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流産ともいえない流産になった時の話④

これは誰に伝えるでもない、ただの覚え書きだ。
私が勝手に喜んで、勝手に落ち込んだ2週間を忘れたくないがために書く文章だ。
人によってはこれを読むことで落ち込んだり気分が悪くなったりするかもしれないので、気をつけてほしい。自己防衛は大事。

予約診療日までの過ごし方

ようやく授かった。

たった5周期の妊活で何を、という考えは一旦置くことにして、とにかく念願の子どもがこのお腹にやってきた。
嬉しくて、信じられなくて、なんだか複雑な気分だった。
妊娠検査薬で陽性になった11月26日は記念日になるかもしれないぞ、なんてことも思っていた。

その時には年末年始の帰省の話が進んでいたから、もしかしたら帰れないこともあるかもしれないと、もう一度検査薬で陽性が出たタイミングで、早々に両親に報告した。
父は夫と同じく「まだ分からない」と口にしながらもソワソワしていて、母は「よかったね」と孫の顔が見れそうなことを喜んでくれた。

それから、ほとんど毎日のように妊活の相談をしていた友人と、近々飲みに行く約束をしていた友人にも報告した。2人とも素直に喜んでくれて、いい友達を持ったなあなんてしみじみ思った。

それからはもう、流産の可能性に怯えながら浮かれるという、どっちつかずの状態だった。
何せ「チェックワンファスト」で検査をしているから、診察までが遠い。

それでも「初めてのたまごクラブ」の発売日をチェックしたり、順調にいったらという前提付きで友人からマタニティ用品を譲り受ける話をしたり、子どもが産まれたら必要になるものを考えたりと毎日が楽しかった。

つわりもあった。

毎日嘔吐して、本格的なつわりはもっとひどいかもしれないから、やっぱり年末年始の帰省はやめた方がいいかもしれないと両親と話していた。
気持ち悪さや生理痛のような腰痛、頭痛は辛かったけど、これがつわりなら赤ちゃんがお腹にいる証拠だと思えて嬉しかった。

「チェックワンファスト」で陽性が出てから1週間後の12月3日。
今度は「ドゥーテスト」を持ってトイレにこもった。やっぱり陽性で、線がはっきりと濃く出ていた。
化学流産の可能性は少ないかもしれない。大丈夫かもしれない。希望を持った。

だけど、気になることが出てきたのはそれからすぐのことだった。

12月5日、それまで36.80℃以上を保っていた基礎体温が少し下がった。
下がったといっても、36.69℃だったから、そんなに気にするほどでもないかもしれない。

翌12月6日は36.71℃。回復した。
けどこの頃から気持ちは落ち着かなくなった。

12月7日、ついに基礎体温が36.49℃になって、危ないかもしれないと思うようになった。
それからは検索魔になって「基礎体温 下がった 妊娠継続」とか「陽性後 流産 兆候」とか、1日中スマホで検索した。

そして12月8日、病院の予約をとった日の前日。基礎体温は36.51℃。
朝7時に起きた時、基礎体温を測りながら、あ、と思っていた。
案の定、トイレに行くと、下着にべったりと鮮血がついていた。

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