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1年前の今日

ペルーを出国した日からちょうど1年。
ちょうど1年前の累計感染者数は約5800人、死者は約170人
それがこの1年で累計感染者数は約16万人、死者は約54000人に膨れ上がった。
ペルーで初めての感染報告が出てからつけ始めた感染者推移の記録は、帰国した今もやめるきっかけを失い、記録し続けている。

ちょうど1年前、2020年4月10日の日記にはこんなことを書いていた。

ついにペルー出国。
リマの軍用基地からチャーター機に乗るタラップの一段目に足を乗せたところで、
「あぁ、本当に離れるんだ」という実感。
機内は一人分の座席を空けて座るようにとの指示。
機内食の提供はなしで、入り口でスナックをもらった。これまでの隔離生活で食べようと思って買っていたgalleta(ビスケット)がたくさんあったので何も困らなかったけれど。
リマからメキシコシティまでのフライトは5時間20分。
うとうとしたり本を読んだりしたらあっという間だった。
初めてのメキシコの地をこんな形で踏むとは思わなかった。
ホテルからリマの空港へは物々しい大移動で、
朝5時に朝食のランチボックスが届き、6時にはチェックアウトしてロビーに集合。検温されて、大使館職員がバスの入り口で名前のチェック、バスに乗り込む。
バスは合計3台、先頭は警察が先導するという人生初の経験。
メキシコシティの空港横のホテルに今日から3泊。
リマのように3食お弁当が出るわけではないので、空港のレストランや売店を利用して食料調達をしなくてはいけない。

もうすぐ帰国して1年。去年の今頃は、ペルー出国前の時間をリマのホテルで過ごしていた。
あの時はまだ、こんなに長く日本にいることになるなんて思ってもみなかった。数ヶ月したら、日本からのお土産をたくさん持って、「いや〜、大変だったね。大丈夫だった?」なんて言いながらワラスに戻るつもりだった。
あの頃は日本の方が状況が悪かったし、むしろ感染者がたくさんいるところに行きたくないな、くらいのことを思っていたくらい。
でも、その後のペルーの爆発的な感染拡大を考えると、JICAの判断に感謝しているし、あの帰国オペレーションに関わってくださった全ての人々、ペルー政府にも本当に感謝している。

4月8日に任地のワラスからリマへ移動する時の運転手さんたちも、朝早くに私たちを乗せワラスを出て、陸路で片道8時間ほどかかるワラス⇄リマ間を日帰りしてくれた。移動制限があり、夕方6時までにはワラスの県境に入る必要があったから、本当にギリギリの移動だったに違いない。

ペルーからわずか数ヶ月で帰国して、自分の力ではどうにもできないことだったけれど不甲斐なさしか残っていなかったので、自分がペルーにいたことをあまり周囲に伝えたくない時期もあった。
それでも、昨年度勤めた小学校で、ふとしたきっかけで子どもたちが関心を持ってくれたことで日本の外で生活をすること、それも普段触れる機会の少ない言語を話していたということは、子どもたちにとってのひとつの学びの機会だったのかもしれない、と思った。

前任の学校を退職するとき、数人の先生から「6年生の教科書に国際協力の話が出てくるんです、もっと早く知っていたら、先生に話してもらえばよかったな」と言われた。
今思えば、もう少し勇気を出して早く伝えていれば良かった。フルタイムで学校にいたわけではなかったから、どこか遠慮していたところもたくさんあって、それが子どもたちの学びを広げる機会を少し狭めてしまったのかなと思うとちょっぴり申し訳ない。
でも、この経験が「私も胸を張ってJICA海外協力隊経験者だということを言っていいんだ」と思えるきっかけにもなった。

ペルーを離れて1年、なんとなくアニバーサリーなので言葉にしてみた。

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