見出し画像

世界陸上オレゴン8位入賞の真野は、男子走高跳4連勝が最大目標。勝負どころで助走を微調整【全日本実業団陸上2022プレビュー②】

 全日本実業団陸上(9月23~25日・岐阜メモリアルセンター長良川競技場)では男子走高跳の真野友博(九電工・26)が注目の1人となる。7月の世界陸上オレゴンでは8位と、この種目初の世界陸上日本人入賞をやってみせた。五輪を含めると1936年ベルリン五輪以来、86年ぶりの快挙だった。コロナ禍の影響を受け国際大会の経験が少なかったが、安定した助走を身につけたことがオレゴンの結果につながった。世界でも有数の助走スピードを岐阜で披露する。

●安定した高速助走で日本人初入賞

オレゴンでも高速助走が威力を発揮した。最初の6歩はバウンディングのように跳びはねて走り、切り換えて最後の5歩を、地を這うような高速ピッチでバーに向かう。
 予選は2m21、25と1回ずつ失敗したが、ともに2回目でクリア。続く2m28は1回目に成功して予選通過を決めた。
「助走が安定せず最初は苦戦しましたが、予選の勝負所になると思っていた2m28で修正することができ、いい跳躍ができました」
 2日後の決勝も2m19と2m24は2回目のクリアだったが、2m27は1回目でクリアした。もしも2回目だったら失敗試技数の差で8位には入れなかった。真野自身は2m30が入賞ラインになると予測していた。「2m30を跳んで入賞を決めたかった」と反省するが、2m27~28の高さで助走をしっかり修正し、1回目で跳んだことが、この種目日本人初の世界陸上入賞を実現させた。
 高校時代はここまでの選手に成長するとは予測できなかった。2m07がベストで14年の高校リスト14位。だが一般入試で進学した福岡大で、モスクワ五輪代表(日本はボイコット)の片峯隆部長兼総監督と出会い、高速助走に取り組んだ。
 大学2年時(16年)にヒザを痛めて17年シーズンまで影響が出たが、その後は回復に長期間かかった故障はない。練習を継続することで助走に研きがかかり、どんな試合でも安定してすることができるようになった。
 大学4年時の18年に2m25、2m26と自己記録を伸ばし、入学時には考えていなかった実業団での競技継続の道を切り拓いた。九電工入社1年目以降の2m25以上と、2m30以上(カッコ内)の試合数は以下の通り。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
19年:5試合
20年:5試合(2試合)
21年:5試合(1試合)
22年:9試合(2試合)海外4試合
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
自身初の2m30超えを果たした20年は、新型コロナ感染拡大の影響でシーズン前半の大会が開催されなかった。試合数が少ない中での5試合と2試合で、2m25以上の確率は高かった。それに比べると21年は確率が若干下がり、5月のREADY STEADY TOKYOという世界ランキングポイントの高い試合で失敗し、東京五輪代表入りを逃している。
 だが今季は安定度がさらに増し、勝負どころの日本選手権でも2m30で優勝。参加標準記録の2m33は跳べなかったが、世界ランキングでは余裕でオレゴン代表入りを決めた。


●オレゴン以降の海外連戦でも好調を維持

真野は世界陸上オレゴン後も海外遠征をしている。8月30日にロベレート、9月4日にパドワとイタリアで2連戦。ともに2m27を跳んで2連勝した。世界ランキングのカテゴリーはBとC。優勝することでポイントも確実に稼ぐことができた。
 真野が国際レベルの記録を跳び始めたのが20年で、運悪くコロナ禍と重なり海外遠征ができない状況になった。今年の日本選手権後に出場したマドリードが、本格的な海外遠征としては初めて。マドリードでは2m23(3位)だったが、その後の海外4試合は世界陸上予選、決勝、イタリア2試合と、全て2m27~28を跳び続けている。ここまで国際大会に強さを見せたことに正直、驚かされた。
「日本のように補助競技場がなくて、特にウォーミングアップ場所が室内の直線だけとか、狭い場所しかない試合もありました。周りの選手との接触も多いですね」
 そういった環境でも集中できる能力を真野は身につけた。そして武器である高速助走&踏み切りを、海外経験が少なくても再現できた。普段の練習を型通りに行うのでなく、練習の意味を深く理解して行っているから国内外を問わず再現できるのだろう。
 真野の強さは、同じ試合の中でも勝負どころで助走距離を変えて成功させている点にある。
「バーが高くなったときに半足分スタート位置を下げています。踏み切り位置をバーから遠くするというより、スピードを上げるのが目的です。スピードを上げても、踏み切り位置が近くならないようにする狙いですね」
 上記の海外4試合では2m27~28にバーが上がったときに、その変更を行っている。国内試合でも同様で、2m25以上にバーが上がったときに変えることが多い。
 世界陸上後も海外遠征を行ったのは、「海外経験を積むことと、世界ランキングのポイントを積み上げること」が狙いだった。全日本実業団陸上に万全の状態に仕上げることは難しいが、大会との相性は抜群に良い。入社1年目の19年大会は2m28の大会新、自己新で優勝。2年目も2m31の大会新、自己新で2連勝。3年目の昨年は記録こそ2m22ではあったが、きっちり3連勝を成し遂げた。
 今年も「4連勝が一番の目標。勝ちにこだわり、その上で記録も出たらラッキー」というスタンスで出場する。真野に余分な力みは生じそうにない。岐阜でも高速助走が崩れることはないだろう。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?