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【全日本実業団ハーフマラソン2022プレビュー②新谷仁美】

3週間後の“13年ぶりのマラソン”で記録を出すために

新谷がハーフマラソンで試したいこととは?

 新谷仁美(積水化学・33)が全日本実業団ハーフマラソン(2月13日・山口市開催)に出場する目的は、3週間後の3月6日に東京マラソンへのステップとするためだ。新谷にとっては13年ぶりのフルマラソン。具体的な数字こそ明言していないが、そこで日本記録を出すことを目標としている。高校卒業後の3シーズンで3本のマラソンを走ったが、その後はトラックに専念し、11年世界陸上テグ、12年ロンドン五輪、13年世界陸上モスクワと10000mに出場、モスクワでは5位に入賞した。一度は引退し、陸上競技から離れていた期間(14~17年シーズン)もあった。復帰後は19年世界陸上ドーハ、21年東京五輪にやはり10000mで出場している。長く華やかな競技人生のまた新たな局面に、新谷が全日本実業団ハーフマラソンで踏み出す。

●「集団の中でリズムを作って最後は勝つ」(新谷)

何はともあれ、まずは新谷の今大会に向けてのコメントを紹介したい。
 2月1日に新谷と、新谷を指導するTWOLAPS TCの横田真人代表兼コーチが、東京マラソンに向けて会見を行った。そのなかで新谷が、東京マラソン3週間前の全日本実業団ハーフマラソンに出場する目的を、以下のように話してくれた。
「実業団ハーフには初めて出場します。復帰して2回目のハーフになりますが、(日本記録を出した)前回は日本記録を目標に練習スケジュールを組んでいきましたが、今回は3月6日の東京マラソンに向けての大会です。20kmやトラックの5000m、10000mでは、自分のペースで走ろうとして前に出ることが多いのですが、それは5000mや10000mで通用すること。距離が長くなればなるほどそれは難しくなります。今回は(距離的には独走もできる)ハーフですが、集団の中でリズムを作って最後は勝つ。勝負するところは、勝負する走りを身につけることが目的です」
 過去3回のマラソンは「全て失敗した」と新谷自身は思っている。

07年東 京 優勝・2時間31分01秒
08年北海道 2位・2時間32分19秒
09年名古屋 8位・2時間30分58秒

「30kmから苦しくなると言われていましたが、その通りのところで失速しました」
 当時とはトレーニングを継続してきた期間も経験も違う。それも今回のトレーニングには反映させているが、トラックで確立できているリズムを、そのままマラソンでやろうとすると最後までもたない。
 だから今回のハーフマラソンでは、前半で遅いと感じても集団で走るつもりだ。

●マラソンから遠ざかっていた東京五輪まで

 新谷は09年の名古屋国際女子マラソンを最後に、マラソンへの興味を持たなくなった。自分には適していない種目と判断し、トラックに専念した。走り自体はかなりのピッチ走法なのでロード向きと言われたが、トラックで結果を出すことでそうした見方も封じ込んだ。

 だが、極端な体重制限をするなど、文字通り身を削る思いをして世界に挑戦してもメダルには届かなかった。足底の痛みも常態化し、13年シーズンをもって競技を離れた。

 18年に復帰した理由の大きな部分として、「陸上競技の方が稼ぐことができる」という要素があった。それでもこだわった種目はトラックで、冒頭で紹介したように10000mで19年世界選手権ドーハ(11位)、21年東京五輪(21位)に出場した。20年12月の日本選手権10000mでは30分20秒44の日本新をマーク。世界で戦えるレベルの記録だったし、以前のピッチ走法よりストライドが大きくなった。5000mでも20年9月に14分55秒83の日本歴代3位で走った。

 東京五輪はメダルを取るために走る。その意気込みで準備をしたが、新型コロナの感染が拡大し、東京五輪開催の是非が社会的に論じられるようになった。「私たちは応援されて初めて競技ができる」。プロの競技者はそういうものだという信念を持つ新谷にとって、応援されない状況は集中力を欠くことになった。

 本人は口にしないが、横田コーチからは足底の痛みの話もときどき出てくる。足の状態が万全でなかったことも重なったのだろう。

 しかし「結果が全て」という考え方が、これまでの新谷を支えてきた。東京五輪の21位は、自身が一番「納得できない結果」だった。東京五輪後、8月いっぱいは引きこもりのような状態だったが、11月のクイーンズ駅伝でチーム(積水化学)が優勝を目指している。そこに自分も貢献したい思いはずっとあったし、秋になれば駅伝に頭が切り替わる。自分だけ落ち込み続けていることは許されない。

