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長編連載小説 Huggers(51)

裕子は講師としての第一歩を踏み出す。

裕子  8

 ミアは裕子が思っていたよりずっとふつうの女の子だった。
 芸能人というのは、もっと派手で華やかで、浮ついた感じのする人たちなのかと思っていたけれど、実際に会ってみると小さくてきゃしゃで、話し方もきちんとして、看護実習でくる学生たちよりよほど礼儀正しい。
 私服はジーンズに白いシャツといったシンプルなスタイルで、もちろんどちらも知る人ぞ知るブランドものなのだろうが、ミアが着こなしているととても自然だった。黒いフレームのメガネをかけ、きめ細かく、透けるように白い肌にすっぴん風のメイク、無造作にポニーテールにしたつやのある栗色の髪。やっぱり元がいいと何をしても様になるわあ、などとついあらぬ方向に関心が向いてしまう。

 そのミアに、裕子はかつてアメリカ人のアウェイクンドの女性がしてくれたように、「初期化」をする。沖本から無言で伝授されたやり方で、共振を使い、いったんきれいにゼロの状態にする。生まれたときの原初の意識の状態、ほとんど記憶というものがない、明晰であり茫洋とした状態だ。

 それから一度、現在の状態に戻し、今度はミアがセッション時に、自分自身でゼロ状態になれるように導いていく。
 ここからは共振ではなく、感覚を言葉で表現したり、実際にハグをしたりして、セッション時に起こることを身体で学ぶ、実践的な養成講座になる。
 ミアは勘が鋭いというのか、一を聞けば十を知るようなところがあり、講師としてはこれ以上楽な生徒はいなかった。
 実はもうひとり、ハガー希望で素質のありそうな若い女の子が来ていたのだが、三日目から突然来なくなってしまった。よくあることなので気にしなくていいと永野は言ったが、裕子はかなり落ち込み、そのぶん、ミアのほうに期待をかけていた。

「西野さんは、じゃあ、ご結婚されてないんですね?」
休憩中、ミアに突然聞かれて、思わず飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
「ああ、ええ」
 不自然なほど動揺してしまい、しまったと思ったが、ミアは気を遣うどころかさらにつっこんできた。
「つまりハガーになってから今まで、誰ともつきあってないってことですよね?」
「まあね。そのかわり、韓流ドラマとK-POPにちょっとはまってるんだけどね」
 そしてお気に入りの俳優とバンドの名をあげると、ミアはそのバンドのボーカルの子を知っているから、今度サインもらってきますね、と言った。
「いいよ、そんな」
 裕子はあわてて手を振った。
「でも、もし」
 常に携帯しているというハワイのミネラルウォーターのキャップをひねり、ごくごくと飲みながら、ミアは言った。
「誰か好きになっちゃったらどうするんですか?」
「そうねえ。そのときは考えるかな。今のところそんな人現れないけど」
 頭の隅にうかんできた沢渡の顔を振り払いながら、裕子は言った。「出て行ってもらいます」と言われたあの日から数日間、いつ退去を通告されてもいいように、身の回りのものを整理して引っ越しの準備をしていたが、その後何の連絡もなく、家賃は順調に引き落とされているし、大家に会えば機嫌よく挨拶してくれる。
「そういう宮本さんはどうなの? まだ若いし、そんなにきれいなのに。よく決心したよね」
 と切り返すと、ミアの目にふと影が差したような気がした。
「私は恋愛、興味ないから」
 男性との関係になにかトラウマがあるのだろう、と裕子は思った。何らかの事情で異性と関係を結べない人が、ハガーには多いと聞いたことがある。ミアの様に若いきれいな女の子が、ひとりで故郷を離れ、厳しい芸能界でサバイバルしていくのに、心の支えとなるような誰かの存在がなくてどうしてやっていけるのだろうと不思議に思うが、実際、ペットも飼っていないという話だった。
 なんらかの心の傷は、ハグ・セッションを行うのに支障はない。それが「自分を癒せなければ他人は癒せない」という考えがベースにある通常のカウンセリングやヒーリングなどと違うところで、ハガー自身の心理状態がどうであれ、セッション時にゼロになれる限りは何の問題もない。むしろ日常での愛や真実への渇望が、セッション時の至福感を高め、セッションの効果を上げるといわれているくらいだ。

