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11/13◎特定のカードだけ読み解きルールを変えることへの違和感とその解消

久しぶりの日記です。一日一枚描いたタイツタロットが完成、発売。ひとまずあとは機械的に発送するだけになったので、少し日記を書く余裕ができるかも。この日記はあまり人に読ませる気がないまま思いついたことをただ綴り、考えがまとまっていないことも書くので、最後まで読まないでもいいです。

「塔は逆位置でも正位置と同じ意味」への疑問

逆位置の読み方で、よくいろんな本に「塔は逆位置でも正位置と同じ意味として解釈する」といった記述がある。これに長らく自分は疑問を持っていたが、よくよく考えるとこれはアリでもいい、と考えが落ち着いた。今日はその考えの変遷を書く。

なぜ疑問だったかというと、「塔のカードだけに特別扱いのルールが適用される」ことに違和感があったため。他のカードの逆位置は正位置とは違う意味を与えるルールなのに、なぜ塔だけそのルールが適用されないのか?

普遍的な共通ルールが全カードに適用されるべき?

この疑問は、「どのカードにも同じ逆位置ルールを適用して読めるべき」という理念から生まれている。逆位置をどのように処理するにしろ、カードによって処理の仕方を変えるのではなく、どのカードにも共通の処理を加えて読める方がより普遍的なルールなのでは?

例えば「逆位置は正位置の意味を反転させる」という読み解きルールを採用したとする。このルールはどのカードでも同じように適用し、特定のカードだけ(塔だけ)は違うルールで処理する、ということはしない。

普遍的な共通ルールがある方がシンプルだし、カードによって処理を変えてしまってはカードごとにその処理方法を(あるいは変則的な処理方法から導き出されたカードごとの意味を)覚えなければならない。だから共通ルールで逆位置カードを処理した方が利便性がある。

複数の逆位置の処理ルールを採用し(例:「正位置の意味を反転させる」と「正位置の意味が発生するまで時間がかかる」など)、ケースバイケースでその処理方法をスイッチさせてもいい。が、それはカードごとにどっちを採用するかではなく、別の原則的なスイッチルールに基づいて切り替えるべき。

カードが多様なのに、ルールが共通でいいのか?

長らくこうした考え方を持っていたが、ちょっと違う視点も生まれてきた。まず、各カードはそれぞれ固有のもので、同じカードは一枚もない、というのが前提としてある。それに対し、共通の読み解きルールはどのカードにも同様の処理を求めることになる。

これはこれでいいのだけど、「カードは多様」に対して「ルールが単一」という格差がある。

もしカードが多様であるなら、ルールがカードごとに多様である状態があっても構わない。「逆位置は正位置の意味を反転させる」という共通ルールがあったとしても、カード側の多様性がルールに影響を与え、カードごとにそのルールの適用方法が変動するのもアリなのではないか?

これは「ルールは静的でカード側の意味がその影響で変動する」という一方通行の影響関係から、「ルールがカードの意味に影響を与えつつ、カードもルールに影響を与える」という双方向関係へのシフトだ。ルールによってカードを読むが、各カードごとにルールを変化させる固有の影響力を持っている、と考える。

そのカードなら逆位置をどう処理するのか?を想定する

例えば女教皇。数字の2を持つこのカードは陰か陽かの二元論や、二律背反に関わっている。正位置か逆位置かは2つの状態なので、女教皇は二元論的に扱うはずだ。女教皇の考える逆位置読み解きルールは「表か裏か」になり、逆位置は正位置の意味と真逆、相反するものになるだろう。

では女帝の場合はどうか。3の数字を持つ彼女は、女教皇のように「表か裏か」だけで物事を判断しない。正位置(テーゼ)と逆位置(アンチテーゼ)があるからこそ、新しい命題(ジンテーゼ)が生まれてくる、というような発展的な読み解きをするだろう。女帝にとって逆位置の解釈は、そこから新しい次の展開を生み出せる読み解きでなければならない。

つまり、「そのカードだったら逆位置のカードをどう読む?」を想定し、それによってそのカード自身の逆位置を読んでいく、ということができるのではないか?というのが新しいアイデア。これは普遍的な共通ルールを全てのカードへ等しく適用する方法とは違う。各カードの個別性を尊重した処理方法になるのでは?

そうなってくると、塔だけが特別扱いされる、というのはアリになってくる。塔だけではなく、各カードがそれぞれ自分を特別扱いしていることになるからだ。