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長編連載小説 Huggers(26)

ハグをするだけで人に幸せをもたらすハガー、裕子。その裕子を遠くから支える小倉。妻に失踪された沢渡は、望んでもいないのに裕子にハグをされてしまい、人生が変わり始める。

小倉 4(つづき)

ハガー協会日本支部代表の永野は、体調不良でホルダーを降りたいと申し出た小倉を説得しようとする。

「沖本さんの?」
「そうです。沖本さんのご病気のことはご本人からお聞きになってますよね? あの方は、もとはアメリカでセッションをしていらっしゃったのですが、デレクが来日するときに一緒に来て、日本支部を立ち上げるところから関わってくれました。数少ないアウェイクンドのハガーとして、もう一人の女性と一緒にハガーやホルダーのスカウトから研修まで全面的に引き受けてくださっていたんです」
「アウェイクンドのハガー? 沖本さんはアウェイクンドでもあったんですか」
「ええ、ご本人の希望で公表はしていませんでしたけど」
「道理で、ただものじゃないなとは思っていました。そんなケースがあるんですね」
 小倉が言うと、永野は意味ありげな顔をした。
「小倉さんがホルダーになったときの研修講師はアウェイクンドでしたよね。ジーンでしたか? それともデレク?」
「デレクです」
「彼は自分たちのことをどう説明してました?」
「ええと、いや、ただホルダーやハガーの研修を行う講師としか。申し訳ありません。あの頃はいつ発作が起きるかと不安だったので。一定の時間すわっていることだけで精いっぱいで、内容はあまりよく覚えていないんです」
「ああ、いいんですよ」。
永野は軽く手を振って笑った。
「研修のときは理論よりも、共振の方法や支え手の心構えなどの実践が優先ですからね。ご存じの通り、ハガー協会には実際にセッションをするハガーのほかに、小倉さんたちのようなホルダーと、協会の運営や事務連絡にかかわる私達スタッフがいます。アウェイクンドについては、構成員というよりは、アドバイザーのような立場と説明しています。その呼称から、覚者、完全に悟った人だと誤解されることもありますが、そうではありません。ただ私達よりは目覚めが早く、覚醒の度合いが進んでいるので、精神面で全体の柱になってくれます」
「西野さんからも、自分のチューターだったアメリカ人女性の話はよく聞いています」
「ジーン・ウォルタースですね。彼女も沖本さんと同じで、日本支部ができたばかりのころ、ずっとハガー養成に携わってくれました。素晴らしい人でした。去年、帰国してしまいましたが」永野はなつかしそうな目をして言った。
「それからもうひとつ、こちらはあまり、オープンにはしていませんが、アウェイクンドの果たす重要な役割があります。ハガーの初期化です」
「初期化?」小倉は眉を寄せた。「初めて聞きました」
「ええ、西野さんも知らないと思いますよ。初心者のハガーをセッションが可能なゼロの状態にすることを、我々は初期化と呼んでいます。正式な用語ではなく、我々の間だけの通称です。だからハガーに対してもそのような言い方はせず、伝授と言っています。あなたを初期化します、なんて言われるのはあまり気持ちのいいものじゃありませんからね」
永野は微笑んだ。
「初期化はアウェイクンドにしかできません。これが完了しないとハガーはセッションができない。逆に初期化さえきちんと行われれば、あとはセッション時に必要なことはすべて自然に起こります。ハガー自身が何かをする必要はないんです」
「具体的には何をするんですか」
「言葉によらない伝授です。自分をゼロにする方法の」
「密教における秘儀のような?」
「よく御存じですね。ええ、そうです。共振を習った時のことを覚えていますか」
 小倉はうなずいた。
「内容はもっとずっと濃いですが、方法としては一緒です。師から弟子へのダイレクトな伝授。秘儀はどれもそうですが、同じ内容を伝授しても、真に受け取れる者はごく一部です。つまり……」
 永野は言葉を探すようにしばらく目を閉じていたが、やがて目を開いて笑った。
「うーん、言葉で説明するのはむずかしいですね」
「わかります」
 ハガーだのホルダーだのという時点ですでに、常人の理解を超えている。
「永野さんは、アウェイクンドじゃないんですか? 十分、悟っていらっしゃるように見えますが」
 と小倉がたずねると、いつも淡々としている永野のまなざしの奥に、ふっと揺らめきが見えた気がした。
「いいえ、私は違います。私はアウェイクンドのなりそこないなんです」
 そして、もうそれ以上聞くことがためらわれるような顔をした。
「小倉さん。ここから先は、事務局でも私とデレク、アウェイクンドまでの了解事項です。メインコーディネーターを含め、一般のホルダーやハガーの方たちにはまだ今の段階ではお知らせしていません。キンモクセイさんと、必要があれば西野さんの担当のホルダーたちには話してかまいませんが、そのほかの方には言わないでくださいね」
「待ってください。僕はホルダーをやめたいと申し上げたはずです」
「聞くだけ聞いてくださいませんか。その上でなおやめたいとおっしゃるなら、仕方ありません」
「どうしてなんですか」小倉は言った。「あの時もそうでしたよね。一度だけハガーに会ってほしいとおっしゃられた時です。どうして僕なんかをそこまで信用するんですか?」
「信用なんかしてませんよ」永野は笑った。
「信用なんて必要ありません。確信がありますから。ただ、わかるんです」
まただ、と小倉は思い、ため息をついた。自分はこの男の、無防備で子供のようなてらいのない表情にいつもやられてしまうのだ。
「わかりました。うかがうだけうかがいましょう」(つづく)


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