「西野さんのホルダーは、男性なんですか?」
 ホルダーについての説明をするとき、ミアに聞かれた。
「5人いて、1人は男性、1人は女性なんだけど、あとの3人にはあったことがないの。年齢も性別もわからない」
 というと、ミアはひどく面白がった。
「顔も性別もわからない人が、私を支えてくれるの?」
「うん、いつでも助けてくれるよ。あなたが求めさえすれば」
 自信たっぷりに言う裕子の顔を、ミアは何かを探すように茶色がかった透き通った目でしばらくじっと見つめた。まぶしくなって思わず目をそらすと、ミアは言った。
「うまく想像できない。だって、ボランティアでしょう? 見ず知らずの人を、無料で、いつでも助けてくれるなんて。恋人でもないのに。どうしてなのかな?」
「そうね」
 裕子は改めて小倉の顔を思い浮かべた。
「どうしてなのかな」
 どうしてなのだろう? 
「よくわからない。でも一つだけ確かなことは、私たちには共通の思いがあるってことかな」
「共通の思い?」
「うん。少しでもこの世界が住みやすい場所であるように。みんなが、せめて心安らかに暮らせますように。そのためだったら、どんなことでもする。みんなそう思ってると思う、うん、たぶん」
 ミアはしばらく、裕子の言葉をかみしめるように黙っていた。 
「私のメインホルダーは、女の人だよね」
「すっごくいい人よ」
 裕子は言った。キンモクセイが、ミアのホルダーになるように永野に頼んだのは裕子だった。キンモクセイは言い出しかねているようだったが、裕子がミアの講師をやると言ったときから、彼女の目がキラキラしているのを裕子は見逃さなかった。小倉とキンモクセイは2人ともメインができるホルダーだ。その2人を、アウェイクンドハガーになろうという自分が両方抱えこんでいるのはもう許されない。
「西野さんがそういうなら、そうなんだね」
 無邪気な少女のようにミアは笑う。
「男性のほうはどんな人?」
「どんな人って」
 小倉がどんな人か、きちんと考えてみたことがなかったことに、裕子は気づいた。
「優しいよ」
「イケメン?」
「そうね、そうかも」
「その人のこと、好きになっちゃったりはしないの?」
「まさかぁ」
 裕子は吹き出した。
「ずっと年下だもん。失礼よ」
「いくつくらい?」
「28か9だと思う」
「でも最近は年の差カップル多いよ」
「そういう問題じゃなく。ホルダーは別に、恋愛不可じゃないもん。きっと誰か彼女がいると思うよ。それに、今にわかると思うけど、ハガーとホルダーって、基本的に人間としての本質の部分で結びついてしまうから、あんまり恋愛感情は生まれないらしい」
「本質の部分?」
 ミアの目に不思議な光が宿った。
「なんか、すごくいいね。それ。本質の部分か。私もホルダーさんとそんなふうになれるかな」
「大丈夫だよ」
 裕子は言った。
「まあどんな人間関係もそうだけど、最初はぎこちないのはしょうがない。でも、いろいろ相談にのってもらったり共振してもらったりして、一緒に悩んだり喜んだりを繰り返しているうちに、ちゃんと信頼関係ができてくるから」
 最初のころはホルダーに気を遣って、何も相談できなかった。小倉に叱られたり励まされたりしながら、今の関係を築いてきたのだと、新人を指導する立場になって初めてそのありがたさに気付いた。
「そうなんだ? うん、信頼してもらえるように頑張る」
 ミアの顔に予想以上にうれしそうな表情が浮かんだのを見て、裕子は、誰とでもうまくやっていけそうなミアでも、アーティストとして一定の地位を確立するためにはずいぶんと痛い目にあってきたのだろうと思った。
「何も頑張らなくてもいいんだよ。共振すれば、どうしたって、深く結びつかざるを得ないからね」
 ホルダーほど信頼できる人たちはいない。ミーハーを自認するキンモクセイだって、これからは歌手としてのミアではなく、人としての本質部分に真剣に関わっていくはずだ。ホルダーたちと協力してセッションをしていくことで、ミア自身にもよい影響があるに違いない、と裕子は思った。
(つづく)  
 

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