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#タクシードライバーは見た「もう、一息 中編」

一息というのは非常に便利なものだ。
心の乱れを治めてくれるし、緊張をほぐすことが出来る。
銀座で乗り場までもう一息だったところで乗せた女性には怒りと悲しみと驚きと愉快な気持ちと代わる代わる楽しませてもらった。

女性が乗って来たのは、銀座の1号乗り場という比較的良質な乗り場につく5台前だ。
時間にするとあと2,3分もあれば乗り場に到着する。
銀座地区の乗車禁止時間帯が過ぎ、お客様である女性はどこで乗っても良い訳だが周りにはタクシーがウヨウヨと並んでいる。
それは乗り場に並ぶタクシーではなく、乗車禁止時間帯が明けることで乗り場に並ぶのを回避してお客様を探す“流し”のタクシーだ。
そんなタクシーいくらでもいる。
そんな状況のなかで選んだのが、目の前と僕の乗り場に並ぶタクシーだ。
別に選ぶことは悪いことではない。
ただ、目の前に流しというすぐ乗れるタクシーがいる状況のなかで、
そこから少し歩き、乗り場に並ぶタクシーの列の前へやっってきた。
どうせなら、流しに乗ってくれ~。
本気で怒っているわけではないが、フザケ怒りのようなものがこみ上げる。
その理由は単純。
あと5台、時間にして3,4分で乗り場でお客様を乗せるはずだった。

「タクシー乗り場に並んだからといって長距離のお客様をお乗せするとは限らない。ワンメーターで終わることだってある。
だから乗り場で乗せようが、目の前のお客様を乗せようが何かが変わる訳でもない。
そのお客様が長距離の可能性だってあるのだから。」
心の中でそう説き伏せようとする自分がいるが、そこにも問題がある。
確かに、乗り場でなくても長距離の場合はあるし、乗り場で乗せても短距離の場合はある。
で、結局お乗せしたお客様は2,000円弱の距離。これ自体はどうでもいい。問題は淡い期待を残したまま走り出さなければならないことだ。
別にお客様が悪い訳じゃない。
ただ、乗り場で乗せて近いなら納得できる。
それも見込んだうえで乗り場に並んだ。
なのに、その前で離脱させられしかも2,000円弱となれば
「ああ、乗り場で乗せてれば . . . . . .」
という悲しくも淡い期待が残されたままになってしまう。
その通りにお客様をお送りすることになった。

-----ああ、乗り場で乗せていたらどこに行っていたのだろう. . . . 。
そんな感情を持ってしまうが気にしてもしょうがない。
既にお客様は後ろに乗り、目的地へ走り出している。
一息、深呼吸とまではいかないが深めに呼吸をして現在に戻ってきた。

一息おいて、どうせなら何かネタになることでもあればな. . . .
と期待の中身を入れ替えて安全運転に努めた。

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