どうして日記を書くのか
こんにちは
みなさんにとって”日記を書く意味”ってなんでしょうか
頭の整理、秘密や愚痴をこそっと吐く場所、自分と向き合う時間、、
わたしは日記を書けない族の人間なのです。
何年も前からノートを買ったり、たまに日記を書いていますが、なんだか面倒で気づいたら何か月も書いてない、、なんてことばかりです。
最近、単純作業が中心のお仕事をしていて考え事をする時間があり
ふと、”日記を書く意味ってこれかもー”と腹落ちしたので共有します。
日記を書く理由① わたしたちは常に変化している。
昨日と今日を比べると、自分自身は何も変わらず同じように存在しているきがします。
では、去年、2年前、5年前の自分…と比べてみると、、結構変わってるかも!と思いませんか?
数年単位で振り返ってみると、関わる人や働くところ、よく行く場所など自分を取り巻く環境は変化しているし、”現在を捉える側”の内面も変わっています。
つまり、まったく同じ風景の写真を撮ることは不可能なのと同じように、”現在”を”自分が今持っているものの見方”で捉えて解釈できるのは今だけなんです。
日記を書く理由②過去は存在する?
「大豆田とわ子と三人の元夫」というドラマのとあるセリフ。
最初、どういうこと?って思ったけど、
日々を過ごす中で、急に大切な人の存在が目の前からいなくなったり、仕事場の人とのお別れがあって会うことはなくなったり、
昨日まであった日常が今日は全く変わってしまう みたいな瞬間を経験するたびにわたしはこのセリフを思い出すんです。
今は会えない人とも、過去のどこかでお互いが存在している瞬間は今も存在していると捉えると後悔や悲しみのような気持ちがすこし穏やかになります。
その”現在・この瞬間”を描写することが日記なんだなと気づきました。
日記を書く理由③人間は忘れてしまう生き物
日記を書かなくても、ある時点での出来事は存在しています。だけれど、その時、その時のわたしの内面をとおして感じた”現在の手触り”は簡単に思い出せなくなってしまうんです。
食べ物の味、香水のかおり、風の冷たさ、昔よく聴いていた音楽、、
過去を思い起こすトリガーってありますよね。それに触れた瞬間、あの時の景色や感覚がぶわってよみがえってくるもの。
日記もその一つになれるのではないでしょうか。
いまは当たり前にあるものが数年後、どうしても過去に戻ってその手触りを確かめたくなるものになるかもしれません。80歳のおばあちゃんになったとき、ポカポカの縁側で20代の日記を読み返す、みたいなのも楽しいかもしれませんね。
以上がわたしなりの日記を書く理由です。
今日、久しぶりに日記を書きました。
すごくいい夢をみたこと、きのこたっぷりのシチューを作ったこと。
秋ですね~。みなさんいい日々をお過ごしください(^_-)-☆
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