登校日、3年学年集会への出席、そして夏休み

7月末、ついに、やっと。本校の生徒みんなに、池袋の新校舎に来てもらう事が出来ました。まだコロナ状況は落ち着かないどころか、感染者数などのデータは、感染が広がっていることを示唆していますので、安心して登校してもらうわけには行かなかったし、状況を鑑み登校を断念した人もいたと思います。

検温、ディスタンスを取るなどの衛生措置を万全に行った上で、それでも学校に来てもらえたことが大きな意義があったと思います。

僕は3年生の学年集会に出席することが出来たので、やっと三年生とはリアルで会うことが出来ました。嬉しかった。

その時、3年生にはお伝えしましたが、自戒を込めて、もう一度書いておきたいのは :

「『普段だったら』、『例年だったら』、『本来であれば』、『コロナじゃなかったら』という表現は、もうやめましょう」

と言う事でした。

あなたたちは「コロナの子」になってしまったし、僕は「コロナの新校長」になってしまった。そして、これは選択の余地がないことです。嘆いても仕方ない。あるはずだったものが無い、出来るはずだったことが出来ない、と言う喪失感だけに目を向けて思考停止し、足を止めるのは、もうやめましょう。そして「顔を上げて、未来に目を向けましょう」

そう。「顔を上げて、未来に目を向けましょう」という言葉は、僕が校長就任のWeb挨拶で使っていた表現です。でも、これも学年集会で白状したように、僕自身がこの「罠」にかかっていた。

「なんで、こうなっちゃうんだろう」と言う思いを拭えない事がしばしばあり、この時も前日までその思いに心を引きずられていたわけですね。

いかんいかん。でも、自分でこれに気付けたことを喜びたい。そして、気付くことを促してくれた、我が校の生徒の皆さんに感謝したい。皆さんとのコミュニケーションをどう取るべきなのか?と悩んだときに、罠にはまった自分に気付いたので。ありがとう。

また、この罠はやってくるでしょうな。でも負けない。なぜなら、視線を未来に向けて、今だから、今こそ出来る、と言う事に気付けたせいで、既に色々素敵なことが起こっていて、それはこれからもそうなるはずだからです。オンラインオープンスクールも、校長対談も、全校のみんなに聴いてもらった芸術特別講座も、コロナでなければ生まれなかったコミュニケーション・チャンスでした。

短いけれど、良い夏休みを。

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