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【東京五輪-世界と戦った日本勢③】

男子走幅跳の橋岡が6位、フィールド種目唯一の入賞
東京で明確になった“パリのメダル”へのプロセス

 東京五輪フィールド種目日本勢唯一の入賞は、男子走幅跳の橋岡優輝(富士通)だった。大会2日目の予選を8m17(+0.4)で全体3番目の記録で通過し、4日目(8月2日)午前中の決勝は8m10(±0)で6位に入賞した。
 決勝は3回目の7m97(+0.4)で、5回目終了時点では8位だった。2年前の世界陸上ドーハと同じ順位(7m97・-0.2)で終わるかと思われたが、最終6回目に2人を抜いて6位に上がった。
 6回目の跳躍の、どこを修正して橋岡は記録を伸ばしたのだろうか。そして決勝で予選よりも記録を上げることの難しさはどこにあったのか。その一方で、パリ五輪への手応えも感じられた。どんな課題を克服すればいいとわかったのだろうか。

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●6回目にどこを変更したのか

 橋岡の1回目から6回目までの記録は以下の通り。カッコ内は風速と踏切位置(-5.3cmは踏切板を5.3cm踏み越したファウル)。
1回目 ファウル(+0.3・-5.3cm)
2回目 7m95(±0・+7.3cm)
3回目 7m97(+0.4・+1.1cm)
4回目 ファウル(+0.5・-4.8cm)
5回目 7m94(+0.3・+0.4cm)
6回目 8m10(±0・+3.2cm)
 橋岡自身は6回目に記録を伸ばせた理由を次のように話していた。
「5回目までは助走の中間が、少し浮いた走りになっていました。簡単に言うと鋭さに欠けていた。(予選から)中1日のタフな試合は経験不足のところがあったと思います。最後の6回目は、ここで悔いを残してはいけないと思って、ケガをしてもいいくらいの覚悟で跳びました」
 日大時代から橋岡を指導する森長正樹コーチは、鋭さがなかった理由を「本人は気持ちが上がっているのでわからない部分ですが、疲れがありましたね」と説明する。
「疲れた状態でも推進力を得るために、通常なら力みにつながるような力感で、最後の1本は思い切り行きました。力んで崩れても仕方ない、というか、通常ならスピードが上がって助走の最後が(踏み切りにつながるように)さばけなくなってしまいます」
 多少は賭けの要素もあったが、橋岡の場合は過去の国際大会でも、6本の中で修正を試みて1本は成功することが多い。成功率が高く、賭けという言葉は適当ではない。橋岡自身も森長コーチも、修正できると判断して“力んだ助走”に挑んだ。
「最後の1本はやれることはやりました」と橋岡。「記録としては満足できませんが、やれることはやったので納得はしています。悔いはありません」
 課題を残しながらも、悔しい試合にはならなかった。マイナスの位置から再スタートを切るのでなく、橋岡は少しプラスの位置から、より具体的に上で戦うイメージを持って再スタートを切る。

●全力で予選を戦った後の決勝の難しさ

 予選を全体3番目の記録で通過したことで、メダルの期待が高まったが「そんなに簡単なものじゃない」と森長コーチは認識していた。【東京五輪8日目注目選手】で紹介したように、

フィールド種目で入賞(好成績)するには、予選よりも良い記録を決勝で出す必要がある。
 力があれば予選を、ある程度はセーブして通過できるのだが、大半の日本選手はそれができない。橋岡も「予選をセーブして決勝だけに合わせる選択はできなかった」(森長コーチ)という。
 さらに今五輪は、男子走幅跳の決勝が午前中に設定されていた。予選は2日前の夜である。どの選手も条件は同じなので有利不利はないが、記録を出すということにおいては調整しにくい条件だった。
 だが予選を1本で通過したことで、多少は力を温存できた。「予選は1本ですが、アップからすべて、そこに合わせて全力を出しているのでダメージは残ります。それでも1本で通過できたので、3本跳ぶよりは余力が残ります」
 予選と決勝の間の1日では、「予選の疲労を抜くことと、少し体が軽い感じがあったので、もう少し地面を踏めるようにしようと接地的な部分」(橋岡)を行った。森長コーチによれば「ギャロップというドリル」などで調整した。
「タターン、タターンというリズムを強調する動きで、地面に張り付くように叩きながら踏み切りに入っていくところをイメージするドリルです。大きな大会になると気持ちが入って、体が浮き気味になりがちです。それを抑えるための対処法で、いつもやっていることですね」
 8位だった世界陸上ドーハでは、3週間前の日本インカレで脚を痛めて準備状況も違ったことに加え、予選通過に2本を要したため「疲れが今回より大きかった」(森長コーチ)という。
「予選が1本だったので、色々と対処できました。それで決勝の6本目でも、無理矢理でも記録を伸ばせたのかもしれません」
 決勝は8m10と予選の8m17より記録を落としたが、他の選手も同様に記録を下げていた。午前中に行われたことなど、予選より悪かったと言いきれない部分もある。
「以前からの計画では、ドーハでは予選で8m、決勝で8mが目標でした。今回は予選8m10、決勝8m10で確実に入賞する。それが予選8m20、決勝8m20にできればメダルも狙っていけます」
 橋岡本人はメダルを取る気概で臨んでいたが、6位入賞は現時点の力をしっかり発揮した結果だった。

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●パリまでに海外転戦でタフさを身につける

 橋岡がメダルを獲得するには、技術的な部分や体力(走力や筋力)的な部分に加え、予選・決勝を戦い抜く力が必要になる。
 橋岡はメダリストたちの記録を見て、「金メダル(8m41)も狙えた位置にいた」という思いを持った。それと同時に「海外のダイヤモンドリーグとか、ハードなところを知らない」とも感じていた。
 ダイヤモンドリーグも中1日で行われることはないが、1~2カ月海外転戦をすることでタフさ、経験値が上がる。今回金メダルを取ったM・テントグロウ(ギリシャ)とは試技中に会話もする仲だが(2人の対戦成績は手元の資料では橋岡の1勝3敗。1勝は世界陸上ドーハ)、トップ選手たちと知り合いになることで余分なプレッシャーを受けないで済む。
 今五輪でも「ドーハのときは“あの選手いるよ”と少し遠い感覚でしたが、今回は肩を並べる感覚」になっていた。それをさらに進めて、対等以上に勝負できる感覚にしていく。
 技術的な課題としては、今シーズン8m30前後が実測で出ていた織田記念や、8m36(+0.6)の日本歴代2位を跳んだ日本選手権のような高さが出ていなかった。
「予選はそれなりに出ていましたが、決勝は出ていませんでした」と森長コーチ。高さを出すためには助走スピードもそうだが、「踏み切り前の助走最後の部分で切り返しを速くする」ことが求められる。予選は8m17を跳んだが、踏み切りに合わせに行っていた部分もあった。
 東京五輪で自身に足りない部分もわかったが、それを克服できる手応えもつかむことができた。パリ五輪までの3年間でやるべきことが、国立競技場のフィールドで早くもイメージできたようだ。
 パリ五輪が待ち遠しいか、という質問に橋岡は即答した。
「待ち遠しくはありません。パリ五輪では金メダルを実現させるだけの力を付けていこうという思いが、今は一段と強くなっています。3年間をしっかりやりたいと思っていますから」
 橋岡が、真のトップジャンパーへと飛躍していく3年間が始まる。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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