[公式]大先生マダオさんの記事を読んで。

本人に書いてもいいですかというお伺いをたてずに書くのもどうかなと思ったのですが、公表している記事なので問題はないかなと思った事と、個人的に確認をとると逆に気を使ってるような記事になってしまうような感じになってしまうとおもったので、あえて確認せずに書かせてもらいます。

もし問題ありそうならご本人様が見ていたらご本人様が言っていただけたら幸いです、もしくはマダオさんのご本人様の友人やファンの方が言ってもらえたらと思います。

すぐ消しますので。

という事で個人的に全てを読んだわけではないし、文章を噛み砕いて記憶に定着するのは時間がかかるタイプなのですが、記事をいくつか拝見させていただいたのですが、ただ単純にすごいなあと感じましたね。

僕個人は広汎性発達障害と気分障害とまあ身体的なものとしては糖尿病を患っているという形なので、また違った側面の病状ではありますが、発達障害に関しても名称が変わったのでもしかしたら違う診断名になってる可能性もあるので、ちょっと確認しないといけないかもしれませんが。

日常はある程度過ごせるようにはなったのですが、人間関係での問題やトラブルにあったり、疲れ切って正常な判断ができない場合も多々あって、仕事はある程度はできるにしても、感情の揺れ幅で台無しになることが多いなあと思う事がおおいので、結果的に17回くらい仕事やめたりなんだりしてますねー。

そんな中、相手を導くコーチングや心理関係のケアへと行動に移す選択ができるというのは非常にすごいなあと個人的に感じました。

僕個人も生活の上の一例として障害をもったうえで感じた事は言えるけれども、仕事へと導けるような選択の補助は未だできないなあと、更に障害をもった方には難題である恋愛に関しても関われるのがすごいと思いました。

非常に端的ではございますが、感想という範囲であるならば、これは個人的な僕個人の感想なので、改めてマダオさんの記事を読んだうえで色々と読み手側が感じるのがいいのかなあと思ったし、個人的には文章を読むのが不得意な自分みたいな特性をもった人にも読んでほしいなあと感じました。

要点が纏まっていて、構成自体も端的に一つ一つまとまっていて、本という紙媒体となってもすごく見やすいなと思いました。

今ってnoteってペイペイでも購入できましたよね?

ちょっとやり方調べて購入してみようかなあという感じです。

仕事するのが嫌とかではなく、精神上の理由とか身体上の理由でできなくとも当事者でない人達からしてみたら怠けてるとか自分の観点で判断してないと言われる場合もきっとあるし、僕個人も言われていたので、マダオさんの記事を見るとそういった方達に関してのアプローチも学べるような気がします。

まずはうまくいかないなら、環境にもよるのでしょうが、わかるとか理解というのはできないにしても、寄り添える誰かや頼れる誰かがいるのであれば、こうやって経験のある方の記事を読んだり、一度立ち止まって躓く事を解消するために労働よりもハードルを下げて家で出来る事をするのも一つの選択かもしれません。

たまに遊びのもありかもしれませんが、僕も友人には甘えっぱなしのとこもありますから、ちゃんと生活できるようになったら少しずつでいいんで返せたらなあとは思いますね。

Noteでこういう障害者関係の記事を書いてる方や、なんらかの生きづらさを感じてる当事者の方とか集めて珈琲一杯くらい飲みながらゆるゆるとしたオフ会とかしてもいいかもしれませんね。

とりあえず僕は継続がうまくできないので、躓きも随分したので、ここらで一年間は筋トレや思考整理したうえで次にどう動くかという時間にあてます。

一般では40になるまでに仕事を見つけなければ非常にこれからは大変になるとは言われてますが、今障害者枠も色々と広がっているし、雇用体系もまた変わっているのも感じていますし、焦らず出来る事を色々と考えていけばいいのかなあと。

わかってほしいと願ってもすり合わせや寄り添うことはあっても、自分の中の葛藤や苦しみは自分にしかわからないし、自分の人生を相手に押し付けるのも違いますし、自分の劣等感を拭うために自分より下だと思える人を見つけて心を慰めるのも違いますしね。

わからないものをバカにしたり、仕事してないひとを理由なく責めたりする人は一定数いますし、善意だろうが悪意だろうが、そぐわない感情をぶつけてくる人はいます。

それに対応できないから僕は苦しんでいるのでしょうが、結局その苦しみをどうにかするのも自分なので、健全な心と体をつくるための判断は自分にしかできないので。

納得いく形を常に求めていきたいものですね。

マダオさんの記事は選択する事や把握すること、自分自身の大切さや御自身の経験を記した一種の本だなあという形で読者として拝見させていただきました。

今後記事の感想記事とかも書いてみたいなあ。誰かいません?
読者として書くくらいなんで何も出せませんが。

人の想いは生きている人達の分だけありますし、関わるだけで合う合わないのもありますし、幸福や不幸は人それぞれだし、確実性の正解や間違いはなく、どうあるかが大事なのかなと僕個人は思います。

だからといって自分の嫌な事を我慢するのも違いますし、自分の我儘を通すのも違いますから、調和というのは本当に難しいものであると同時に非常に得難いものでもあるなあというのをすごく想います。

障害という形だけで無遠慮に話す方もいますし、もしくは必要以上に理解しているよというような方もいますし、話して全てわかるならばきっと世の中平和でしょうねえとは思ったりもしますが、結局自分自身の気持ち的なものを疲れさせないとか消耗させないというのも大事だし、話す事で一方的な理解をしたような事をしないようにするのと、相手も一方的なわかったと断定しない人が好ましいのかなあと思います。

結局疲れ果てて意味のわからない思い込みやらしなければ極力いいなあとおもうので、ある程度余力を持つ事が大事なのかなあとも思います。

まあ自己判断を責任もってできる範囲まであるといいでしょうねというのはありますよね。

後、言葉通り善意だけで受け取らないのも大事なのかなあと。

僕個人の考えなので最終的には自分が選んだ事を後悔しなければいいとおもうので、大事なのは振り返ったらなんかなあと思わない事だなあとおもいますねえ。

話がずれてきたのでこの記事はこの辺で。

マダオさん自身とも興味があるのでお互いの見識や認知を話してみたいですね。
僕個人はあまり心理学には精通してないし、個人的な自分の生活の範囲でしか障害の知識はありませんが

発達障害当事者の詩人が色々と経験しながら生きていくかんじです。興味あれば支援してくださるとありがたいです