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民法上の組合と消費税(下)【組合と「人格のない社団」の関係】


★前回記事「民法上の組合と消費税(中)【組合における消費税の課税関係】」はこちらから。

「組合」と「人格のない社団」

 
 消費税法をはじめとする各租税法においては、「人格のない社団等は、法人とみなす」という規定が置かれている。消費税法では第3条に規定がある。一般的な租税法では、この「人格のない社団等」とは、「法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるもの」と定義されている(消費税法では2条1項7号。本稿では財団は関係ないので、以下では単に「人格のない社団」という。)。

 では、組合は「人格のない社団」にあたらないのだろうか。
 結論からいうと、租税法の世界では組合は人格のない社団に当たらないと解するのが一般的だ。しかし、「人格のない社団」という用語に着目すると、少し興味深い問題点が浮かび上がる。


「人格のない社団」とは

⑴ 民法(私法)における「権利能力なき社団」

 法律の世界では、原則として、どのような団体や組織も法によって「人格」が認められなければ権利義務の主体になることはできない。日本の法令では、法的な権利義務の主体になるのは自然人及び法人(一定の集団・団体・組織について、法律によって法的な人格が付与されるもの)に限られるのが建前だ(民法3条、34条)。

 しかし、社会には、法人格が認められないが、法人と同様の実態(実体)をもつ組織が存在している。そのような団体は、できる限り法人と同様に扱うことが社会的に望ましい。
 そこで、学説・判例において、法人と同様の実体を有しているが法人格を持たない団体について、可能な限り法人の法律関係を適用して法人に準じて考え、(構成員から)独立した権利義務の主体になり得ることを認める。このような団体を「権利能力なき社団」という。

 つまり、ある団体が「権利能力なき社団」に該当する場合、私法の関係では、単なる個人の集合を超えた団体としての権利関係が認められる。組合の場合も、民法の規定によってある程度個人を超えた権利関係が認められているが、「権利能力のない社団」の場合は団体としてのより高い独立性が認められる [※1]。

※1 例えば、組織に関する事項について法人の規定が類推適用される場合がある。最判昭和55年2月8日民集34巻2号138頁。

 「権利能力なき社団」の財産関係については、法律のルール上、法人格を持たない「権利能力なき社団」それ自体に財産の所有を認めることはできない。そのため、団体の財産は、構成員が共有的に所有するものと解される。
 しかし、各構成員は、団体財産を団体の定めに従って使用収益することが認められるだけで、団体財産に対して共有持分権を有しないと解されている(講学上「総有」という。)。そのため、団体財産の分割や脱退による持分の払戻しはできないとされている[※2]。これは、脱退によって持分の払戻しが認められる組合の場合よりも、団体としての拘束力が強いといえる。

※2 最判昭和32年11月14日民集11巻12号1943頁。

 「権利能力なき社団」の対外的行為(取引)については、法律のルール上、法人格を持たない「権利能力なき社団」が取引の主体になることはできない。
 そのため、代表者が団体の名において法律行為(取引)を行い、その効果は構成員全員に総有的に帰属する。
 また、社団が対外的に負う債務については、社団の総有財産のみが責任財産となり、構成員各自は取引の相手方に対し直接に債務や責任を追わない(有限責任が認められる)[※3]。この点も、組合員に(損益分配の割合に従った)無限責任が認められる組合とは異なる。

※3 最判昭和48年10月9日民集27巻9号1129頁。

 このように、同じ法人格がない集団でも、組合と「権利能力なき社団」は実体法上異なる存在であり、権利義務関係のルールもかなり異なる。

⑵ 租税法における「人格のない社団」

 租税法の世界においても、ある団体が実質的に法人と異ならない活動をしている場合、それを法人と同様に扱うことが実体に合致するのみならず、租税負担の公平に適う[※4]。
 そこで、前述のように、租税法の多くでは、「人格のない社団は法人とみなす」という規定が置かれている。この「人格のない社団」は、「権利能力なき社団」と同義といってよい。
 つまり、ある団体が「人格のない社団」に該当する場合、法人と同様に団体自身が納税義務を負うことになり、構成員は納税義務を負わないことになる。そのため、ある法人格のない団体が組合に当たるか「人格のない社団」に当たるかは極めて重要な問題だ。
 

※4 金子宏『租税法』(第24版)・157頁。


「人格のない社団」の要件一般論


 では、どのような団体であれば「人格のない社団」に当たるか。

 「人格のない社団」の法律関係は、組合よりも団体的拘束力が強い。そのため、方向性としては、団体的な組織性や独立性が組合よりも強いものが「人格のない社団」にあたると解されている。リーディングケースとなる判例によれば、「人格のない社団」に該当するためには、①団体としての組織を備え、②多数決の原則が行われ、③構成員の変更にもかかわらず団体そのものが存続し、④組織の代表の方法、総会の運営、財産の管理その他団体としての主要な点が確定している必要があるとされている[※5]。

