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【東日本実業団駅伝・レビュー】富士通2連勝

五輪代表と日本記録保持者、マラソン2選手を温存でも底力
6区・潰滝が急追し、7区・横手がHondaとの勝負に決着

 富士通が接戦の末にHondaに勝利――東日本実業団駅伝は11月3日、埼玉県熊谷スポーツ文化公園陸上競技場及び公園内特設周回の7区間76.4kmのコースに23チームが参加して行われた。東京五輪10000m代表の伊藤達彦(23)が1区区間賞でトップに立ったHondaが、2区で8位まで後退したが、4区の東京五輪3000m障害代表の青木涼真(24)がトップを奪い返し主導権を握った。しかし前回優勝の富士通が、5区の東京五輪5000m代表だった松枝博輝(28)が追い上げを開始すると、6区の潰滝大記(28)が5km手前でHondaに追いついた。中継所ではHondaに1秒先着されたが、アンカーの7区・横手健(28)が、並走していた設楽悠太(29)を残り0.5kmからのスパートで振り切った。
 富士通が3時間40分04秒で2連勝を達成し、Hondaが8秒差の2位。Hondaから5秒差で日立物流が3位に入った。また12位のコモディイイダまでが元旦のニューイヤー駅伝出場権を獲得した。

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●福嶋監督も絶賛。潰滝が値千金の区間賞

 富士通の福嶋正監督はストレートにものを言うタイプの指導者だ。良くなければ「全然ダメだぞ」と一刀両断にする。その福嶋監督が表彰式終了後、6区を走った潰滝に「オマエが優勝の立役者だ」と声をかけた。
 潰滝がタスキを受けたとき、トップのHondaとは35秒差の3位。ここで差を縮めなければ富士通の2連勝は潰えてしまう。距離的には約200m先なので肉眼でもトップを確認はできたが、6区の距離は8.4kmと長くはない。少しでも早い段階で差を縮めたいところだが、潰滝は焦らなかった。
「最初の1kmは様子を見て、2kmから一気に上げて行きました」
 1周(4.2km)通過時のタイムは11分45秒。その時点ですでに、Hondaに約4秒差と迫っていた。レースの流れを完全に引き込んでいた。
 だが、潰滝のコメントにもあるように、決して無理をして追い上げたわけではない。2周目は11分49秒で、1周目からほとんどペースダウンしなかった。今大会は4区と5区も、6区と同じ距離(2周)である。4区に青木、5区に松枝と東京五輪代表2人が出場し、1周目のタイムは潰滝よりもその2人の方が速かった。しかし区間タイムでは潰滝が4、5、6区の3区間で最速だった。福嶋監督も「そこは評価できるぞ」と笑顔で潰滝に話している。
 潰滝は2周目に入って間もなく、Hondaの川瀬翔矢(23)の前に出た。川瀬も昨年の全日本大学駅伝2区で17人抜きを演じた期待のルーキー。引き離されなかっただけでなく、ラストスパートで潰滝に1秒先着してアンカーにタスキを渡した。
 逆転はできなかったが、流れは富士通に傾いた。
「久しぶりに潰滝らしい走りで、良い流れを作って同期の横手につないでくれた。潰滝の走りがなかったら優勝はなかった」(福嶋監督)
 潰滝は17年世界陸上ロンドン大会3000m障害代表だった。監督の褒め方はその代表を決めたときに次いで、2番目くらいの褒め方だったようだ。

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●松枝、潰滝、横手。後半3区間の同期リレーでHondaを逆転

 インターナショナル区間の2区を除き、Hondaが前半4区間中3区間で区間賞を獲得していた。2区区間15位のブレーキは痛かったが、4区の青木がトップに立ったときには、流れはHondaに傾いていた。それに対し富士通は、4区終了時点でヤクルト、日立物流にも先行されて4位だった。
 だが5区の松枝が区間2位でチームを3位に引き上げ、Hondaとの差も4秒ではあるが縮めていた。そして6区の潰滝が35秒あった差を1秒まで縮め、潰滝からタスキを受けた横手はアンカー勝負に徹する走りをした。設楽の後ろにピタリと付き、残り0.6~0.5kmで一気にスパート。2連勝のテープを切った。
「連覇がかかっていましたし、(最終的にチームの着順が決まる)アンカーだったので、設楽選手には申し訳なかったのですが、あの走りをするのがベストでした」
 昨年は故障で東日本、全日本とも駅伝メンバーに入れなかった潰滝と横手。その2人が今大会の勝負を決める働きをして、富士通の底力を見せる形になった。
 高橋健一駅伝監督は「今日はHondaさんが強いと思っていましたが、3区が終わって30秒差ならチャンスがあると思っていました。松枝、潰滝、横手の同級生3人で何とか来てくれないか、と期待していましたね」と考えていた。
 その期待に3人が応えたが、近年は3人の足並みが揃っていなかった。

