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居場所は”ワタシ”のなかに、いっぱいあるのよ

 「ワタシ」って言葉はね。女の子や、女性だけが使うわけじゃないんだよ。大人の男性も、優しい口調で話す人の多くは、自分自身のことを「ワタシは…」って言うんだよ。男の子って呼ばれる人たちだって、使ってもいいよね。うん、なんだか「おとなびてる」って思われるかもしれないけど、とても丁寧な言葉には違いない。

 だから、”ワタシ”は、すべての人のことを表す言葉


居場所は、”ワタシ”のなかにあるから大丈夫

 近所には、ひとりでも、キョウダイだけでも行ける場所がたくさんあったんだよ。

 公園、図書館、博物館、美術館、展示室、環境センター、児童館、公民館。
 食品スーパー。お総菜屋さん。お弁当屋さん。ホームセンター。
 駅。バス停。
 郵便局、銀行、市役所には、お母さんと一緒に行ったよ。
 朝市なんかもあったよ。神社も。
 ながいこと工事をしている道路があったよ。
 いつも通る道で、マンションや一軒家が建つところを最初から最後まで見たこともあるよ。

 おばあちゃんちに行くと、道祖神や、ちょっと近くでは見たことのないかたちをした古い作りの家や倉や、旧い橋。
 どこまでも平地で、広いたんぼ。隣の家までの距離が遠いこと!


ワタシの場所は、みんなの場所でもあるの

 ある時、いつものように環境センターの図書室で本を読んでいるとね、知らないおじいさんが、「どこの学校だっ!」って言ってきたんだ。いつもいるのは”ワタシ”のほうなのにね。なんだか、そこには居られなくなっちゃった。
 帰って、お母さんにそのことを言ったの。

 そしたら、お母さんは、こう言ったよ。
「お母さんから、センターに人に言ってみようか?センターに人は、いつもあなたたちが好きな時間にそこに居ることを知っているよ。お母さんがそのことを知っているということも知っているよ。説明しにいこうか。」

「ううん。いい。もう行かない。」って、”ワタシ”はそう言ったの。

「いいの? もっとそこで読みたい本があるんじゃない?」

「大丈夫!他にも行きたいところはいっぱいあるから!」

 お母さんは、たぶんちょっと寂しいような目をしてたかもしれないけど、こう言ってくれたよ。
「わかった。じゃあ、もし、また行きたくなったらいつでも行っておいでね。それで、お母さんから説明してもらうことが必要だって思ったら、すぐに言ってね。」

「わかった!」。


 おじいさんは、びっくりしたのかもしれないね。だって、コドモって学校に居るものなんだって思っているからね。学校だけにしか居ないんだっておもってるのかもね。だって、おじいさんだからね。
 おじいさんは、たぶん本を読みに来たんじゃないんだと思うなぁ。涼しいんだよね、あそこ。座る場所もあるしね。


スーパーに行くとね、「すごいね!」って言われるの

 お母さんとスーパーに行くと、カゴに買うものを入れるの。カゴのなかに入っているうちは、まだ自分のものじゃないんだよ。だから開けたりしたらダメなんだよ。
 棚に並んでいるのは、みんながこれから選んで、買って、家に持ち帰るものだからね。だから、ベタベタ触ったりしたらいけないよ。誰だって、新しくてきれいなものを持って帰りたいもの。

 あ、そうそう。図書館では「どんな本かなぁ」って手に取って、テーブルまで持っていて、最後まで読んでもいいけど、お店で売ってる本はそんなことしないよ。表紙を見たり、「なにが書いてあるのかな」って確かめたりするくらいはいいけどね。気をつけてね。

 カゴに入っているものは【レジを通す】でしょう?「〇〇円です。」って店の人が言うよね。だから、先に、「〇〇円だよ!」って、いつも言うの。

 するとお店の人が言ったよ。

「すごいね!レジより早いよ。計算が早いのねぇ」って。

 そうでしょう? 今から帰ってお昼ご飯ですよ。みんなで、おうどんを分けて食べるんですよ。いちばんちいさい妹は、一袋全部は食べきれないからね。3袋くらいでちょうどいいんですよ。5人で分けるのよ。


名前?知らない、聞いてない

 遠くの大きな公園に出かけた時にね。長い長いローラーすべりだいで、カゴやたたんだダンボールですべっているこどもたちがいたの。その子たち同士で何を話しているのかはわからない。だって日本語じゃないから。
 でも、その子たちが使ってたダンボールで、わたしたちもすべったのよ。ものすごいスリル!たのしかった!
 お母さんが戻ってきて、なんだか驚いてこっち向いて言った。
「え、言葉、通じたの?」
「ううん。でも貸してくれた。」
「わぁ。ありがとう~」
 あの子たちも、笑ってたね。

