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読了メモ「レヴィ=ストロース入門 」3


1.「野生の思考」について

野生の思考と近代科学をともに広い意味での科学的な思考だと認めたうえで、共存する二つの思考のうち、野生の思考のほうを、より普遍的な思考だと主張したからであった。

p118

上記引用のように「野生の思考」と「近代科学」で二分して考えるなら、
①「野生の思考」が未開社会のわけわからん思考ではなく広義の「科学的な
  思考」であること
②「野生の思考」の方が普遍的なこと
だと自分も思う。だが、同時に自分とレヴィは立場が真逆だとも思う。

農村だけではなく、大都市のなかの近隣関係や仕事場やさまざまなサブ・グループなどに、真正な社会の様式が残っているという。

p24

これもその通りだと思う。
我々の日常的思考は近代科学よりむしろ「野生の思考」に近い。使う「用語」が近代化してるだけで、構造は「野生の思考」の一変換形。
ワイドショーやネットのカキコミ等、よくよく観察すれば近代科学より「xx族の神話」に類似してるし、生活の場で一番顕著なのは学校の教室、あそこなんて「xx族の村」そのもの。人類学者がなぜわざわざジャングルまで出向くのか不思議なくらい。

2.立場

「立場が真逆」なのはレヴィが「野生の思考」に肩入れするのに対し自分は「近代科学」に肩入れするから。
「近代科学」はレヴィの言う通り「普遍的」ではない。非常に「特殊」だ。発生確率が非常に小さい。ホモ・サピエンスが30万年ガチャ引いてようやく引き当てた。
今隕石が降ってきてわずかな人類しか生き残らなかったとしても「野生の思考」は容易に復活するだろう。その思考は真正で普遍で逞しい。
しかし近代科学はもう二度と現れないかもしれない。

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