長編連載小説 Huggers(56)
裕子はミアの異変を知る。
裕子 9
ミアの変調を最初に知ったのは、永野からでもキンモクセイからでもなく、いつもチェックしている若手俳優のブログのサイドバーに表示されるエンタメニュースの見出しからだった。「歌手のミア クリスマスコンサート後倒れ入院」という文面が目に飛び込んできて、「詳細」と書かれた部分に急いでマウスを合わせクリックする。
だがそこには、全国ツアー中だったミアが、クリスマスイブの24日、コンサート直後に急に意識を失い倒れ、都内の病院に運ばれたとだけ書かれてあった。
急いで永野に電話をいれたがつながらず、やむを得ずキンモクセイに電話する。
キンモクセイはもうミアのホルダーだから、以前のように気軽に連絡してはいけないとわかっていたが、教え子第一号のミアが心配でたまらなかった。
「あっ、裕子ちゃん」
裕子からだとわかると、キンモクセイはほっとした声を出した。
「ミアは大丈夫?」
「うん、さっき携帯が通じて、もう家に帰ってきたって。ただの過労だったみたい」
「よかった」
「でもね、裕子ちゃん、あたしちょっと心配なことがあるんだ」
「何?」
「ミアの事務所の社長が、セッション、やめろって言ってるらしい」
「なんで?」
「噂が立ってるんだって。ミアが変な宗教にはまってて、まわりの人たちを入信させてるって」
「えー、何それ」憤慨した声を出したが、まあそうだろうな、という諦めの気持ちのほうが大きい。世間一般の人から見れば、新興宗教もハガー協会も、ただの正体不明の団体だ。
「ミアはやめるつもりないみたいで、あんまり邪魔されたら、事務所を変わるか独立するっていきまいてる」
「それはちょっと、慎重にしたほうがいいよ」裕子は言った。「強引なのは逆効果だって、ミアに伝えといて」
「私もそう言ったんだけどね、あの子、可愛い割に頑固で。ちょっと、裕子ちゃんに似てるかも」
キンモクセイがくすくす笑った。
「でもあの永野さんが、そのへんは用心しているみたいで、あんまり身内で先走らないほうがいいって」
当初、ミアをハガーのモデルにして、セッションを大々的に広めようと目論んでいた永野はここにきて慎重になり、友人や仕事仲間にセッションをすることよりも、協会から紹介された、ミアの素性を知らない人たちを対象にしてほしいと要望しているらしい。
「ブログからもハグの話題は削除するように言われて、ミア、私から言っただけじゃ物足りなくて、直接永野さんに文句いったらしいよ。なんでいけないんだって。私ら結構、あの子には手こずってる」
「ごめんね」
と思わずいって、キンモクセイに笑われた。
「なんで裕子ちゃんがあやまるの」
「だって一応、教え子だから」
「アウェイクンドの担当は、テクニック的なこと。そのほかのことに関しての責任は私達にあるんだから、気にしないで」
日勤を終えたのち、内科病棟の新年会に参加して、普段より遅くなった。
駅からアパートまでの道は、途中までは遅くまで人通りがあるが、駅から遠くなるにつれてだんだん人がばらけ、最後の角を曲がってからはほとんど裕子だけになる。だが周辺の治安は比較的よくて空き巣の被害も聞かないし、まさか自分を狙う物好きもいないだろう、とあんまり用心はしていなかった。
アパートの敷地に入り、郵便受けをのぞき、中の広告を取り出して階段を上ろうとしたとき、階段の裏からすっと人影が現れて度胆を抜かれた。
「西野さんですよね」
男の声だった。恐怖に身がすくみ、声も出せず、逃げ出すこともできない。
「びっくりさせてすみません。私、こういう者です」
男は申し訳なさそうに言って、名刺を差し出した。暴漢ではなさそうだと判断し、少しだけ安心したが、警戒はおこたらないまま、手は出さずに相手の顔を見る。
アパートの常夜灯に照らし出されたのは、メガネをかけた四十代前半くらいの中年の男だった。目鼻立ちは悪くないのだが、どことなくねっとりした目つきをしていて、裕子は微かに背中に悪寒を感じた。
「ルポライターをしています。根岸幸太郎といいます」裕子が名刺を受取ろうとしないのを見て、男は言った。
「け、警察呼びます」
震える声でいい、コートのポケットから携帯を取り出したが、手もぶるぶる震えていて取り落としてしまう。根岸という男はしゃがんでそれを拾い、裕子に手渡した。
「恐がらないでください、何もしません。ただ、話を聞かせてほしいだけです」
「話……?」返された携帯を、ぼんやりまたポケットに戻しながら、裕子は聞き返した。
「ハグで人を幸せにする、という活動をされているそうですね」
「あ……」
「ミアに、そのセッションをされたとうかがいました」
「その話でしたら、私からはお話しできません」
裕子は言った。
「協会の広報部に聞いてください」
「もちろん、聞きましたよ」根岸は笑った。
「あの永野というのは、食えない男ですね。だが私は、あなたから直接話をお聞きしたいんです」
「困ります」
「ミアが芸能活動を休止するという噂はご存じですか?」
「えっ? いえ……」
「これを読んでみてください。明日発売の週刊誌の記事です。あなたにも責任の一端があるんじゃないですか?」
手渡されたホッチキス止めのコピーを、思わず受け取る。「ミア引退の危機 謎のスピリチュアル団体の不気味な影」という見出しに、心臓がいつもの二倍くらいの速さで打ち始めた。
(つづく)
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