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長編連載小説 Huggers (27)

小倉は初めて聞く事実に驚く。


小倉 4(つづき)

「西野さんは今、大きな変容の途中にあります。そのことを理解するために、少しだけ協会の歴史について言及させてください」
永野は言った。
「協会の記録に残っている限りでハガーらしき存在が最初に確認されたのは、1910年頃、場所はアメリカ東部、マサチューセッツ州のセイラムという場所だといわれています。余談ながら、ここは18世紀に魔女狩りが行われたので有名です。そのハガーは女性だったようで、主に公会堂や教会というような人がおおぜい集まる場所で、ただ来る人をハグするという活動をしていたらしいです。
彼女にハグされると、どんなに気持ちがふさいでいても幸せになるという評判がたって、たくさん人が集まるようになったんですが、少し知的な障害のある女性だったので、彼女を利用してお金をもうけようとする輩があらわれました。それで静かな町の治安が悪くなり、地元の人たちの反発をかって、町を追い出されてしまったようです。
それからしばらく間があって、次のハガーは1930年代、大恐慌の時代に、その次はベトナム戦争が泥沼化したころにあらわれたという記録が残っています。いずれも女性だったようですが、どれも都市伝説に近く、疑わしい証言が多くて、裏付けは取れていません。1970年代のニューエイジ全盛期には全米のあちこちでそれらしき人物があらわれた形跡がありますが、こちらも公的な資料は残っていません。
一方、今の代表は10年ほど前、住処にしていたシアトルの街の片隅でハグを始めました。代表は当初自分のハグに心の平和をもたらす力があるなどとは思ってもみなかったようです。でもハグを受けた人たちのあいだで徐々に噂が広がり始め、ひそかにたくさんの人々がハグをしてもらいに来るようになりました。すると当然、あのセイラムの女性のように、代表を利用しようとする者たちが現れます。そこでハグを受けた人たちが代表を守るために、ボランティアで集まって作ったのがハガー協会だったのです。
その後、代表はハグをした相手の中に、自分と同じ素質を持つ人がいるのに気が付き、弟子として迎え入れるようになりました。またハガーの素質はなくても代表を慕い、何か役に立ちたいと熱望する人のうち、ある程度覚醒の進んだ者に特別なハグ・セッションを授けました。
彼らはアウェイクンドと呼ばれ、協会の幹部になり、それ以外の者はホルダーやスタッフとしてハガーを支えるという今のやり方がだんだんに確立されました。代表と直接コンタクトした者たちは第一世代と呼ばれ、沖本さんもその中に含まれます」
「ということは、沖本さんもデレクも、代表からハグを受けたんですね」
「ええ」永野は目を閉じた。
「特に沖本さんはハガーの資質を持ちながら、大変覚醒が進んでいたのでアウェイクンドの伝授も受けました。第一世代は幸運な人たちです。代表は今はもう自らはセッションを行っていないそうですから」
 そこで永野は目を開いたが、顔には深い憂いの表情を浮かべていた。それから気を取り直すように先を続けた。
「彼ら第一世代が、セッションを広め始めました。ハガーはセッションを受けた人の中からハガー候補者を見つけ出し、代表の承認を受けるという形で少しずつ数が増えていきました。
日本でのハガーの活動は、ご承知の通り5年前にデレクと沖本さんが支部を作ったところからスタートしました。英会話スクールのほうでデレクと知り合った私がハガー協会のほうも手伝うことになりました。代表の意向によりセッションは厳格な紹介制、つまり体験して効果を実感した人の口コミだけで行っていました。そのため希望者の数も細々としたものだったので、沖本さんと、彼が見つけた数人のハガーだけで十分でした。
その後テレビ番組をきっかけにいわゆるスピリチュアルブームが到来して、従来は一部の人にのみ知られていたさまざまなエネルギーヒーリング、ボディワークや、ホメオパシーやフラワーエッセンス、レイキなどの代替医療も二十代後半から三十代の女性を中心に抵抗なく受け入れられるようになりました。
またハグという言葉も一般に浸透したからでしょうか、ある時期、正確には三年ほど前からハグセッションの受講希望者がだんだん増え始め、時を同じくして、第二世代と呼ぶべき一群のハガーたちの存在が明らかになってきました。彼らはより本能的にセッションを行える者たちです。ハグが必要な人のところへ自然に引き寄せられ、あるいは自分のところへ引き寄せる。もちろん予約があるなし、希望のあるなしを度外視してハグが起こってしまう。型破りというか、一歩間違えば反社会的行為になってしまいますが、そのぶん効果がパワフルであることも間違いないとわかってきました。
そこで、この第二世代のハガーがより安全にセッションを行えるように、アウェイクンドはもちろん我々スタッフやホルダーがますます注意深く支えて、見守らなければならないんです」
「もしかして、西野さんはその第二世代に含まれるんですか」
永野はうなずいた。
「どうやらそのようですね。しかもどうも日本には、他の国に先駆けて第二世代が現れているらしいのです。理由はわかりません。八百万の神といわれるような多神教の土壌、神社と寺と教会を同じように地域に共存させどれも尊重する宗教的寛容さ、目に見えない存在に対するおおらかな態度、あとは世界全体で見れば非常に裕福で平和なので精神的に余裕があるというような事情が進化を後押ししているのかもしれません」
 永野はそこまで言うと、顔の表情を引き締め、小倉の目をまっすぐに見つめた。
「沖本さんが引退なさる今、西野さんにはその進化をけん引する役割をも含めた彼の後任として、日本支部を代表するアウェイクンドハガーになっていただきたいと思っています。彼女の実績なら、十分に可能だと」
「でも、今の話の流れだとアウェイクンドというのは代表にセッションを受けた少数の人たちなのでは? 代表はもうハグはやめてるんですよね」 
「代表に考えがあるようです」
「代表は西野さんを知っているんですか?」
「個人として知っているわけではありませんが、彼女の存在は知っているようです。そのへんのことは私にはくわしくはわからないんです」
 また少し寂しそうに、永野は言った。
「ではアメリカに?」
「いずれ、といってもそう遠くないうちにそういうことになると思います。理由はわかりませんが、本部の窓口の方のメールでは、あまり時間がないという話だったので」
「なんや、すごい話やな」
「西野さんにとっては、大きなチャンスだと思いますよ。そして支え手の存在がいっそう重要になってくるでしょう」
「西野さんは、本人はなんと言っているんですか。その沖本さんの後任の件について」
「やってみたいそうです。自信はないけれど、やってみたいって。ただ、条件があるそうです」
「条件?」
「小倉さんとやりたいそうです」
「え?」
「西野さんが言ったんです。あの西野さんが、私の目を見てハッキリと。小倉さんでなければ嫌だ、小倉さんとならやります、と」