※5 最判昭和39年10月15日民集18巻8号1671頁。

 この最高裁(以下「最高裁昭和39年判決」という。)は、民事訴訟法に規定される「人格のない社団」について判断したものだが、租税法における「人格のない社団」についても、この最高裁昭和39年判決の要件が妥当すると考えるのが一般的だ[※6]。
 消基通1-2-1では、より具体的に、「『法人でない社団』とは、多数の者が一定の目的を達成するために結合した団体のうち法人格を有しないもので、単なる個人の集合体でなく、団体としての組織を有して統一された意志の下にその構成員の個性を超越して活動を行うもの」をいうとしており、「(民法第667条の規定による組合は、)これに含まれない。」と明記する。つまり、通達も、組合を超えた団体としての組織性・独立性があるものを「人格のない社団」と考えている。

 そうすると、組合と「人格のない社団」は、割と明確に区別できそうだ。しかし、ここで少々厄介な問題が浮かび上がる。

※6 前掲金子157頁、金井恵美子『プロフェッショナル消費税の実務(令和4年10月改訂)』564頁。


民訴法における「人格のない社団」と租税法の文言


 民法の世界では、「人格のない社団」はあくまでも講学上(解釈論として)認められているものであり、これを直接規定する条文はない。しかし、前述のように、民事訴訟法には規定がある。
 民訴法29条は、「法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものは、その名において訴え、又は訴えられることができる。」とする。
 これは、「代表者等の定めのある人格のない社団」は民事訴訟の原告・被告になれるという規定だ。
 民事訴訟は、権利義務の実現手段であるから、裁判の原告や被告(「当事者」という)になれるのは、私法上の権利義務の主体になれる者、つまり法的な人格を持つ自然人及び法人に限られるのが原則だ。しかし、法人格がなくとも、社会的実態として法人と同様に存在しており、そのような団体の名義で裁判をすることが紛争解決や権利実現の観点から適切な場合がある。そこで、民訴法29条は、法人でない社団でも、代表者又は管理人の定めのあるものには、訴訟の当事者能力を認めることとしている。

 この民訴法の「法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるもの」という文言は、消費税法等の租税法の「人格のない社団」の定義と同一だ。そのため、両者は同一の概念を意味するとも思える。
 しかし、そう解すると、面倒な問題が生じてしまう。というのも、代表者の定めのある組合は、判例上、民訴法29条の「人格のない社団」に該当するとされている[※7]。
 つまり、民訴法では「人格のない社団」に該当する組合が認められているのだ。
 そうすると、同じ文言を用いる消費税法の「人格のない社団」においても、組合がこれに当たる場合があるのではないかが(一応)問題となる。

※7 最判昭和37年12月18日民集16巻12号2422頁(原告の場合)、大判昭和10年5月28日民集14巻1191頁(被告の場合)。


民訴法の「人格のない社団」と租税法の「人格のない社団」の関係


 この問題については、二つのアプローチが考えられる。

⑴ 同一概念であるとする考え方

 一つは、民訴法と消費税法が同じ言葉を使っている以上、両者を統一的に考えるべきだとして、租税法でも「人格のない社団」にあたる組合というものを認める考え方だ。
 これによれば、民訴法で当事者能力が認められる「人格のない社団」は、租税法においても「人格のない社団」に当たることになる。したがって、組合も、代表者が定められており民訴法上「人格のない社団」にあたる場合には、消費税法上も「人格のない社団」に当たる。
 その限りにおいて、組合は「人格のない社団」に当たらないとする消基通1-2-1は誤りということになる。

 この点、総務省の地方税12条に関する通達では、総論として、「組合契約等により共同して事業を経営する場合においても、代表者又は管理人の定めがあるときは、法人でない社団……とする」としており、正面から組合でも「人格のない社団」に当たる場合を認めている[※8]。
 さらに、事業税については、「人格のない社団」とは「民事訴訟法上当事者能力を有する非法人で収益事業を行うもの」と定義しており[※9]、正面から民訴法の規定とリンクすることを認めている。
 これは、両者を同一概念とする上記の考え方に親和性があるといえる。

※8 「地方税法の施行に関する取扱いについて(道府県税関係)」(平成22年4月1日総税都第16号)第1章19⑵。
※9 前掲「地方税法の施行に関する取扱いについて(道府県税関係)」(平成22年4月1日総税都第16号)第3章1の3。

