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坂本龍一さんに捧ぐ

Acceptance ー映画Little Buddha エンドテーマー に見つけた美しい秘密
 
この文章は、2021年2月に私が書いたものです。種々の理由でどこにも発表されませんでした。この時期、私は新型コロナウイルスとういう未知の感染症との戦いを、仲間と一緒に始めたばかりでした。不安と孤独の只中で、精神の拠り所を探していました。そんな折、私のsony walkmanにダウンロードされていたこの曲をが、たまたまカーステレオで再生しされた時に、猛烈に心に湧き起こってきた気持ちを書いたものです。
 
坂本龍一さんが亡くなりました。
また、私は大切なものをひとつ、失った気がします。
 
―以下、本文―
 
 私は、西洋的なものの考え方(西洋哲学)に接すると、折に触れて、明確で曖昧なところがないが、その分、厳しいなーと感じます。「個」ということを大切にするから、個性を大切にする社会が生まれるのと同時に、個人に対する厳しさも要求するのでしょう。なんか、人生が持つ根源的な悲しさも、自分で引き受けなくてはいけないような、重さを感じてしまうのです。西洋哲学の起源は、ギリシャ哲学 と ヘブライ信仰 ( キリスト教信仰 )と考えられています。キリスト教では、その人生が良くなるのも悪くなるのも自分次第であることを自覚することを求められからかもしれません。
それに対して、仏教では、「生きることは、どうしようもなく悲しい」という立地点にたって考えが始まります。私が今、感じていることと同じです。そして、仏教では、そんな悲しい宿命を持つ人間を、決して見捨てることはないように思います。

 ここで、思い出すことがあります。「Little Buddha(リトル・ブッダ)」という映画のことです。仏陀(ブッダ)の生涯のエピソードを盛り込んで作られた、ベルナルド・ベルトリッチさんが監督し、1993年に公開された映画です。映画の話しを少しだけさせてください。仏陀はインドの小国の王子です。彼の住む王城の中は綺麗で、新鮮な食べ物にあふれています。王城の住人は、皆、健康で美しい。特に、仏陀は美しい青年でした。美しい奥さんと子供もいます。しかし、仏陀は、外の世界が病気にまみれ、たくさんの人が餓死や行き倒れように死んでいく、そんな現実を知って深い悩みの底に落ちていきます。一国の王子であっても何もできないことに絶望してしまいます。そして、この世界を救う道を求めて、家族を捨て、王城を後に、旅に出て行きます。このシーンがあまりに美しくて、私の記憶に残り続けています。仏陀が厳しく、悲しい現実の世界に身を置いて、救いの道を求めた結果に行き着いたのが仏教の思想なのです。
 映画の音楽を担当したのは坂本龍一さんでした。ベルトリッチ監督は、主題歌をこんな風に依頼したのです。「悲しいけれど、救いのある曲」を作ってほしいと。それに坂本さんが応えてできた曲が「Acceptance」です。日本語に直すと、「受容」になると思います。とっても美しく、本当に悲しいけれど、突き放される感じのない、不思議な曲です。私は坂本龍一さんの傑作だと思っています。「人生は悲しいけれど、必ず人はそれを受け入れることができる。なぜなら、人生には救いがあるからだ。」これは、仏教が持つ思想そのものだと思います。
 
 坂本龍一さんが作曲した「Acceptance」は、映画「Little Buddha」のサントラの中に収録されています(Little Buddha -original soundtrack- レーベル:Milan/Warner)。この映画で使われた同曲は、オーケストラで演奏され、ボーカルも入り、非常に壮大な音楽となっています。この曲を聞いたときには、私は、この「不思議な曲」の秘密を理解することはできませんでした。
 
 あるとき、坂本龍一さんが、全曲を、ピアノ・ヴァイオリン・チェロのトリオで録音した「1996/Ryuichi Sakamoto レーベル:フォーライフ・レコード」を聴きました。そのアルバムに収録された「Acceptance (End Credit) – Little Buddha」を聴いたとき、はっと、その秘密に触れた気がしました。オーケストラでは複雑過ぎて理解できなかったこの曲の「不思議を生んでいる秘密」が、トリオという最低限の構成で表現されたために、素人の私でも気づけたのだと思います。
 このトリオ演奏では、ヴァイオリンとチェロが「悲しい旋律」を奏でています。チェロは低音で静かに「人生の持つ悲しさ」を表現しているようです。ヴァイオリンは、最初は静かに奏でていますが、次第に強く、高く、切り裂くような音に変わっていきます。それは、悲鳴のようにも聞こえます。私は、あ、これは、「人生の途中で現れた、苦悩、そして絶望」なんだ、と思いました。ヴァイオリンとチェロの「悲しみの旋律」は、どんどん、激しさを増していきます。「あー、もうだめだ。苦しい。人生を投げ出したい。」と言っているように私には聴こえました。
 一方、坂本龍一さんが演奏するピアノは、最初、その悲しみの旋律に、おどおどと、頼りなさげに、弱々しく、やっと着いていく感じなのです。悲しみの旋律が最高潮の時には、ピアノの音はかき消されそうです。でも、諦めずに着いていく。決して鳴り止むことはありません。そして、ある瞬間、悲しみの旋律がぴたっと鳴り止み、ピアノが一人で鳴り始めます。毅然とした態度で、スックと立っている姿が見えるようです。そのあと、悲しみの旋律も一緒に鳴り始めますが、ピアノは負けることはありません。「悲しみの旋律」を打ち消すことはないのですが、ピアノはそれ以上の存在感を保ちながら、一緒に美しい和音となって響いて行くのです。私は、坂本龍一さんのピアノは、「救い」を表現していたのだな、と、一人で納得しました。
最後は、3つの楽器が絡み合いながら、空に舞い上がっていくように楽器が鳴り響きます。最後の旋律。この最後は、悲しみ(チェロ)も、苦しみ(ヴァイオリン)も、救い(ピアノ)も一緒になって、ただ、ただ、美しいばかりで、心を熱くさせます。この旋律が「Acceptance(受容)」なのだと、とっさに思いました。
 そして、3つの楽器が、突然鳴り止み、この曲は終わります。このあまりに唐突な曲の終わり方に、坂本龍一さんは、どんなメッセージを込めたのでしょうか?私は、その意味を、今も考えています。
 
 これが、Little Buddhaのエンドテーマ:Acceptanceの中に私が見つけた、美しい秘密です。

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