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【あの時、ケニアで死にそうな目に遭ってなかったら、アフリカはそこまで大切な存在ではなかった】

人事の小山です。

小山といえば、アフリカ(最近、そんなに言わないですが)ですが、なぜ、そんなにアフリカに熱いのか?

というのとふと思い出しました。

ケニアで死にそうな目にあったからですね。

大学3年生の終わりの春休みにひとりでケニアとタンザニアの旅をしました。

NPOを訪問したりいろいろしました。
旅も終わる頃。

ナイロビのビクトリ湖の近くのキスムというケニア第5の都市に滞在し、次の日は、フラミンゴで有名なナクルにいくために、高速バスで移動していました。

ナクルに順調に進んでいる頃、高速バスが休憩でとまった時に、異変に気付きました。

貴重品がない。。。。。。。。

体も、かばんも探すがみあたらない。
昨日の記憶をなんとか、思い出しました。

「あーーーーーーーー、枕の下に入れていたーーーーーーーーーー。」

高速バスを戻るくらいのお金はポケットにいれていたので、なんとかそのホテルに戻るも、予想通り、ルームクリーニングが終わっていて、とられていました。

誰がとったかというと、掃除のおばちゃんたちに間違いはないのです。

5分かばんを置いていても盗まれる社会で、高速バスで4時間おいていたら、とられないわけがありません。

「持ってるだろう?返してくれー。」

といっても

「知らんわ」

諦めるかぁと思っても、諦めたところで、いったい、何をどうするあてもありません。

驚くことに、この街には日本人がいませんでした。
- 電話を一回かけれるくらいのお金しかもはやない。
- 助けを求める相手も知らない。

とりあえず、ここにいても仕方ないので、ナイロビにいこう。ナイロビの日本大使館にいけば、なんとかなるだろうと思って、高速バスの乗り場にいきました。

- でも、お金がない!

(ヒッチハイクする?)

「どうせ、何もないのだし。それもありなのかも。」

バスターミナルの待合室で途方にくれていた。公衆トイレの前でチップを要求するシゴトをしている男性がしゃべりかけてきました。

「なにをしているんだ?」と聞かれても、何をしていいのかわからないのだ、というような会話。

そんなこんなの会話をしていたら、そいつが、友達をよんで、その友達の友達くらいに、「日本人の知り合いがいるらしい。」という展開になりました。

半身半疑でしたが、そいつの友達の友達の・・・結局、イギリス系の方が

やってきました。

「どうしたの?」と言われて、いろいろ話をしました。

娘が日本にいるらしくて、日本にお世話になっているからね。

「ここに泊まりな。朝食も食べれるからね。これで、ナイロビまでいったらなんとかなるでしょ」

とナイロビまでの交通費をくれました。

さっきまで、

「ケニア人なんて大嫌い」って思っていた自分が、その大嫌いなケニア人に助けられたのです。

そして、娘がお世話になっているというイギリス人に助けられたのです。さっきまでケニアなんかこなければよかったと思っていたのに、

必ず、もう一度きて、ケニアに恩返しをしようと強く思いました。そして、ナイロビの日本大使館にいきました。

でも、大使館にいっても、あっさり助かりはしませんでした。
「大使館は、金融会社じゃないから、お金を貸せない。」

キッパリ。

そして、出国するためには、パスポートの再発行か緊急で「帰国のための渡航書」というのを発行する必要があって、

―すぐには帰れない。でも、滞在費もない。

そこで、出くわしたのが、現地で40年近く住む方でした。
獣医であり、NGOをやっている方でした。

たまたま大使館であって
「じゃあ、俺の家にこいよ」ということで、帰国の手続きが終わるまで1週間ほどお世話になりました。

その方が、学生会議という学生団体の顧問をやっていました。

実は、日本ケニア学生会議には入ってはいましたが、先輩が全員抜けて活動休止中でした。

この方にも恩返しをしたいという思いや、少しでも多くの人にケニアの良さ知ってもらおうと、活動を復活させることを決意しました。

4年になり、周囲の同学年は、就活をしている中で、この活動休止した学生団体の活動を再開させるという

並大抵ではない労力を費やしました。

それは、分かっていたことでしたが、することにしました。

自分が受けた恩を返すべく学生団体を復活させることにしました。経験者がいない中で、先輩たちに、マニュアルをつくらせるところから

はじまり、右も左もわからない一,二年生とあったこともないケニア側の学生とのやりとりを進めていき、まぁ、大変なことだらけではありましたが、なんとか復活させました。(今、なお続いています。その時は、7期で、今は20期を迎えつつあります。あの時、私が、頑張っていなければ、なくなったいた団体です。)

あの時のあのパワーを発揮することができたのは、

・あの時、ケニアで死にそうな目に遭ったこと、
・助けてくれた人たちやその人たちのケニアに恩返しを
したいという思いからでした。

あの時、あんなに困っていなかったら、
そこまでケニアを、アフリカを大切に思うことはなかったでしょう。

HUNGRY精神という言葉があります。
芸人でいうと、下積み時代がありますが、

社会人にはあんまりありません。
新卒海外研修制度は、若干近いのかもしれませんが・・・・

苦労した経験があるから、周りへの感謝もできるし、
自分が頑張るパワー=使命感になります。

苦労は、買ってでもしましょう。
苦労できる環境を大事にしましょう。

そして、苦労としなくても、今の自分の環境を当たり前と思わずに、周りの人に感謝をして、恩返しをしようというパワーをシゴトへのエネルギーに変えていきましょう。

以上 人事部 小山

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