EU離脱noteタイトル

英EU離脱 その直前、離脱派の街で


鉄鋼プラント2

長く続く砂浜の先に、今は動きを止めた鉄鋼プラントのインダストリアルな威容が見える。風が強い。あおられた砂が、浜の表面をホラー映画の霊気のように、舐めるように流れていく。

追加4

REDCAR(レッドカー)。イングランド北東部。ちょっと空っぽなシーサイドリゾート。かつて賑わった鉄鋼労働者の街。

メイン通り1

追加46

今はハイストリートにも空き店舗が目立つ。失業率は5.6%と、全国平均の3.9%と比べると45%高い。

あと3日でイギリスがEUを離脱する、というタイミングで訪れた理由は、2016年の国民投票でこの街を含む選挙区は3分の2が離脱に入れたこと、そして、この伝統的な労働党エリアにおいて一か月前の総選挙で、初めて保守党が勝利したこと。

ここの人たちに改めて今、離脱について聞いてみたかったのだ。

海辺の道

浜辺通りで風景を撮影していると黒ぶち眼鏡に髭を生やした40前後の男が話しかけて来た。取材の主旨を説明した後、聞いてみた。選挙でなぜ保守党が勝ったの?

「ブレクジットが理由だ。一点の疑いもない」

3年半にも及ぶ議会での議論は不必要なものだったとは思わないが、離脱に入れた人たちの多くにとっては「何をぐずぐずしているんだ」「議員たちは我々の示した意思を無視するのか」と映っていた。そのフラストレーションの中で首相になったジョンソンは選挙を「Get Brexit Done」(離脱を成し遂げよう)のキャッチフレーズで戦って圧勝した。かつての労働党エリアをひっくり返した結果だった。ここの選挙区はそのトレンドど真ん中だった。

眼鏡髭男に、貴方は保守党に入れたの?と聞いてもはっきり答えない。でも話しぶりから、もともと保守党支持者なんだろうと推測される。そしてこの地域で保守党支持者だと公言することへの仄かな警戒感も。

海辺の映画館跡

「ティーサイド(この地域を流れるティー川の沿岸)のポテンシャルはずっと活用されないままだった」「離脱すればフリーポートもEUに縛られずにできるようになる。雇用も生まれるだろうし」

それはジョンソン首相の言っていることとほぼ重なっていた。

ビーコン

実は9年前にもこの海岸に立ったことがある。当時は労働党から政権を奪った保守党キャメロン首相・オズボーン財務相のコンビが緊縮策を発動したころで、その取材だった。地方自治体への補助金が絞られ、訪れた公立学校は補修もままならない状態。労働者の社交場である労働者クラブで話を聞いた人たちはロンドンの政府に(また)見捨てられた、とのセンチメントが重かった。保守党への反感は強かった。

冒頭で紹介した鉄鋼プラントはこの地域の誇りであり象徴だったが、9年前の取材当時は存続の危機を迎えていた。その後、タイの企業が買収したが、鉄鋼価格の下落などから2015年には現地法人が清算に追い込まれた。当時は2200人以上が職を失ったという。

風力発電と犬と人2

風力発電と人

鉄鋼プラントは動かなくなったが、砂浜からほど近い沖には前回の来訪の際にはなかった風力発電のターバインが数十基立っていて何だかちょっとシュールな風景になっている。その妙さがツボにはまって、カメラマンの宮崎にいろいろ撮ってもらった。


夜。

クラブ外観

前回来た時とは別の街の労働者クラブに行ってみた。
エストン。ここも労働者の地区だ。

クラブひき

スヌーカー1

パブのようなカウンターがあり、テーブル席がたくさんあり、4つほどある台で男たちがスヌーカーをしている。

併設されている多目的スペースでは葬儀後の会食が行われていた。

追加17

ここのカウンターで1パイントのビールはいくら?と聞くと£2.67(英ポンド)だという。ロンドンの半分だ。

クラブ内

取材の主旨を説明して話を聞こうとする。2組断られた。3組目、比較的若い男3人組。中でも最も若そうな、腕にタトゥーの入った男は酔っぱらっているのか、大きな声でまくしたてる。