●同期トリオの入社で駅伝成績が上昇

 同期3人は得意種目が異なる。
 松枝は日本選手権5000mに17、19年と優勝し、今年の東京五輪に出場した。1500mも日本トップクラスのタイムを持つ。潰滝は3000m障害の17年世界陸上ロンドン代表で、東京五輪は代表入りこそ逃したが標準記録まであと3秒49まで迫った。
 横手は日本代表こそないが、長距離選手の目標である10000mの27分台を持ち、ニューイヤー駅伝でも最長区間の4区を2度任されてきた。どんな距離の区間にも対応でき、駅伝への期待度は高かった。
 入社1年目のニューイヤー駅伝(17年)は3区・潰滝、4区・横手、5区・松枝と、富士通の主要区間を3人で担い6位に入賞した。区間順位は8位、4位、7位。富士通はこの3人が中心になっていくと誰もが思った。翌18年大会も、松枝は3区で区間3位と快走し、4区・横手が5位に後退したが、富士通はその位置をキープして5位でフィニッシュ。19年はマラソンを始めた中村匠吾が力をつけて4区を走ったが、1区・潰滝、3区・松枝、6区・横手でチームは4位。富士通は3人が入社してから6位、5位、4位と順位を上げ続けた。
 だが19年11月の東日本実業団駅伝で富士通は17位と大敗し、ニューイヤー駅伝の連続出場が途切れてしまう。直接的には6区選手がレース中に起こしたケガが原因だが、1区の潰滝が区間18位と出遅れたことや、横手がメンバー入りできなかったことも影響がなかったとは言い切れない。
 富士通チームとしては翌年にしっかりと立て直し、20年の東日本、21年のニューイヤー駅伝と優勝した。だが横手と潰滝は、どちらもメンバー入りできなかった。
 潰滝は駅伝までの過程でケガもあり、外されたことは納得できた。だが、胸中は複雑だったという。
「駅伝を2つとも走らず、一番近いところで優勝を2度見ていました。うれしさもありましたが、悔しさもありました。来年はこのメンバーに入れるよう、一から作り直して頑張ろうと強く決意しました」
 横手も同じだった。
「この1年、取り返す気持ちでやってきました。夏以降、オリンピックを走ったりして、みんな疲れが出てチーム状況は上がっていませんでした。自分がしっかり走ることで底上げをしたいと思って取り組んできましたね」
 2人が故障から立ち直っていなければ、富士通の東日本連覇はなかった。

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●同期の頑張りをどう受け止めれば自身の走りにつながるのか

 昨シーズンは松枝が東日本大会6区区間2位、ニューイヤー駅伝1区区間賞と、優勝メンバーに名を連ねた。松枝は個人種目の5000mでも20、21年と日本選手権2年連続2位、東京五輪代表入りと活躍していた。
 松枝の活躍が、潰滝と横手の刺激となっていたことは間違いない。だが具体的には、どういうプラスが調子を落としている選手に生じるのだろうか。ただ単に練習を追い込むだけで復調するなら、誰も苦労はしない。
「練習メニューが変わるというより、同期が頑張っていると、同じ練習でも自分の目的や意識が変わって趣旨が変わってきます」
 練習で同じメニューを行っても、どういう結果につなげようと思うかで、ペースなども違ってきて、身体的な変化が違ってくる。
「僕の場合は松枝の活躍で、メンタル面が違ってきたと思います」
 横手はケガが多くなったことで、体の使い方や、自分の状況を把握しながら練習することの重要さが理解できるようになった。以前は「自分の持ち味は気持ちの強さで、やればやるだけプラスになると思っていた」が、それだけではダメだと気がついた。
 前回のニューイヤー駅伝では、心の中に葛藤があったが、良い方向に向けられたという。
「松枝たちが駅伝で優勝してすぐにでも走り出したい気持ちでしたが、体を治すことを優先しないといけない状況でした。精神的にはきつかったですけど、自分の体のことを細かく見てアドバイスをしてくださる方、応援してくださる方がたくさんいて、上手く対処できたと思います」
 1人だけ走れていた松枝は、何か具体的な行動で2人を励ましたわけではないという。
「ときにはライバル心からバチバチやったこともありましたが、信頼しているからこそ、そういう部分を出せたんです。僕だって(成績が)悪いときもありますし、2人にも良いときも悪いときもある。2人が苦労している姿は見ていましたが、必ず戻ってくると信じて、僕は自分がやるべきことをやり続けるだけだと思っていました。だから今回、3人がタスキをつないで優勝できたのは本当によかったです」
 実際にタスキをつなげなくても、3人は心のタスキをつなぎ続けて来たのだろう。
 ニューイヤー駅伝では中村と鈴木、塩尻和也(25)が4区候補で、坂東、浦野雄平(24)と前回の東日本実業団駅伝で区間賞を取った選手も主要区間候補だ。3人が絶対に出場できる保証はないが、出場した選手はきっと快走する。そこに3人の絆があるからだ。

TEXT by 寺田辰朗


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