見出し画像

『飽食エスケープ1 』

尾行エンカウント1


 新山茅穂‐Niiyama Chiho‐は、昼休みになると消える。

 これは比喩でもなんでもない。今日こそはいつメンで一緒にお昼ご飯を食べようと、後ろの席に座る我が級友の方を振り向けば、既にいない。授業終了のチャイムを待ち構えて振り向くまで、わずか10秒。

 消えるかの如くいなくなるそいつに顔をしかめる僕、佐田ヤマト‐Sata Yamato‐と、お弁当を持って苦笑を浮かべながら、こちらに近づく ”みや" こと左貴 都‐Sadaka Miyako‐。
 「まぁた、逃げられたの?」
 「うん、今日は終わりの挨拶から速攻振り向いたのに残像もない」
 はやいねぇ。なんて呑気に言いながら、机をくっつけてお弁当を広げるみや。まあ、いつも一緒じゃなくてもいいんじゃない?小学生じゃないんだし。なんてお弁当をもう食べ出す。

 いつ見ても彼女のお弁当は美味しそうである。白身を残すことなく丁寧に混ぜて焼かれたふわふわの玉子焼き、彩りにと添えられたプチトマトとツヤツヤご飯とその上のゆかり、野菜とお肉がバランス良く入れられている。忙しいこいつの母親に代わって、彼女の幼馴染のおばあちゃんが作ってくれているらしい。いつか食べてみたいという思考が頭の中を駆け巡るが、今はそんなことより "ちほちー" こと新山茅穂である。

 いくらなんでも逃げ足が早すぎる。入学してから一度も食べないなんて異常じゃない!?なんて思わず声が大きくなってしまう。
 「他のクラスに友達いるかもじゃん」
 「いや、あいつにそんな人間はいない」
 だって、帰宅部だし、住んでいるところは隣町の田舎だし、友達はおろか同じ中学の人間もいなかったはずである。それに、あんなにおとなしくて内気で箱入り娘のような奴が積極的に友達を作っているとは思えない。 
 「ひっどいのぉ。そんなこと言ってるけど、ヤマトはそれだけでいいの?」
 僕の手にある昼食として胃のなかに吸い込まれていっている栄養補給ゼリーを指さしながら、みやはそうやって聞いてくる。
 「別にいいの。これで足りるし。」
 「いつも寝てるから?」
 そう言って意地悪な顔で揶揄ってくるのに少しむっとしてしまう。とかくいう僕も、入学当時から人の前で碌な食事を一度もしたことがない。最初こそ毎回それでいいのか、お弁当ないなら何か一つ食べないかと心配そうな顔で聞いてくれていたみやだが、僕の授業中の態度となんら変化のない顔色を見たら聞いてくるのをやめた。その代わりこうして身内ネタとして揶揄ってくるのである。

 流石にもう2年の二学期。
一緒に食事の時間を共有するぐらいはいいのんじゃないだろうか。食べないにしてもお喋りするぐらいは可能である。
 現に僕がそれをしている。
 おかしすぎる。と同時に自分と同じ匂いがする気がした。


 そして翌日。

 今日も今日とて、ちほちーは逃げた。あの体育の鈍臭さはどこへやら、本当にすごいスピードである。でも今日の僕は違う。
 こちらに視線を向けていないことを確認してあいつの背中を追いかける。いつものようにお昼休みを過ごすと思っていたみやの驚く声が後方から聞こえる。それもそうだ。これまで一度も追いかけることなんてなかったのだから。
 でも、流石に理由もわからず避けられるのは限界である。一体一人で何をしているのか。放課後のことも休みのことも語りたがらないあいつ。ただの好奇心を満たすための自己満足でもあった。

 ちほちーはひとつも立ち止まる気配がなく校舎の中を進んでいく。それも人気のない旧校舎につながる方向。旧校舎でまさか不良か!?とかいうアホみたいな疑惑はただの杞憂で、曲がったのはその手前。そこは屋上につながる立ち入り禁止の階段である。本人の性格とは裏腹な意外すぎる場所だった。割と遡行不良に近い僕でさえ、そこをサボりの場所に使ったことはない。いったい何をしているのか。
 恐る恐る近づけばだんだんと聞こえる嗚咽。まさか体調でも悪いのか。それなら益々ここで踵を返すわけにはいかない。万が一逃げられないようにそろそろと近づいて、階段を覗けば、ボロボロと涙をこぼしながら、僕が普段食べているものと同じゼリーを食べるちほちー。そんなにも体調が悪いのかと、廊下の影から身体を出そうとした時、空気が変わったような気がした。なんだかいつものちほちーとは違う。何が、とは形容し難いが、違う。違うのだ。いつものほわほわした空気が顔から消えていて、何処か冷めたような表情で見つめているのは、先ほど飲んでいたゼリー。

『よくもこんなもの飲ませたわね。』

 本人からは聞いたことのない、でも何処か魂の内側が震えるような声に鳥肌が立つ。こんな時に出てこないでくれ。心の中でそう願ってしまう。
 人が変わったようなそいつは、そばにある袋からコンビニのドーナツを取り出して、うっとりとそれを眺める。袋を乱雑に破いて、食べようとちらりと赤い舌を覗かせた時、ルビーのように、その瞳は真っ赤に光った。


 私はこの瞳を知っている。


『メロ…?』

ついうっかり声を出してしまった。正確には私が出したのではないが。

 そこにいる、ちほちーの皮を被った女がゆっくりとこちらを振り向く。凍てつくような真っ赤なその目が、僕を捉える。ゆっくりと口を開いたかと思えば、その声はジャック…?だなんて、少し嬉しそうにも聞こえる声色。どうやら僕、もとい僕の中のやつのことを知っていたらしい。

 先ほどまで食べようとしていたドーナツはそこらにほっぽって、意気揚々とこちらに近づいてきて久しぶりねぇなんて。てめぇとは初対面だが。
 『あら、随分と冷たいことを言うのね。あんなに愛し合った仲なのに』
 ついうっかり声に出ていたみたいだ。さっきこいつの名前らしきものを僕の口から出してしまったせい。てめぇみたいな女と誰が恋仲なんかになるか。
 「人違いじゃないですか。それよりちほちーはどこ。」
 『ちほならここにいるじゃない。それよりあなた、その人間を支配しきれていないの?』
 明らかに話しかけているのは僕に対してじゃない。埒が開かないから中のやつ代わった方がいいのか。

 ほんの少し意識を移したのが間違いだった。一瞬の隙をついて、僕の意識が後ろにいき、身体を取って代わられてしまう。そのことは目の前の女と同じように顔や雰囲気に出るのか、すぐにこいつに察知されてしまう。そこからはあっという間である。二人で学校を抜け出したかと思えば、そのままお茶をしてディナー。暴飲暴食、豪遊の贅沢三昧コースである。

 自我が戻ってきたのは真夜中で、自分のベッドの上だった。隣には、ちほちーがゆっくりと寝息をたてている。寝直す前に一つだけ確認しておかなければ。

ちほちーが着ているトップスを掴んで、起こさないように裾を捲った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?