「ロンドンの政府が保守党だろうが労働党だろうが関係ない。奴らはここの地域のことなんてどうでもいいと思ってるんだよ」

そんな趣旨の話を繰り返す。勢いがありすぎて横にいる友人2人(ともに坊主頭)は苦笑しながらツッコミを入れたり冷やかしたりしていたが、そのうち興味を失ったようだった。とりとめのない話だったのでカメラは回さなかったが、センチメントは以前とあまり変わっていないのだなと何となく伝わってきた気がした。

ジョンとデイヴ

別のテーブルで飲んでいたジョン(写真左・63)とデイヴ(写真右・69)。彼らもロンドンへの不信感を口にする。

デイヴ「ロンドンはいいよな」
ジョン「あっちはカネがあるんだよ、デイヴ」
デイヴ「北東部には無いんだよ」
ジョン「南北格差ってやつだよ」

デイヴは建設業で、5つ店を持っているという。(結婚3回。子供の数は20を超えるとか)国民投票では離脱に投票した。快活に滑らかにジェスチャーを交えて話す。なぜ離脱に投票したのか、と問うと、

「イギリスはEUに金を支払っている、それは俺たちの税金だ。でも俺たちはEUから何も得ていないからだ」

というのがメインの理由だった。EUにいてもいいことなんかなかった、と。

「このあたりはみーんな昔から労働党に入れてきたんだ。」と話すデイヴは、前回の選挙では保守党に入れた。

なぜ?と問うと「コービン(労働党党首)には我慢できない」という。今回の選挙で労働党支持者からもよく聞いた話だ。でも具体的に何が?と問うと「差別主義者だ」「反ユダヤ主義だ」「左翼すぎる」と、タブロイド紙の記事そのままのことを言う。「離脱の政策があやふやだったから」が少なくとも最初に出てきた答えではなかった。

追加22

ではジョンソン首相はどうなの?と聞くと「今のところ有言実行だ」「正直だ」と評価している。細かく見るとそんなに有言実行でもないのだけど、こういう印象を持たせることができるのがジョンソン首相の得なところ。でも保守党ですよ?キャメロンとオズボーンの緊縮財政の頃はしんどかったんじゃないんですか?と聞くと、デイヴもジョンも「いや、まだ大丈夫だったよ」と答える。そうだったんだろうか。

その一方で「労働党政権はこの地域に何もしてくれなかった」と言う。この地域の経済に詳しい人に聞くと、これは当たっているらしい。ブレア、ブラウン両首相の時代、この地域が恩恵を受けたという感覚は持たれていない。

ジョンソン首相は「レッドカーをブルーカーにすることができた!」(赤は労働党、青は保守党の色)と選挙の夜にダジャレで豪語したが、下地はずっと前から耕されていたのだろう。

デイヴとは対照的にジョンは少し高めの声を絞り出すように話す。今は規模を大幅縮小して残っている鉄鋼業関連の現場で働いている。かつては国営だったブリティッシュ・スティールだ。中国企業が買収に興味を示していて、ジョンはそれに期待している。選挙で投票したことはない。国民投票でも、離脱にも残留にも入れなかった。「どっちもウソをつくからどっちに入れればいいかわからなかった」という。

ジョンは、17歳で働き始め、ずっと現場労働だった。

ジョン

「今も最低賃金で働いているんだ。生きていくのがやっとだよ。借金返してローン払って・・・」「俺は人生ずっと肉体労働やってきたんだよ。肉体労働者だよ。」

追加35

ジョンの手を見せてもらった。指の一本一本に文字が刺青されているがよく読めない。厚みのある、それでも柔らかさもある手だった。

追加34

「労働者の手なんだよ」

そうですね、本当にそうですね、と相槌を打つ。

ジョンは続ける。

「若い世代が心配なんだよ。今ここで育っている世代が。だってここには何もないんだよ。ろくな仕事がないんだよ。」

「何もないよな」とデイヴが同意する。

その状況は、EU離脱で変わるんですか?と聞いてみた。

ジョン「わからないよ。やってみないとわからないんだよ」
デイヴ「期待はしているよ。ジョンソンが何とかしてくれるといいけどね。ダメだったら次は投票しないよ」

不満ははっきりとそこに見えていたから離脱に入れたけど、政治家たちが語る「離脱したらこんなにいいことがある」というビジョンは彼らにとってはぼんやりしていて、よく見えない。それがこの地域に何を意味するかについて、なんて尚更だ。

追加21

最盛期は労働者でごった返していたのがすっかり寂しくなったこのクラブで出会った他の人たちも、同じような、漠然とした期待に漠然とした不安が何滴か垂らされて沈殿している、そんな雰囲気だった。