⑵ 同じ文言でも別概念であるとする考え方

 しかし、民訴法の「人格のない社団」と租税法のそれを完全に同一概念であるとする考え方には疑問がある。
 なぜならば、民訴法の「人格のない社団」に当たるとするかどうかは、「その団体を訴訟の当事者とすることが紛争の解決という観点から合理的であるか」という観点から判断されるべきものだからだ。
 民訴法の「人格のない社団」では、その前提として、社会的実態としての団体性・組織性は必要であるが、どの程度の団体性や組織性まで必要であるかは、訴訟や紛争の内容によってケース・バイ・ケースとなると解されている。
 例えば、団体が金銭を請求する原告となるには、団体としての組織的一体性があれば足り、団体に固有の資産があるかどうかはあまり重要ではない。しかし、反対に、団体を被告として金銭を請求するという訴訟では、勝訴した後の強制執行を考えると、団体に固有の財産があるかどうかが紛争の解決や訴訟の実効性という意味で重要な要素となる。
 そのため、「金銭支払請求訴訟の原告として当事者能力を認められた者が、被告としての事案で能力を認められるとは限らない。」という指摘がある[※10]。

※10 伊藤眞『民事訴訟の当事者』67-68頁。

 前記のように、民訴法で「人格のない社団」に権利能力を認める趣旨が、紛争解決や権利の実現にかかる合理性にあるとすれば、同じ団体でも紛争内容によっては当事者能力が認められたり、認められなかったりすることには十分理由がある。
 実際の判例でも、民訴法の「人格のない社団」の判断については、最高裁昭和39年判決を参照しつつも、その考慮要素や判断過程には濃淡があるといわれており[※11]、特に団体固有の財産の有無の位置付けについては学説上も議論がある[※12]。
 このように、民訴法の「人格のない社団」は紛争との相関関係で決まるものであり、一義的ではない。

※11 佐久間毅『民法の基礎1(第3版)』378頁は、最高裁昭和39年判決について、①は④に吸収され、②は実際には必要不可欠とはされておらず、③は要件の明確さに乏しいため、結局は④の要件のみが問題となるが、その場合は団体が他の財産と区別された財産の存在が考慮要素とされているとする。
※12 井上治典「ある権利能力なき社団の当事者資格」青山善充ほか編・新堂幸治先生古希祝賀『民事訴訟法理論の新たな構築(上)』567、580-582頁参照。

 もし、租税法における「人格のない社団」を民訴法と同一概念と解すると、例えば、上記のように「金銭請求の原告としては訴訟能力を認められるが、被告としては認められない」という団体の納税義務の判断が困難になる
 また、租税法律関係が課税主体と納税者の金銭債権関係としての側面がある以上は、少なくとも団体に固有の財産がなければ課税の実効性もない(国税徴収法41条に第二次納税義務の規定はあるが、あくまでも第一次的には人格のない社団に属する財産に対する執行が求められている。)。
 したがって、民訴法の概念をそのまま租税法の世界にトレースすることは妥当ではないと思われる。

 以上から、民訴法29条の「人格のない社団」と租税法の「人格のない社団」は同じ文言を用いているが、その内容は異なるものと考えるべきだろう。民訴法では、その団体に訴訟法の当事者能力を認めるべきかという観点から判断され、租税法の規定は、課税の根拠となる租税法の趣旨に照らし、その団体を独立の課税主体と扱うべきかという観点から判断されるものと思われる。もちろん、両者はほぼ同一の要素に基づき、結論も同一となることが事実上多いだろうが、それは結果論だ。

 このように、組合が民訴法上の「人格のない社団」に当たるからといって、当然に租税法でも「人格のない社団」に当たるということにはならないと考えられる。


租税法の「人格のない社団」の判断基準


 租税法の世界における「人格のない社団」を民訴法のそれとは別個の概念として考える場合、ある団体が租税法の「人格のない社団」に当たるかは、(民訴法の当事者能力の有無にかかわらず、)当該団体に納税義務を課すことが妥当かという点から判断すべきことになる。

 どのような要素が求められるかは一概にはいえないが、租税法において「人格のない社団」が法人とみなす規定がある前述の趣旨からして、少なくとも社会的に観察した場合に、法人と同レベルの団体としての組織性・独立性・活動実態が認められなければならない。その意味で、前記最高裁昭和39年判決の考慮要素は重要だ。
 また、課税関係が課税主体と納税者の金銭債権関係であるという側面を重視すれば、団体に個人から独立した固有の財産(団体自身に帰属するという意味ではないので注意。)があることも重要な要素となると思われる。

