2023年度入学式 校長式辞


東京音楽大学付属高等学校新入生の皆さん。新入生のご家族の皆様。本日はご入学誠におめでとうございます。心から皆さんを歓迎いたします。
皆さんがかけがえのない青春の3年間を過ごす学舎として、我々の学校を選んでくださったこと、心から嬉しく思います。
この出会いを大切にこの3年間皆さんと一緒に走り抜きたいと思います 。


今日は、皆さんへのお祝いの言葉に寄せて、歌を届けたいと思います。今も続いているウクライナとロシアの戦争。皆さんと同様に僕もこの世界情勢に不安を持ち、悩み、自分に出来る事を考えた事がきっかけで、それ以来、入学式と卒業式で歌を届けています。

今日皆さんにお届けするのは、谷川俊太郎さん作詞、木下牧子さん作曲の「木を植える」です。まず詩を読んでみます。

「木を植える」 作:谷川俊太郎
木を植える
それはつぐなうこと
わたしたちが根こそぎにしたものを

木を植える
それは夢見ること
子どもたちのすこやかな明日を

木を植える
それは祈ること
いのちに宿る太古からの精霊に

木を植える
それは歌うこと
花と実りをもたらす風とともに

木を植える
それは耳をすますこと
よみがえる自然の無言の教えに

木を植える
それは知恵 それは力
生きとし生けるものをむすぶ

五節目に「木を植える、それは耳をすますこと、よみがえる、自然の無言の教えに」と言う言葉があります。

座右の銘と言うと大げさなんですが、僕がとても大切にしている言葉があります。ドイツの文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの言葉です。ちょっと難解な文章なのですが、あえてご紹介してみます。

「自然の公然の秘密を打ち明けられ始めた者は、その最良の代弁者である芸術に、抗いがたい憧れを覚える」

難しい上にちょっと変な文章です。公然の秘密と言う言葉がおかしいですね。公然。つまり公であれば秘密ではないはずです。

でも往々にしてこういう事はあります。
皆さんは今まで、素晴らしい演奏に出会って、心から感動した事、心を震わせたことがおありではないでしょうか。
実演でも、放送でも、素晴らしい演奏に出会った時、それまで感じたことがないような感動、心の震えを感じることがあります。

大体の場合、知っている楽器が使われている事が多いし、楽譜も出版されています。
ですから秘密ではありません。論理的には、誰でも同じように演奏ができるはずです。技術的な訓練だけを積めば、物理的には可能です。秘密は何もありません。コンピューターの自動演奏でも、同じような感動が、同じ曲から与えられてしかるべきです。
でも現実にはそうではありませんね。

その演奏を通じて届けられたもの、何か神々しいもの。人間の力を超えたような凄まじいパワーを持っているもの。宗教的な話をするつもりはありませんが、何か大いなるものの力を感じることがあります。これが音楽の力の1つだと思います。

こういう時、皆さんは、紙に印刷された楽譜の向こう側を覗いてしまったのです。こうなるともう後には戻れません。
その楽譜の向こう側にある素晴らしいものを追い求めて、どんどん音楽にのめり込んでいくことになります。「美」への衝動といってもいいかもしれません。美への衝動に導かれて、皆さんはその結果ここにいらしたのではないでしょうか。

僕もそうです。僕の場合は、高校時代のクラブ活動がきっかけでした。音楽の素晴らしさを知ってしまったら、それを職業にすること以外思いつかなかった。「自然の公然の秘密」に触れてしまったのです。
自然からその秘密を打ち明ける始めた者、つまり、それを知ってしまった人たち、要するに、音楽の魅力に触れてしまった僕たちのことです。その者たちはその秘密の最高の代弁者である芸術…この場合は音楽ですね…を通じて何かをしなければいけないと言う切実な抗いがたい衝動を覚えるのです。そして、音楽の素晴らしさに身を委ね、探求を続けることによって、直感が育ちます。

谷川さんの詩に戻ります。
「木を植える、それは耳をすますこと。よみがえる、自然の無言の教えに」
谷川俊太郎さんは、ここで、自然は無言だと言っています。つまり、自然は自分からは語ってくれないのです。自然は、僕らが漫然と受け身で待っていても語ってくれない。自然は「無言の教え」を持っているということです。
これはゲーテの言葉では、「公然の秘密」と言う言葉で表現されています。見ようと思えば、そして、それを見るスキルがあれば見えるものも、漫然と見ていては見えない。

もうお分かりだと思いますが、僕らにとっての楽譜は、僕ら音楽家が持っている世界との接点の中で、最も大切なものの一つです。世界との接点、僕らの周りの「環境」を構成する一要素と言っても良い。
だから、この谷川さんとゲーテの詩の中の「自然」を「楽譜」に読み替えるとわかりやすいかも知れません。

楽譜は、場合によっては無言です。どう演奏すれば素敵な演奏になるか、楽譜の方から教えてくれはしない。無言の自然です。楽譜通りに演奏するだけでは、面白い演奏、魅力的な演奏になりません。コンピューターによる自動演奏も同じです。無味乾燥な音の羅列になります。