追加18

隣の葬式後の会食はいつの間にかカラオケ大会になだれ込んでいて、若い女性2人の調子の外れた、それでも威勢のいい歌声が響いてきた。

翌朝、レッドカーから隣のミドルスブラに移動して、北東イングランド商工会議所を訪れる。昨夜とはだいぶ空気の違う小ぎれいな建物。

追加51

政策部門のレベッカ・アンダーソン副主任は、

「この地域での国民投票の結果は、EUに対する好き嫌いだけじゃなくて、もっと複雑なんだと思います」「様々な不満があって、中央に何か文句をぶつけたい、そういう意味もあったんじゃないでしょうか」

と話した。

彼女は、EUの地域振興の補助金も、単一市場に参加していたことも、この地域の経済にとってはとても有益だったという。労働者クラブの人たちとは違う見方だ。一方で、労働者クラブの人たちが「まあ大丈夫だった」と答えた、キャメロン&オズボーンの緊縮策については「負の影響がとても大きかった」と言う。同じ地域で話を聞いていてもまるでパラレルユニバース。

追加8

昨日話を聞いた人たちはあまりEUに恩恵を感じていなかったようですけど?と聞くと、

「確かにEUの補助金は、いろいろと制約がついていて、この地域の喫緊の課題にピッタリ対応してはいなかったかもしれませんね・・・」

との答えだった。

これも典型なのかもしれない。EUメンバーでいることの意味や恩恵は確実にあった。でも、その意味や恩恵を感じられる人と感じられない人がいるのだ。よく言われてきたことではあるが、離脱直前の北東部で改めてそれが腹に重く沈んだ気がした。

画像15

その気分は、前の晩遅くに食べたご当地B級グルメ「パーモ」(サイズ大き目のチキンカツレツの上に焼いたパルミジャーノチーズとソースが乗っているカロリー爆弾)のせいだけではない、と思う。

翌日、離脱の日、ジョンソン内閣はイングランド北部サンダーランドでわざわざ閣議を開いた。離脱をしたら、北部をちゃんとケアする、というパフォーマンスだ。

追加55

ジョンソン政権は、今回の選挙でターゲットの一つだった北部への投資を約束してきた。レッドカーの砂浜から見える鉄鋼プラントはビジネスパークなどに作り替え、2040年までに2万人の雇用を生み出すんだそうだ。深い港を生かした物流拠点としての機能を再生し、デジタル産業や再生可能エネルギーといった先端分野も呼び込む。そんな約束が果たされれば、地域経済にとってはもちろんプラスになるだろう。その恩恵が、ジョンのような労働者階級にまで行き渡ればいいと思う。でも彼らが言うように「やってみなければわからない」けど。

画像17

離脱の夜、ロンドンの議会前で、ナイジェル・ファラージEU離脱党党首をメインアクトとする離脱派の中でもハードコアな人たちの集会を取材に行った。ブラスバンドがクイーンの「We Are The Champion」や「We Will Rock You」を演奏して離脱派の人たちがシングアロングしている。

イギリス人集団

秋にインタビューしたブライアン・メイは確固とした残留派。この光景を見たらどう思うだろうか。「Final Countdown」も演奏されたがオリジナルは「ヨーロッパ」という名の北欧メタルバンドの曲だ。皮肉ですね。

労働者クラブでジョンに、離脱の夜はどう過ごすのか?と問うたら「金があればいいし、なければ借りて、ビール飲んで、かけ事をして・・」と言っていたけど、どうしただろうか。(ここに書けないようなことも言っていたけど割愛)

商工会議所のレベッカは「(離脱の瞬間の)午後11時にはもう寝床に入っていると思う」と言っていた。

おれ

そんなことを考えているうちにカウントダウンが始まって、私は実況を始めた。今、確かに離脱へのカウントダウンをしているけれども、これは本当は何に向かっていくカウントダウンなのか、それがしっかり見えている人はいるんだろうか、そんな考えが一瞬よぎって、言葉にしようかと思って、でもやめて、実況をちょっとつっかえた。


ロンドン支局長  秌場 聖治

報道局社会部、各種の報道番組、ロンドン支局、中東支局長、外信部デスクを経て現職。音楽好き。ドラマー。最近のUKバンドでお気に入りは black midi。