2021年8月22日放送「風をよむ~アフガニスタンはどこへ…」
突如、アメリカを襲った、9・11同時多発テロ。
ブッシュ大統領(当時)「全ての国は、決断しなくてはならない。我々の側につくか、テロリストの側につくか…」
そのアメリカが、報復の矛先を向けたのが、アフガニスタンでした。アメリカは、同時多発テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン容疑者を、タリバン政権がかくまっているとして、イギリスと共に、アフガンを攻撃したのです。
タリバンといえば…、
同時多発テロの前の2001年3月、歴史的価値の高い大仏を爆破して、世界中から非難を浴びせられた、過激なイスラム主義組織。
タリバンが政権を握るアフガンでは、女性の社会進出や教育を禁止するなど、自由が厳しく制限されていました。
アフガン市民(2001年)「タリバンが来てから、働くことを禁じられ、何も出来ない」「女の子は外を出歩けない。そんなことをしたらタリバンに鞭で叩かれる」 「今は暗黒の時代。自分たちの国で囚われの身なんです」
そんなタリバン政権を、圧倒的な力で崩壊させたアメリカ軍の到来を、人々は新たな時代の幕開けと受け止め、解放感さえ味わいました。しかしアメリカ軍は、民主政府を支えるために、その後もアフガンに留まり、各地に潜伏していたタリバンへの攻撃を繰り返します。
アメリカ軍の爆撃で、多くの市民が巻き添えに…。
市民「空爆されて、家族も何もかも失った…」「アメリカ軍はタリバンから攻撃されると、激しく反撃するから、村が全滅してしまった」「アメリカ兵が増えれば増えるほど、アフガン国民の外国への敵対心や怒りも増していく」
「力による支配」を強める、アメリカ軍への不信感を背景に、武装組織による爆弾テロも頻発。
こうした、泥沼化が進む中、アフガンの人々に寄り添い、復興支援をひたむきに続ける、日本人の姿がありました。
アフガニスタンの人々への支援を続けた、日本人医師、中村哲さん。医師でありながら、地元住民の生活を支えるため、自ら重機を操り、農業用の用水路建設に、懸て命に取り組んでいました。
中村哲さん「私は医師だが、用水路なしにアフガニスタンの人たちは生きていけない。水なしで生きていけない」
「なぜ、困っている人たちを救うのか 」と、問われた中村さんは・・・
中村哲さん 「みんなが泣いたり、困っているのを見ればね、誰だって“どうしたんですか? ”って言いたくなる。そういう人情に近いもんで… 」
こうして、地元の人々との信頼を築いていく中、中村さんは、アフガンの人々に苦しみをもたらしている背景に、気づきます。
中村哲さん(2009年)「『悪のタリバン』対『正義の味方アメリカ』という観念を、“戦争の大義”を作るために、作らざるを得なかった。その一種のフィクションのほころびが今、出てきている」
同時多発テロ後、日本国内では、アメリカ軍支援のための自衛隊派遣が議論となり、中村さんも、国会に招かれ意見を求められました。
中村哲さん「自衛隊派遣が取り沙汰されているようでありますが、当地の事情を考えますと、『有害無益』でございます!」
武力で平和は訪れない。現地での経験で培われた、自らの信念。中村さんは、著書の中で、こう書いています。
「利害を超え、忍耐を重ね裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる― 」
しかし、突然、悲劇が襲います。おととし12月、中村さんが乗る車を、 武装集団が銃撃。中村さんは、帰らぬ人となりました。犯行グループや、その動機など、事件の詳細は未だ不明です。
アフガン市民「中村さんにはお世話になった。その遺志は、心の中にずっとあります」
そしてこの夏、ようやく終局を迎えた、20年に及ぶアフガン戦争。この間、アメリカが投じた戦費は100兆円を越え、アメリカ兵の死者は2千人以上。また、アフガン側の死者は、推定でおよそ16万人。その内、民間人の犠牲は4万人を超えています。
この戦争で、アメリカは何を得、何を残したのでしょう?
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