「今日永野さんと話したんや」
 と切り出すと、キンモクセイはいつになく気弱な表情になった。彼女は外にいるようで、スマートフォンでzoomをしているのだが、電波があまりよくないのか時々画面や音声が途切れる。
「ねえ、ホルダーやめないよね? 小倉さん。永野さんから聞いた。体調悪いんだって?私、小倉さんにはできるだけ負担かけないように頑張るからさ」
「何それ? らしくないやん。俺を押しのけてメインやりたかったんちゃうの」
「ふざけないでよ。そりゃあ、いつかはメインやりたいと思ってるよ。だけど今すぐなんて思わないし、小倉さんから裕子ちゃんを取り上げようなんて思ったことない」
 キンモクセイの顔がふいにゆがんだので、小倉はあわてた。
「どうしたん?」
「私が裕子ちゃんを今みたいなやり方で支えていられるのは、小倉さんがいるおかげなんだよ。あなたが大事なところを押さえてくれると思うから、安心して脇道に行って、ちょっとガス抜きさせてあげたり、そういうのができるの。そうでなければ私は突っ走っちゃうから。仕事でもよくそういう失敗するんだよね」
「そうやったんかぁ」
 涙ぐんでいるキンモクセイを見て少し脱力しながら、自分でも知らないうちに、彼女に対して偏見とは言わないまでも色々勝手な思い込みを形成していたのだと気付いた。
「永野さんとは何を話したの?」
「西野さんの話。君にもわかっといてもらわんとあかん話や」
「え。何?」
「君は沖本さんに会うたことある?」
「あるよ。私がホルダーになったときは、研修講師がオッキーだった」
「オッキーって、なあ」
 いつもの調子に戻ったキンモクセイの様子にほっとして、小倉は永野の話を要約して聞かせる。
「それはすごいね、私らの裕子ちゃんがオッキーの後任かぁ」
 キンモクセイは一瞬目を輝かせたが、すぐに心配そうな顔になった。
「でも、不安定って言っても、どういう状態が起こるんだろうね、そういえば最近、裕子ちゃん、あまり連絡してこない。小倉さんのほうにはある?」
「え? そっちにもか。俺もちょっと気になってたんや」
「少し前になんだかちょっと、気落ちしてるように見えたから、美容院紹介したり、ソウルメイトの話とか意識的に女子会トークしてみたんだけど、前みたいにのってこないんだよね。気をつかって話を合わせてるだけっていうか」
「こっちもや。最近西野さん、俺と話すとき無理してるような気がしてる。共振のときも開いてる感じがしないんや」
 永野から聞いた「小倉さんでなければ嫌だ、小倉さんとならやります」という裕子の言葉と、小倉に対する最近の裕子の接し方との間にあるギャップが、キンモクセイが画面から消えてからも、いつまでも重く心に残った。
(つづく)

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