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【別大マラソン2022レビュー】

西山が鎧坂との競り合いを制して初マラソンV

“強さ”が感じられた世界陸上オレゴン選考対象入り

 別大マラソン(2月6日)で新たな世界陸上代表候補が誕生した。初マラソンの西山雄介(トヨタ自動車・27)が2時間07分47秒で優勝し、選考会で2位以内&派遣設定記録(2時間07分53秒)突破という条件をクリアし、7月開催の世界陸上オレゴン代表選考対象選手になったのだ。西山は入社5年目で、ニューイヤー駅伝は1~2年目はメンバー入りできなかった選手。3年目にニューイヤー駅伝3区で区間賞をとって上昇に転じたが、しっかりと準備を行うことで一段階上のレベルに成長した。今回の別大マラソンでも西山の念入りな準備が、世界陸上代表候補入りにつながった。

●初マラソン歴代2位を悔しがった西山

 “強さ”を感じさせた西山のスパートだった。

 35.8kmから古賀淳紫(安川電機・25)がリードを奪ったが、西山は鎧坂哲哉(旭化成・31)とともに追い上げ、39.3kmで古賀をとらえた。40.2kmで「ここが勝負。出せる力を出し切ろう」とギアをトップに入れた。トラックではラストスパートを武器とする鎧坂に8秒差をつけ、2時間07分47秒の初マラソン日本歴代2位でフィニッシュした。

 テープを切るシーンには喜びが表れていたが、レース後の話しぶりは冷静だった。

「優勝を目指してやってきたので優勝できたことはうれしく思います。タイムは世界陸上の派遣設定記録とMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。五輪代表選考最重要レース)出場資格を獲得できたのでよかったのですが、目指していた初マラソン日本最高(2時間07分42秒)に5秒足りず、少し残念です」

 マラソンはレース展開や気象条件の違いが記録に大きく影響するので、異なるレースで出した5秒差は優劣をつける理由にはならない。それよりもレース内容が重要になる。西山はタイム自体より、そこを目標に準備をしてきたにもかかわらず、そこに到達しなかったことが悔しかったのだろう。

 西山は強くなるためにこうと決めたら、それを徹底的にやりぬく性格だ。初マラソンに向けても十分な期間をかけて準備してきた。その成果の1つが初マラソン日本最高記録と位置づけていた。


●MGCとニューイヤー駅伝3区区間賞がきっかけに

 西山は高校3年時の国体5000mで2位(日本人1位)、全国高校駅伝1区区間賞と、高校トップランナーだった。しかし駒大では、出雲駅伝の区間賞はあるものの、箱根駅伝では目立った成績を残せなかった。トヨタ自動車でも入社1、2年目は、ニューイヤー駅伝のメンバー入りができなかった(18年と19年大会)。トヨタ自動車の選手層が厚いことも理由の1つだが、チームの全幅の信頼を得るところまで至っていなかった。

 19年のMGCが自身を変える機会になったという。高校と大学の2学年先輩である中村匠吾(富士通・29)が優勝し、トヨタ自動車の1年先輩の服部勇馬(28)が2位に入り、近くで見てきた2人が東京五輪切符をつかんだ。

「身近にいる人が高いレベルでやっているのに、自分は何て低いんだろう、と思いました。周りの高いレベルの人から学んだり、聞いたりして試行錯誤しました。練習前の準備、練習後のケアを入念に行うこと。それで質の高い練習を継続して行うことができるようになりました」

 20年のニューイヤー駅伝は初出場だったが、実業団トップのスピードランナーが集まる3区で区間賞を獲得した。しっかり準備をすることで結果を出す。それが西山の成長パターンだった。そして3区区間賞もまた、意識を高くするきっかけになった。その年の夏に取材したときに次のように話していた。

「意識自体が変わったのがMGCで、その意識が自信に変わったのが3区区間賞でした。そしてニューイヤー駅伝でしっかり走れた分、1つ高いレベルでやっていかないといけない。(直前の試合で)10000mはセカンド記録で5000mは自己記録でしたが、佐藤(敏信)監督から求められているのはもっと上ですし、自分でもこんなところじゃない、という気持ちはすごくあります」

 その年の10月には10000mで27分56秒78を出し、「来年(1年後の冬期)にはマラソンも考えているので、そこに向かってしっかり準備していきます」と、11月の取材で話していた。入社して2年間の停滞があったが、初マラソンが5年目になったのは「27分台を出してから」と西山自身が決めていたからだ。現在のマラソンで世界と戦うには、27分台のスピードは最低限の条件と考えた。

 初マラソンが27歳となったのは、しっかりと準備をしてから挑戦したかったからなのだ

●初マラソンの記録より価値のある世界陸上代表候補入り

 西山は入社してから将来のマラソン進出を見据えて「(自身でプラスして)走り込みもやってきた」という。佐藤監督が西山のマラソンへの適性に気づいたのは、20年の夏合宿だった。40km走を行った翌日も疲労で走れないようなことはなく、「ケロッと練習していた」という。西山のマラソン練習については「オーソドックス」だと佐藤監督は話す。

「距離を踏む時期にはしっかり距離を走り、調整の時期にはこのくらいのスピードと見極められる。その間にもジョグの距離は増えていましたね。今年のニューイヤー駅伝はチーム事情で4区(区間6位)になりましたが、それもマラソンに向けての練習に組み込みました。本人が言っていたように、服部たちの練習も自分の練習に取り入れています。試合と練習を上手くマラソンに結びつけられた」

 驚異的な距離を走るとか、40km走のタイムが飛び抜けて速いとかではなく、練習全体のコーディネイト能力が高い、ということだ。

 そのために西山は練習の継続を重視し、ウォーミングアップや体のケアなど、細かい部分も念入りに行っている。これも以前の取材で、練習の仕方について次のように話している。

「常に試合で生じた反省や課題を意識しながら練習しています。アップの仕方がよくなかったのかなと感じたら、練習のアップの仕方を変えて色々試したりします。以前の駅伝は中盤で休む(ペースが落ちてしまう)クセがありましたが、強度の強いポイント練習でもジョグでも、そこをイメージしながら走ることで練習の質が変わってくる。そのときもフォームを崩さないように心がけます。強度の低い練習でも課題に向き合えるのです」

 それだけ念入りに練習を行い、マラソンの準備をしてきた。その成果を別大の残り2kmで発揮することで“強さ”を見せた。初マラソンで2時間7分台を出した選手たちは今後が期待できるのは間違いないが、その大会で上位には食い込めなかった。それに対して西山は世界陸上選考レースで優勝したことで、世界陸上オレゴンの選考対象に入った。初マラソン日本最高記録に5秒届かなかったことよりも、世界陸上代表候補となったことが重要だった。

TEXT by 寺田辰朗


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