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【世界競歩プレビュー②】川野将虎

50km競歩東京五輪6位入賞の川野が自身初の35kmに挑戦

メダルを狙える川野のスピードと持久力

 競歩の世界最強国を決める2年に1度の祭典「世界競歩(世界競歩チーム選手権)」が3月4、5日の2日間、オマーンのマスカットで行われる。今大会から行われる男子35km(5日)には東京五輪50km競歩6位入賞の川野将虎(旭化成・23)が出場する。東京五輪後に貧血などもあり、状態が良くない時期があったなか、どこまで新種目で力を発揮できるのか。そして川野にとって初の海外長距離種目は、どんな意味を持っているのだろうか。

●50kmの伝統を35kmにつなぐ選手

 競歩関係者の間では川野はメダル候補に挙げられている。50kmは3時間36分45秒と世界歴代11位の記録を持ち、20kmでも1時間17分24秒の世界歴代10位を持つ。

 50kmの世界歴代20位までの選手の20km自己記録を調べたが、川野より上のタイムを持つのは、3時間32分33秒の世界記録を持つヨハン・ディニ(フランス)1人しかいなかった。つまり、50km選手としては世界で2番目のスピードを持つわけで、35kmと距離が短く変更される今回、50km選手の中では大きなアドバンテージを持つ。

 20km選手も多く35kmに出場してくるが

20kmでも前述のように世界歴代10位なのだから、彼らにもスピードで負けることはない。まさに35km向きの選手といえる。

 川野のもう1つの武器は“思い切りのよさ”だ。高校時代から全国タイトルを取ったトップ選手だったが、東洋大入学後はチームメイトで同じ静岡県出身、同学年の池田向希(旭化成・23)が急成長し、後塵を拝し続けた。再浮上するキッカケが大学2年時に50kmに挑戦したことだ。

▼川野将虎の50km競歩全成績
18年10月:全日本競歩高畠3位・3時間47分30秒=学生新
19年4月:日本選手権2位・3時間39分24秒=日本歴代2位(当時)
19年10月:全日本競歩高畠1位・3時間36分45秒=日本新
21年8月:東京五輪6位・3時間51分56秒

 高校生の競歩種目はトラックの5000mと10000m、ロードの5kmと10kmだ。しかし川野は高校時代から自発的に長い距離を練習で歩き、適性があることは自覚していた。大半の選手は大学入学時にどうやって20kmの距離に対応するかを考えるが、川野は50kmを歩きたいと考えた。

 その決断が川野を東京五輪6位入賞に導いた。池田の20km銀メダルは東京五輪陸上競技の日本人最高順位だったし、競歩種目では日本人過去最高順位だったが、より多くの経験が必要と言われる50kmで五輪当時22歳の川野が6位に入賞したことも価値があった。

 日本の競歩が世界に通じ始めた最初の種目が男子50kmである。東京五輪はその50kmが世界大会で実施される最後で、今回の世界競歩チーム選手権から35kmになる。

 東京五輪後の取材で川野は次のように話していた。

「50kmは今回で最後になりますが、五輪の4大会連続入賞を達成できたことで、先輩たちがつないできたバトンを、新種目の35kmにつなげたと思っています」

 世界大会で実施される最初の35kmに挑む役割を、川野に託すのは当然と言えた。

●東京五輪後の「油断と慢心」が貧血に

 その川野が今大会に万全の状態を作ることができなかった。1月に入ってかなりの貧血になり、ペースの遅い練習もできなくなったという。1月に貧血の症状が現れたということは、それまでの食生活が良くなかった。

 ポイント練習はしっかりやっていたが、栄養への配慮やフィジカルトレーニングを丁寧に行うことなど、見えない部分がなおざりになっていた。そこをスタッフから指摘され、川野も思い当たるところがあった。大学時代に酒井俊幸監督から教えられた“凡事徹底”の言葉を改めて考えたという。

 TBSのアンケートに「東京五輪が終わった後は、東京五輪の結果に油断と慢心があった時期もありました」と書いたのは、そのことを指しているのだろう。「基礎練習を怠ると、力が一気に落ちてしまうことを身を持って感じたため、フィジカル練習や、フォーム練習などの基礎練習を大事にするようになりました」

 東京五輪は酒井瑞穂コーチの指導のもと、身近な池田の存在もプラスにして、真っ直ぐに突き進めたことで結果を出した。50kmの伝統を35kmにつなぐ役割もあるが、その前に川野自身がもう一度、強くなった過程を再確認する意味がある大会だ。

 再確認するだけでなく、今後世界と戦う上で足りていない部分も見つけたい。20kmでは19年のユニバーシアードで池田に次いで2位になっているが、強豪といえる外国勢は出ていなかった。50kmレースに出場したのは4大会で、東京五輪も含まれるもののすべて日本国内のレースである。

「今大会は国際審判がいて、各国の代表メンバーが多数出るレースです。次回のオリンピック、世界陸上に向けて課題を明確にするため出場を決めました」

 川野にとって世界競歩チーム選手権は東京五輪で届かなかったメダルを取るため、再スタートと位置づける大会なのだ。

●思い切ったレース展開ができる選手

 今回はメダルを目指すとは言えないようだが、その状況でも期待できるものを川野は持っている。前述の“思い切りのよさ”がそれで、これまでのレースでも発揮されてきた。

 川野は池田のストイックかつ緻密な取り組みを参考にしてきたが、性格を比較すれば大胆な部分が川野にはあり、レース展開的にも思い切ってペースを上げられる。日本記録を出した19年高畠大会では途中、1kmのラップを4分22秒から4分04秒まで上げていた。

 東京五輪でもそれが現れたシーンがあった。川野は100 %万全の状態で臨めたわけではなく、内蔵の不調から41km付近で中央分離帯に突っ伏しておう吐してしまった。しかし、すぐに立ち上がると43kmまでに2位集団に追いついた。

 東京五輪後の対談取材中に池田は、「そこで力を使ってしまったのでは?」と川野に質問している。自分だったら残り8kmあることを考えて、徐々に差を詰めて行ったという。それに対して川野は「メダル争いに加わりたい一心だったんだと思う。自分の性格を考えても、最後の体力を気にするより、瞬時の判断で勝負に加わったことで力が出せたと思う」と答えていた。2人の性格の違いを示すエピソードだろう。

 今回も貧血の影響で万全の状態で臨めないかもしれないが、いざレースになれば思い切った歩きができる。思いの強さがマイナスに働かず、プラスに現れてきたことも多い。東京五輪でも最後の50kmで伝統を守る思いが、歩きに出ていたと川野自身は感じている。世界競歩チーム選手権でその伝統を35kmにつなげる使命感も、川野ならばプラスとなって現れるはずだ。

 良い意味で開き直ることができれば、初の世界大会35kmで川野はメダルに挑戦できる。

TEXT by 寺田辰朗
写真提供:フォート・キシモト

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