ヤリたいに騙されるな
英語が話せるようになりたかった。
ハリウッド映画は好きだし、字幕ではなく聞き取りで話が分かったら格好良い。
漠然とだが、海外で仕事をしているイメージがあるので、その時に困らない自分でいたかった。
中学、高校と真面目に授業を受けなかった。
文法もよく分かってない。
ものすごく基本的かつ簡単な単語だけ知っている。
高校受験も大学受験もしないで進学したので、受験英語の要領で単語を覚えた記憶もない。
そんな僕が英語を話せるようになりたいとおもった。
海外に行って、なんちゃって会話は出来る。
「こんにちは」
「これ欲しい」
「ここ行きたい」
「ありがとう」
が使えれば旅行は困らないのだ。
だけど、人の想いを聞くには、ことばが分からないと無理だ。
英語が話せるようになりたかった僕は、父に援助してもらいつつ英会話スクールに申し込んだ。
やる気満々だったので、英語をマスターするつもりでレッスン数を多く申し込んだ。
結果、挫折した。
受講可能レッスン数を多く残したまま、受講期間が終わった。
自分を責めた。
自分がやりたいとおもって、やり始めたのに英語をマスターすることも通い続けることも出来なかった。
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もっと自分は出来るはずなのに!
こんな自分は嘘だと言いたかった。
出来ない自分を認めたく無かった。
情けなかった。悔しかった。恥ずかしかった。
援助してくれた父に申し訳なかった。
自分は目標を達成出来ない奴なんだ。
そう思い続けた。
実際は小さな目標を色々達成していたのに達成していないことにし続けた。
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今だから分かったことがある。
英語を話せるようになりたいのは今も変わらない。
ただ、「やりたいこと」なのか「人生の中で出来るようになりたいこと」なのかが整理つくようになった。
街中で英語が聞こえると、聞き耳を立てたくなる。
映画を見るたびに、字幕ではこう訳されているけど本当はどんな意味なんだろうと疑問が湧く。
その度に胸がギュッと締め付けられる。
「英語が本当はペラペラな自分」が「話せない今の自分」を見下ろす。
瞬間的に湧いた感情としては今すぐにでも、「英語が話せる自分」になりたい。
嘘ではない。
でも、今、目の前の最優先でやりたいことやるべきことではない。
「人生の中で出来るようになりたいこと」に囚われるとしんどい。
感じたものが嘘でない分、動けない自分が嫌になる。
興味は尽きない。
新しいものが出れば試したくなる。
行ったことないところには行きたくなる。
ワクワクしたい。
出来るようになった自分を想像すると気持ちが上がる。
それで良い。
でも、パッと出の興味関心に振り回されると大切なものから目が逸れる。
本当に大切なものがある方向を見失ってはいけない。
自分の進みたい方向を進むことに注力しよう。
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とはいえ、英語話せるようになりたいなぁ〜〜〜〜〜
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