日本在宅救急医学会の道のり①
「在宅医療の救急医療の一つの病院連携」:外部からの評価
私たちは、「在宅医療と救急医療の一つの病院連携」は、在宅医療と病院医療を結びつける点で、地域医療を充実させる力があると考えています。私達の臨床研究もそれを示していました(詳しくは「在宅医療の真実 小豆畑丈夫著、光文社新書」に書いています)。私たちは、このような医療にとって好ましい成果は、自分たちだけで温めていてはいけないと思っています。きちんとデータをまとめ、公的な場所で発表し、皆様から評価をいただく。そして、ほかの地域でも有用であれば利用してほしいし、私たちのやっていることに改善点があるとすれば、それをご指摘いただいて、さらに進化を目指す。そのように、現状に自己満足せずに、次に進んでいきたいと思っています。そこで、まずは、外部評価の場所を医者の学術集会に求めました。できるだけ、たくさんの医療者が集まる医学会の学術集会で発表・公表することで、皆様の評価をいただこうと考えたのです。
手始めに、私は、私のホームグランドといえる学会である、日本救急医学会の学術集会で発表することを選びました。この学会は、日本の救急医の総本山といえる学会です。年一回、全国規模の学術集会が行われます。2016年は、当時の日本救急医学会の代表理事(いわゆる一番偉い人です)横田裕行先生が主催者でした。11月に3日間にわたって開催されました。そのなかで、「終の棲家と高齢者救急―在宅医と救急施設の円滑な連携を目指してー」というセッション名で、演題が募集されたのです。私は、驚きました。救急医学会の学術集会で、「在宅医」という言葉が使われた初めての瞬間であったと思います。その頃の救急医学会のメインテーマといえば、外傷や心停止の対応、ドクターヘリによる救急医療、東日本大震災に代表されるような災害医療、または私の専門である敗血症の診療などでした。そのような雰囲気の中で、このセッションが組まれたことに私は驚いたのです。このタイトルを見て、「僕たちが取り組んでいることではないか」と興奮しながらパソコンに向かい、演題登録したのをいまでも覚えています。そして、私の「一つの病院連携の中間報告」の研究演題は採択されて、この学術集会で発表する機会を得たのです。2016年11月17日、午前8:00ごろ、私は照沼秀也先生と一緒に会場にいました。パネルディスカッション前の演者間の話し合いのためです。私は照沼先生に言いました。「先生、これはだめだ。学会初日の一番初めのセッションは、全然人が集まらないんです。全国から人が参加するのに、朝一番だと前日入りしないと間に合いませんからね。それに、救急医学会で在宅なんて、だれも興味ありませんよ・・・。きっと、僕たち発表者だけじゃないですかね。こんな広い会場を準備しちゃって、ガラガラじゃないですか?寂しい会になると思いますよ・・・。」。照沼先生は、小さく笑っていました(図)。
ところが、発表前の打ち合わせを終えて、会場に入ってみると、驚くべき光景がそこにありました。なんと、200名が入る会場が満杯なのです。立ち見の人もいました。全国から救急医がこの部屋に集まっているのです。こんな早朝に集まっているということは、この救急医たちは、在宅医療の救急問題に興味を持って集まってくれたことの証拠です。私は、「地域医療の問題に悩んでいるのは、僕たちだけではないんだ・・・。」と発表前に考知ることになりました。そして、僕たちの成果をきちんと話して、皆さんに知ってもらわなくちゃ、と、奮起して演者席に上がったのです。
パネルディスカッションは聴衆の真剣なまなざしの中で進んで行きました。質疑応答も活発でした。聴講している医師たちから、鋭い質問が矢継ぎ早に、発表者である私達に投げられました。どれもが、臨床の現場で実際に起こっている問題です。みんなが現場で困っていることがひしひしと伝わりました。わたくしは、自分でわかること、わからないことを、できるだけ丁寧に分けてお話ししました。わからないことは、これから一緒に考えていきましょうと質問者にお願いしました。救急医学会では珍しいことですが、海外で活動する医療系ジャーナリストからも質問の手が上がりました。「在宅医療と救急医療が一緒に、急変した在宅患者の診療をするということ、患者の立場から考えれば当たり前のことだと思います。なんで、これが、特別なのですか?」。この質問には困りました。このときは、苦し紛れに、考え方の違いや、教育の違いなどを話したと思います。しかし、この問題がのちのわたくしたちを苦しめることになるとは、このときは全然気づいていなかったのです。その話は次の「第2章 3.続く、私たちの挑戦:日本在宅救急医学会の発足」でお話しすることになると思います。
結果から言って、この発表はこの会場にいた医師やジャーナリストの人たちにある種の刺激を与えたのだと思います。なぜなら、発表後に、10人くらいの医師から質問を受け、報道系の会社3-4社からその場で取材依頼を受けることになったからです。わたくしは、年間に20回ほどの学会発表をしていますが(現在は減っています)、そのような経験は初めてでした。
取材を受けた結果の記事の2編をご紹介します。どちらも、小豆畑病院といばらき診療所に記者が入り、綿密に取材をされた後に書かれた新聞記事です。一部を転記させていただきます。
1.
在宅医×病院 どう連携
手術、終末期・・・患者の安心のために
医療や介護が必要な高齢者が自宅で安心して暮らせるようにするには、在宅医と地域の中核病院との連携が欠かせない。だが、患者本人の意思に反して病院に入院したまま家に戻れなかったり、終末期に延命治療を望まない医師を書面で示しているのに、蘇生処置を受けたりする例が少なくない。在宅医と救急医らが一緒になって課題に取り組む・・・。
朝日新聞全国版2017.7.26
2.
茨城県の在宅医と救急医が取り組む「一つの病院連携」
高齢者の搬送に備え
在宅医と救急医が連携
自宅で療養する高齢者の様態が悪化し、救急にかかるケースでは、在宅医と救急医の連携が求められる。茨城県日立市の〇〇〇さん(84)は、のみこむ力が低下し、6月に救急医療も行う小豆畑(あずはた)病院(茨城県那珂市)に入院した。訪問診療を行う「いばらき診療所ひたち」の紹介だった。リハビリテーションを受け、2か月で退院。引き継ぎを受けた在宅医のもとで、自宅での生活を再開できた・・・。
読売新聞全国版 2017.12.27
このように他者から評価されることで、私たちは、「一つの病院連携」が有する地域医療を変えるかもしれない可能性を、外部から教えてもらいました。これは、「私たちだけ、茨城県北部だけで、満足しているわけにはいかないぞ」と考えることにつながりました。そして、「生きるをささえる在宅医療」を深く考え、より広く発信していく方法を考えるようになったのです。
日本の医療は、①病院・診療所②在宅(施設含む)医療、の2層構造になっていると考えています。それなのに、その2つの医療の両者の連携が悪く、患者さんに不都合を強いている。私は、この現象は茨城県だけにとどまらないことを、学会で発表したり、各種の高齢者医療を考える委員会に参加することで知りました。次第に、「一つの病院連携」は日本全体で考えるべき課題なのかもしれないと考えるようになったのです。それが、次章でお話しする、日本在宅救急研究会発足につながったのです。
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