_タクシードライバーは見た__60歳を越えたタクシー運転手の幸せな働き方_のコピー__90_

#タクシードライバーは見た「おじいちゃんの右腕」

―――この方はどんな人生を送って来たのだろう。
ふとした瞬間に、想像を掻き立てられる。
神谷町でお乗せした80代ほどの男性は愛宕神社までと申してきた。
神谷町は六本木のはずれ、住所でいうと虎ノ門五丁目の一部にあたる。
現在は町名としては残っていないが駅名やビル名等、その周辺の総称として神谷町と言わることがある。
テレビ東京の神谷町スタジオはそこに存在する。

オフィス街の一角でビジネスマンとは程遠い服装のその男性はガードレールに右手を付きながら、左手で手を上げた。
お止めするとゆっくりと車内に乗り込む。
「愛宕神社へ行ってもらいたいのですが、、、そこの信号を、、右折です、、、右へ曲がって下さい」
寂びれた声で丁寧に話すその口調は、戦後の日本の急成長を支えてきた一人としての色気を感じた。
 ところで神谷町から愛宕神社への距離は近い。
信号のタイミングさえ良ければ東京のタクシーの初乗り料金、420円で到着する。伸びても500円。
タクシー運転手としての売上としては雀の涙という表現にすら届かない。
正直に言うと、それ位なら料金要らないですと言ったこともある。
とても急いでいて混乱し、道が分からなくなった人が助けを求めるように乗ってきて、実は目的地が近く、200mほどお送りしたときなどはそうしている。
100m切るくらいのときもあり、その場合は本当は良くないがメーターを押さずに走って降ろすときもある。
一度や二度ではない。
善意どうこうではなく、もう鬼の形相で焦っているのを見ると精算の10秒すら惜しいはずだから要らないと言っている。
ただ、それに驚き、戸惑って、結局「いや、払いますよ」と時間を使わせてしまうこともある。
話がズレてしまったが、要らないと言えるくらいの料金だということ。

そんなお客様をお乗せすることに、普通のタクシー運転手であれば売上が直に収入に直結する、つまり収入の当てにならない料金に喜びはしないだろうが私は逆で、売上が高いことよりも、料金関係なくこういう瞬間に出会えることに喜びを感じてしまう。
お陰でストレスが無い。
その男性は愛宕神社まで信号がある度に直進なのか、左折なのかを伝えてきた。
直進のあとに真っ直ぐ、左折のあとに左に曲がりますと丁寧に伝えながら。

―――はい、それではそこの赤いポストの前で停めてもらえますか?
最後までそう丁寧に伝えてくれていた。
お支払い時、小銭入れから500円玉を取り出し料金台へ置く。
その時、右手から肘にかけた腕に火傷やすり切れたような古傷がいくつか残っているのが見えた。
普通のサラリーマンで過ごしてきた手ではない。
戦後のモノが無かった日本に物を増やすために、技術を研究、開発してきたのだろうか。
それらをカタチにする現場にいた人なのだろうか
それとも料理人だろうか。

この方はどんな人生を送って来たのだろう。
おじいちゃんの右腕には、これまで多くの苦難を乗り越えてきたことを想像できる人生を表す印が残されていた。

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