 あとね。違う日にもね。
 知らない子たちと遊んだの。

「名前、聞いた?」
「ううん。知らない」
「え!ずっと遊んでたよね!?結構、長い時間一緒だったよね!?」と、またびっくりした顔してる、おかあさん。
「ずっと遊んでたよー。」

なんだか、ぼそぼそと言ってる。
「そっかぁ。そうだよなぁ。名前を知らなくても、全然、話せるし、遊べるもんなぁ」。

「え?次、会ったときどうすんの?名前、知らないじゃん。なんて声かけるのよ」と、不思議そうに聞く、おかあさん。

「え?フツーに遊ぶけど」。


テレビのなかに、前に住んでたところが映ってた

 「あ!あの場所、行ったねぇ」。

 あのとき、どうした、こうしたって、たくさん覚えてるみたい。
 家族みんなで話してるから、覚えていることも、忘れていることも、たくさんあった。
 あの時の場所は、今、映っている場所と同じ場所だけど、ワタシたちは、今はそこには居ない。でも、そこに居たことを覚えてる。

 何をしたかを思い出してるとき、ワタシの心はそこに居る。

 あの場所、今はそこには居ないけど。
 ちゃんと、ワタシが居た場所。これからもそう。変わらないね。きっといつでも思い出すんだろうね。いつかまた行けるかな。


同じ場所から同じ写真を撮った。ダイスキな人がそうしたのと同じように

 ダイスキな人がSNSで「行った場所」の画像をあげてたのね。偶然、近くの場所に用事があって、行くことができた。飛行機で行く場所よ。
 あの写真と同じ場所まで行った。道を歩いて…。

 「そう!ここよ!」

 その人とワタシとではたぶん目の高さが違うはずなのね。カメラをあてる角度が違うはず。でも、その人はきっとここに、この場所に立って、同じ方向を向いて、そうして写真を撮ったのよ。
 
 (季節も違うけど、時間も違うけど。同じ場所に、ワタシ、今、居るんだ。)

 それだけで幸せいっぱいになった。
 自分のことを、「すごい!」って思えた。
 その人に会えることはきっと一生ずっと無いと思うけど。その人が歩いた場所を、歩いてるって、それだけで、すごくうれしかった。
 その場所は、たくさんの人が歩いて通り過ぎるけど、知らない人ばかりなんだけど、確かにワタシの場所になった。
 大切な、大切な、その場所。心のなかにあるよ。


どこにでもいっていい どこにでもワタシも居る だれかも居る

 誰かが居る。どこにでも居る。そういうところにワタシも居る。
 そう思う。

 本を読むことを、「本の中にはいる」って表現することがある。
 本の中に登場人物がたくさん出てくる。”人”だけじゃない。いろんなイキモノも、なんでも。

 それから、気づく。
 この本を書いた人がいるんだって。その人の想いを読んだんだよね。
 同じ本を読んだ人がたくさんいるだよね。どんな気持ちだったかな。


 好きな絵。好きな音。好きな色。
 苦手な絵もある。苦手な音も、好きじゃない色も。
 
 そのひとつひとつに、必ず、”人”が居る。

 水を飲む。お気に入りのカップに手が触れている。
 水が出てくる。家の中に居る。

 たったそれだけのことを実現するのに、いったいどれだけの人の手や思いが重なっているんだろう


あなたの想い、受け取ってます
どうも ありがとう


 気持ちをおくる。届くかどうかまで、見届けられなくても。

 気持ちがつながってる

 気づかないところで、気づかないうちに

 誰でも 誰とでも

 どんな風にでも


 そんな風に感じるとき、とてもとても幸せな気持ちになれるんだよね
 おかしいかな

 でも、そうなのよ

 気づくと、「ひとりでなんかいられない」って分かるの
「ひとりになんか、なれないものなんだな」って、なんだか思う。

 

ひとりだけど ひとりじゃない

知らないけれど、知ってる

 会ったことないけど、どこかに居る人の思いを、受け取ってるんだなぁ。
もうどこにも居ない人かもしれなくても、いつかは居た人。そんな人と、同じ気持ちだったかもしれないんだなぁ。
 そんなことを考えると、なんだか楽しくなってきたよ。

 たのしいとき、かなしいとき、がっかりしたとき、さみしいとき、くるしいとき。どんなときも、同じように感じた人、同じように感じてる人、同じことを思った人、同じ風に考えた人、どこかに必ずいるんだなぁ。

 そう思ったら。

 「ま、いいか。それで」って思えたよ。
 




 
 


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