 新谷は徐々に走り始め、11月のクイーンズ駅伝では5区で区間2位。五島莉乃(資生堂・24)に1秒差で区間賞を逃したが、チームの初優勝に大きく貢献した。

●13年ぶりのマラソン出場を決意した経緯

 それでも新谷個人は、完全に立ち直ったわけではなかった。完全な再起のためには何かが必要だと感じた。それが「ずっと遠ざけていたマラソン」だと思い至った。

 2月1日の会見でマラソン出場を決断した経緯を次のように話している。

「周りの方々の支えでようやく走れるようにはなりましたが、私自身は切り換えられていなくて、東京五輪を引きずっています。もう一度、どうにか立ち直って戦いたいと思ったとき、今まで遠ざけていたマラソンに、一番苦手とする種目に挑戦することで立ち直ることができる。そう思って決めました」

 以前との違いは、周りの人たちへの思いが新谷の行動に大きく影響していることだ。引退前の新谷は、自分の思いだけで行動していた部分が大きかった。指導者から離れて独自の強化方法をつらぬき、結果も出すことができた。だがそのスタイルは、体に無理をかける方法だった。それに対してストップをかけるすべが当時の新谷にはなかった。

 しかし現役復帰し、積水化学というチームに入り、TWOLAPS TCで練習を行うようになってからは、人に支えられることで強くなると、新谷が理解し始めた。

 東京五輪の失敗から這い上がろうとするときも、支えてくれた人のことを考えられた。

「私が苦しむ姿を見て同じように苦しんでくれた横田コーチをはじめ、変わらず支えてくれる所属先(積水化学)、スポンサー、ファンの皆さんがいて、ここに立っていられます。駅伝のときも積水化学の選手や野口英盛監督が私にキッカケを与えてくれて、なんとか人前で走れるところまで来ました。その方たちに返すことができるのはシンプルに、結果を出すことだけです。自分が納得する姿を、共有してもらえたら、と思っています」

 マラソンには“チーム新谷”として挑戦していく。そのメンタルになっていることが、13年前との一番大きな違いだ。


●横田コーチの戦略と実業団ハーフマラソンのスパート

 横田コーチも2月1日の会見で、全日本実業団ハーフマラソンに出場する意図を次のように語っていた。

「理由の1つに周りに男子選手がいて、単独走にならないことがあります。今の新谷でもマラソンは、単独走の3分18秒(/km)で押し通すことができる種目ではありません。その中でどれだけエネルギーを使わず(平坦になる)34kmまで行けるかが肝になってきます。集団や他の選手と一緒に走りながらリズムを取ることができるか、どれだけ乗っていく走りができるか。実業団ハーフに出場する目的はそういった部分を意識してレースをすることにあります。新谷の場合3分20秒を切るペースは、そんなチャレンジングなことではありません。ただ、気持ちの面ですね。前半リズム良く行けないとか、後半の失速に対して焦りが出るとか。そういったところが出てくるとロスにつながっていきます。そういうことがないようにレースプランも組み立てています」

 レースプランを組み立てるとき、重要な参考資料となるのが今回のハーフマラソンだ。

 3分18秒ペースでハーフマラソン(21.0975km)を走れば1時間09分37秒となり、マラソン(42.195km)を走り切れば2時間19分15秒になる(日本記録は2時間19分12秒)。昨年の今大会優勝タイムは1時間09分54秒で、大会記録は1時間08分11秒だ。例年と同じようなペースなら、ハイペースの東京マラソンと同じくらいということになる。

 しかし新谷は勝負にこだわると言っている。であるならば、どこかでスパートする必要がある。昨年優勝の安藤友香(ワコール・27)は15kmから20kmを16分15秒にペースアップして後続を振り切った。今年は新谷と安藤、五島らが競り合う展開も予想できる。昨年と同じくらいの好コンディションなら、15分台を出さないと勝ちきれないかもしれない。1km毎3分12秒で5kmが16分00秒だ。

 そのペースアップができれば、東京マラソンに来日する2時間17~18分台の外国勢とも勝負できる。新谷自身は先のことは考えず東京マラソンで「納得のいくタイムを出すこと」に集中するというが、実業団ハーフからステップアップしていく先には、世界と戦う舞台が待っている。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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