頑張って楽しもうと思えば思うほど楽しめない。

 楽しいことは楽しいと思いたい。ただでさえネガティブ思考の僕がポジティブな気持ちになれるからだ。

 楽しいという感情には二種類あると思っている。一つは不随意的に楽しんでいること。もう一つは随意的に楽しんでいること。随意とは「自分のおもうまま。強制がなく、自由であること」という意味がある。ここでは「自己の意思あるいは意図に基づいて行動している」という意味で捉えて欲しい。不随意はこれの逆の意味である。文頭に書いた「二種類」を簡単に言うと「心の底から楽しんでいるか、いないか。」ということだ。

 テーマパークやライブなど、様々なイベント会場などでよくいる「私は全力で楽しみたい!」という気持ちが溢れ出すぎていて、周りから痛々しく映っている人。いや、これだと語弊が生まれそうだ。本気で楽しみだとは思っていないが周りや世間がそう思っていそうだから頑張って楽しもうとしている人。と言った方が良いかもしれない。いや、これでも語弊が生まれそうだ。語弊を生みたくないので例を挙げることにする。


 三年に一度の文化祭。僕は高校三年生だ。今、クラスで何をするか決めている。クラスのモチベーションは高くない。いや、低い。皆受験生でそれどころじゃない雰囲気が漂っている。でも、文化祭実行委員の女子は頑張ってまとめようとしている。その女子が班になって話し合って案を出すように指示を出した。皆が参考書を見ながら机を寄せる。それを見ている実行委員の女子は少し不満そうな顔を見せた。仕方ない。その女子は一年の頃からずっと楽しみにしていたのだ。楽しみにしていた。いや、彼女は文化祭を随意的に楽しんでいたのだ。世間でよく言われるような綺麗で煌びやかな思い出を作りたい。青春の1ページに美しい思い出を残しておきたかったのだ。それまでの三年間は自分が満足に思えるほど充実していなかったのだろう。理想と現実の差があったのだろう。だから彼女は頑張っていたのだ。その頑張っている雰囲気がクラスに伝わりよりモチベーションを下げていることを知らずに。


随意的に楽しもうとすると「楽しい」と書かれたハードルが用意される。このハードルは出来事が起こる度に設置され、頑張って越えようとすると更に高くなり飛び越えることができない。
頑張れば頑張るほど越えられなくなる。だから彼女はどれだけ高く飛んでも飛び越えられないハードルを飛び越えるために必死に練習をして、飛び越えられない現実に不満を抱き後悔をし続ける。

そして結局飛び越えられず終わってしまったときには、思ってもいない綺麗事を口から発して飛び越えるための最後の悪あがきをする。当然ながら結果は変わらない。それも随意的にやったことだから。

このハードルを飛び越える方法は一つ。不随意的に楽しんでしまえば良いのだ。ハードルを低い位置で固定する。もっと簡単に言うと期待をしないでおけば良いのだ。妥協。

こうすることによって、簡単に飛び越えることができる。そして、想像以上に高く飛べる場合がある。それに驚く。自分にとって想定外の出来事が起きるのだ。驚きという感情は記憶に残りやすい。それが思い返したときに楽しかったと思える要因となるのだ。


 期待をしすぎるのも、しなさすぎるのも後々自分を苦しめることになる。考えこんでしまう僕みたいな人間にとっては悩みの種となるようなことはしたくない。だから日々、頑張って高いハードルを飛び越えようとしている人たちを横目に、慎重に丁寧にゆっくりと低めのハードルを簡単に飛び越えて、飛び越えることによる小さな快感を得ているのだ。
 


頑張っている人達はそんなことはダサいしズルいしやりたくないと思っているだろうけど。

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