でも、僕らが楽譜、その音楽に愛情を持ってトライを続けていると、段々楽譜は自分の秘密を開示し始めます。
楽譜の向こう側を除くことを本気で、毎日毎日トライすることによって、楽譜がカラフルに、そして立体的に見えてきて、楽譜が雄弁に自己紹介を始めます。楽譜によって自然の無言の秘密に触れることができるようになります

皆さんを取り巻く環境、これをこの詩の中での「よみがえる自然」に置き換えてみてはいかがでしょうか。当然ですが、森や山川と言う自然だけでなく、楽譜、文学作品、数学の方程式、理科の実験で使うプレパラート、あるいは皆さんの家族や友達先生などの人々。机や建物や教科書。これらも皆さんの周りを取り巻く環境の1分枝です。すべての裏側に秘密が潜んでいます。

それらの秘密に耳を澄ませることで、事物が自ら語り始めます。これを我々音楽家は「直感」として受け取ります。皆さんには、ぜひこの三年間で、この直感を鍛えて欲しいと思っています。

本校は音楽高校です。音楽家を育てる学校と言っても良いでしょう。でも僕が、今日ここで「直感を鍛えて欲しい」とお願いするのは、音楽家としての成長のためだけではありません。この激動の社会を泳ぎ切り、幸せになるための必須のスキルが「直感」だからです。

いま、世界は激動のフェイズに入っています。
終身雇用が消滅しようとしています。ジョブ型雇用と言って、仕事、プロジェクト毎に会社に雇われる、という雇用形態が広がっています。一つのレールに乗って人生を乗り切れる世の中ではなくなってきています。
一生の中で何回かのライフシフト、転職や、職種を変えることが当たり前になると言われています。事実、この春の就職する人達の就職活動で、転職をする、つまり一生その会社に勤めるわけではない、と言うつもりで会社を探す人が5割を超えた、と言う調査結果がありました。
何が起こるかわからない世の中です。想定外のことが次から次へと起こります。

ちょっと不安にさせるような話をしたかも知れません。でもこれは、本当に起こっていることで、私たちはあなたたちに、世界の本当の姿を伝え、皆さんの幸せ、この激動の世の中での皆さんの幸せを一緒に考える責務があります。一緒に考えましょう。

そういう世の中で、皆さんを一番助けてくれるのが「直感」なのです。思考は判断力を育てますが、判断に一番役に立つのは直感です。多くの科学者や政治家が、「最終的に決断は直感だ」という趣旨のことを言っています。スポーツに於いては直感が大切なのは言うまでもありませんね。

もちろんその前提として知識や経験はとても大切です。運任せで判断をすると言うことではありません。
言葉を学ぶことに代表される、理性の学び、知性を鍛えることはとても大切で、これは日本人が比較的得意としていることですね。これもぜひ頑張って欲しいです。
先ほどの楽譜の裏側を覗くと言う意味では、楽曲分析、アナリーゼ、あるいは作曲家が作曲したときに、どんなことを考えていたのか、誰に恋をしていたか、などはその秘密を探るのに、とても大切な情報になってきます。こう言う学び、知識の蓄積は尊いです。

そして知性の蓄積と、直感を結ぶ架け橋として「体験」があります。その意味で、体験する事はとても大切です。

いまのこの、激動の現代社会。良い事もあります。
一つは、労働というものが苦役、詰まり辛くて苦しいもの、と言う常識が崩れていることです。ユーチューバー、インフルエンサー、社会貢献企業など、やりたい事、自分のパッションを傾けられることを職業にして生きていける世の中になってきているという事でもあります。

そして、元々音楽家というのは、好きな事を職業にしているのですね。音楽家、芸術家の時代が来た、という言い方も出来るかも知れません。

そして、だからこそ、なのですが、この直感を育て、鍛えるのに、音楽という芸術は最適なのです。皆さんは、この激動の世の中を泳ぎ切るために必須スキル、「直感」を育てるのに、もっとも適した場所にいるのです。

直感を鍛える、衝動を信じる、という事は、自分への信頼を学ぶ、と言う事でもあります。日本人にはとても難しい事です。本校では、衝動を肯定し、自分への信頼を築くメソッドとして、インプロビゼーション、即興を取り入れています。これは演劇のメソッドですが、音楽にも即興演奏というのはありますね。これは、恥ずかしがり屋の日本人が苦手な分野です。恥ずかしいと思ったら即興演奏は出来ません。

この三年間、一緒に直感を鍛えましょう。
そして、これは折に触れていつもお願いしていることですが、「多いに遊んで」下さい。「遊び」という言葉は、大切なキーワードになります。今日は遊びの話はできませんでしたが、スポーツでも音楽でも、遊ぶことはとても大切。だから、「演奏する」という動詞と「スポーツをする」という動詞、英語でもドイツでも「遊ぶ」という動詞なのです。プレイ、シュピーレンですね。

三年間、大いに学び、遊び、直感を鍛えて下さい。




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