論)あたりが面白いです。

このあたりを読むと、アメリカは、自分たちが「祝福されていない」国なのではないかという恐怖感に常に苛まれており、だからこそ正義や自由といった価値観を過剰なまでに追い求めているのではないかと思えてきます。

歴史が浅い自分たちを救い、支えるような伝統的・超越的・神秘的・母性的な基盤が、この国には不在なのではないかという空虚さや不安を満たすために、「聖杯」のような神秘ではなく、また「神話」のような伝統ではなく、今を生きる「人の力」で前進し続けようとする、傷だらけの中学生のような国のように見えるのは私だけでしょうか。

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