 そうすると、租税法における「人格のない社団」の判断要素や判断基準は、民法(私法)の概念としての「人格のない社団=権利能力なき社団」とほぼ同一となる。つまり、民法上、権利能力なき社団に該当し、総有的な法律関係が認められるような団体が、租税法上も「人格のない社団」に該当し、納税義務を負う、と考えることになる。


租税法ごとに「人格のない社団」の概念は異なるか


 ここで、さらにもう一歩進んで考えてみたい。多くの租税法では、「人格のない社団」を法人とみなす規定が置かれているが、これらの「人格のない社団」は同一の概念なのだろうか。例えば、所得税法4条や法人税法3条の「人格のない社団」と、消費税法3条の「人格のない社団」は同じだろうか。

 おそらく、通説的には、これらは同一概念と解するだろう[※13]。しかし、所得課税において「人格のない社団」を法人とみなして課税するのは、もっぱら所得がどこで認識されるべきかという問題であるのに対し、消費税では、取引が誰に帰属するか、あるいは、間接税として誰に納税義務を認めることが合理的かという問題だ。
 消費税法は、課税取引を行った者を納税義務者とする仕組みであるから、理論的には、当該団体が「実質的に取引が帰属する者である」といえなければならないが、所得課税では、誰に所得を認識することが妥当かという観点から納税義務者を定めるべきことから、取引の帰属は必ずしも重要ではないかもしれない。
 このように、租税法といっても、それぞれの法の趣旨や仕組みから「人格のない社団」を個別に解釈することは、全く否定されることではないように思われる[※14]。

※13 前掲金子157頁も、「租税法における人格のない社団等の意義は、私法におけると同義に解すべきである。」とする。
※14 沼田博幸『組合形式の事業体に対する消費税の課税について―パススルー課税の問題点を中心として―』明治大学会計論叢第1号17頁は、所得課税と消費課税では趣旨や仕組みが異なるため、解釈論として消費税法の「人格のない社団」を広く解することで組合をこれに含めるべきではないかと指摘する。


組合と「人格なき社団」の判断基準


 さて、以上のように考えれば、結局、ある団体が消費税の納税義務を負うかどうかは、それが組合に当たるか、(民訴法ではなく)実体法・租税法上の「人格のない社団」に当たるかで判断されることになる。

 判断基準やその要素について、前回前々回の記事の内容も踏まえて改めてざっくりいうと、単なる個人の集合を超えた共同事業体のうち、当事者の合意内容や組織の仕組み等に照らして、組合類似の組織形態をとっており構成員の個人色や個性が重視されるような事業体で、内部的・外部的法律関係を考えた場合に組合の法規定に従うことが妥当といえる事業体は、組合だと考える。

 他方、最高裁昭和39年判決の考慮要素に照らして、団体でも組合以上に組織的独立性が高く設計されており、個人色や個性が薄く、対外的にも独立した固有の存在といえるような団体は、独立した責任主体として取り扱うべきだと考えられるため、「人格のない社団」に当たると考える。

 実際の事案では、その判断はケース・バイ・ケースになるが、特に、組織の仕組み、代表者等の役職の選任方法や業務内容、財産の管理状況、固有財産の有無、加入・脱退等のルール、持分払戻しの有無、対外行為のやり方等が重要な検討点となる。そして、過去の裁判例や学説等に照らして、客観的に判断することが重要だ。

 したがって、契約書の形式や団体の類型・名称だけ見ても判断ができない。
 実務においても、「民法上の組合契約を結んでいても、人格のない社団の要件を満たしたものについては、人格のない社団としての取り扱いを受ける可能性があるため、その契約の形式にかかわらず、実態に即した判断が必要」とされている[※15]。


※15 前掲金井564頁。

 逆に、プランニングという意味では、組合と法人のいずれの課税関係を実現したいのかという点から組織を作る(ブラッシュアップする)ことが重要だ。単に契約書や規約の文言だけを整えておけば良いというものではない。

さいごに

 以上、組合と「人格のない社団」について民訴法の規定と比較して諸々雑感を記載したが、実際には、実体法・租税法の「人格のない社団」と民訴法のそれとが重なることが多いと思われる。そのため、実務上両者を区別する実益は少ないかもしれない。

 ただ、理論的には、両者は異なる趣旨・要請に基づく概念なのではないか、また、租税法においてもそれぞれの租税法で「人格のない社団」の概念が異なることもあり得るのではないかという点は(頭の体操として)留意しておきたい。

(弁護士 日隈将人)


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