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塗師屋(ぬしや)の仕事

佐賀県の唐津で輪島塗を熱心に研究している知り合いから雑誌を借りました。

季刊誌の『能登』です。
http://m-noto.jp/index.html

能登在住ながらこの雑誌の存在を知らなかったことに、少し恥ずかしさを感じました。
内容は能登のかなり深い部分まで掘り下げてあり、能登に住むなら間違いなくバイブルになりそうな雑誌です。

なぜ今回借りたかというと、塗師屋にフォーカスした記載があったからです。
輪島塗の職人にフォーカスした本は沢山ありますが、塗師屋にフォーカスした本はあまりありません。
少し興味が湧いて読んでみたら、塗師屋の歴史や仕事に関して細かく書いてありました。

輪島塗が全国区になったのには、昔から塗師屋の功績が大きかったと言われています。
船に乗り、鉄道を使い、陸路を足で歩き、全国各地を行商したのが塗師屋です。
全国各地を旅するので、昔からお客様の情報源となり、宴席に呼ばれることも多かったようです。
そのため、俳句、生花、茶道、書道などいろいろなことに精通していました。
現在もそのDNAは塗師屋の中に色濃く残っており、輪島の塗師屋は輪島にほとんどおらず、出張ばかりです。
輪島でなかなか会えない他の塗師屋さんと出張先で会う、ということはよくあります。

昔から不思議でしたが、出張から戻ってくると、職人さんによく「旅から帰ってきたかー?」と言われます。
「旅」という言葉に少し不思議な感じがしていましたが、『能登』を読んでようやく理解できました。
昔は一度行商に行くと、3ヶ月から半年は平気で戻ってこなかったようです。
この行商を「場所回り」と呼び、「旅に出る」と言われていたそうです。
その名残があって、今でも出張先から戻ってくると、「旅はどうだった?」「どこを旅していた?」と聞かれるのだと分かりました。
仕事で出張していたのに、「旅」と言われると遊んでサボっていたように捉えられているのかなと思っていたのですが、これも輪島に残る歴史と伝統の言葉でした。

輪島の塗師屋は、今でも輪島塗の魅力を伝えるため、そしてお客様のフォローや新規の提案をするために、地元の輪島を空けがちです。
多い人だと、年間250日ほど外だということもあります。

冒頭の写真は、田谷漆器店の営業マンが1ヶ月出張に出るときの荷物です。
この他に自分の生活用品などもハイエースに積み込んで、出発します!

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