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こどもにかける言葉のエッセイ

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2018年8月スタート。アンスクーリング11年目、4児の母の洋美です。こどもにかける言葉を思い出して、つらつらと書いてみようと思います。「スキ」が励みになります。
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記事一覧

マスクを外す準備はできていますか?

 家族にちいさなお子さんはいらっしゃいますか?  お子さんがマスクをつけて歩いている姿が多く見られますね。  マスクを外す日が訪れます。  その時、お子さんはマスクを外すことに、抵抗なく、不安なく、受けいれることができそうでしょうか。その必要な準備(レディネス)をちょっと考えてみたいなと思います。 「マスクをつけよう」と、いつ決めたか、覚えていますか? ある日から、マスクを着けることを家族で決めたと思います。理由があったから、それまでしていなかった行動をスタートさせました

「やりたいこと」は削れない方だ・YES

① やりたいこと ② やるべきこと ③ 生活上必要なこと  このバランスをどうとる?  そう、それって結構な重要課題だ。 「やりたいこと」は削れない 私は「やりたいこと」を削れない方だ。今では。  「やりたいこと」を優先して、「今、やるべきこと」は後回しにしがちだ、と周りの目からはそう見えているかもしれないと思う。  例えばこんな具合だ。 エピソード1 明日も仕事だよー。早く、寝ないとだよー。 (でも) 今!この本を!読みたいの‼ (となったら) 迷わず、読み始める

完璧になろうとしなくていいんだよ

 夏です。毎年、やってきますね。たまには夏が来なくてもいいんじゃないかしら?ずっと春や秋でもいいかしら?  なんとことをつい思ってしまいましたが、夏は、やはりその夏らしさがいとおしいものです。 「ものすごく夏ーっ!て感じがするねーーーー!!」  喜び勇んで、ホースから水を吹き飛ばしている少女が我が家にはおります。夏の日差しをあびながら、バケツにはった冷水に両足をつっこんで、まさに夏の涼をたのしんでいます。これで縁側とスイカと麦わら帽子があった完璧では…などと、つい欲をかい

贈り物をたくさん

 何をこの子にあげられるだろう?なにを用意できるだろう?  やっぱりそんなことを想ったりすると思うんです。すると、どうしても(親のチカラが足りないんじゃないのかな)という不安に襲われることになって、それは経済格差や教育格差という言葉に回収され、あたかも社会が豊かでないのが悪いという方向に向いてしまっているのだなと、たびたび目にしている気がします。 贈る / 与える  親になってみると、わたしたちは持てうる限りのものを、できるだけたくさんこどもに持たせたくなります。それは

いい感じに期待を裏切ってくれ

 親はこどものことをなんでも知っている、分かってるという幻想は、たぶんきっと親自身も持っていたいし、こどもは無条件に信じているかもしれない。でも、考えてみてほしい。そんなこと本当にあるのかな。 他人を知るなんてすごいアトラクション 生まれた時からきみを知っている。  生まれる前からきみがそこにいることを知っている。  確かにその事実は大きいのだけれど、そして標準的な家庭であれば、産んだ親と子が同じ屋根の下で暮らしているのだろうけど、あるいは誰か大人がいつもそばにいたのだろ

きらいなものはきらいでいいんだよ

 きらいなものは きらいなんですよ  それでいいんじゃないかな  「きらい」という感情は疎まれることが多いようです。「嫌う」という行為を自分がしていることで、自責の念にかられることも多く、自分に疲れてしまうのですよね。自分を投影しているということもよく耳にすることですから、反省しきり…なんていうことも。  でもねぇ。きらいなものはきらいですよね?いいんじゃないのって思う。  天使と悪魔。心の中の良心と、良心にそむく心の葛藤をそのように表現します。最終的には悪魔を追い出す

みつけたの?

 躍起になっている間は、なかなか見つからない。  普段は頭に浮かばないような毎日だけれども、心の奥底で求め続けていると、自分ではわかりえないもっともよいタイミングで、もっとも適したものが向こうからやってくる。  だから、なにも心配しなくていいんだ。  そんな確信を持ったのは、いつの頃からだったのでしょうか。思い描く未来は訪れず、ぶちあたる扉の数々は思う通りに開いてはくれず、もがいている毎日が、たぶんきっと誰にでもいつかはあると思うのです。  できることはやっている。やるべ

ennui 弱音はアンニュイに吐くもの

 相も変わらず頭痛と吐き気がひどい。  相も変わらず体が重い。  身体が弱い人は線が細いように思えるが、思うように動けない身体は満たされようとするがままに食し、不器用に肉をまとっていくことを知りました。気を紛らす時間が一日二日と続きます。  頭痛がひどいからだ。  吐き気があるからだ。  気分が晴れないからだ。  と、なんとか自分を赦そうとしたものでした。 それでも休めた気にはなれず、冬の一日はすぐに暗くなるものです。  楽しいことも無いのに笑えるものか  そうでしょ

見知らぬ人と出会うのは好き

  スーパーでときどき出会うのが試食販売の方です。  あまりウチでは使わない商品だと、なんだか申し訳なくて極力存在を悟られないようルートを変えたり、どうしてもその前を通るときには極力目が合わないように無事通り過ぎるのを祈っている小心者は私です。  でも、その日は違いました。  販売員さんの声が暗いからです。 (あ~。これは買ってもらってなくて、いい加減凹んできたんですけど~のタイミングっぽい。)なんて思って目をやると、「気になって迷っていたけどその日は買わずに帰ったもの」

聞いてね。聴くからね。

 「わかる?」「知ってる?」「できる?」「どうすればいいと思う?」  周りから【正解】を問われ続けることが多かったのでしょう。 …あなたのことは大事じゃない …正解でなければ価値などない …正答を知っている私を敬いなさい …あなたが間違っているかどうかを決めるのは誰か …従いなさい …あなたの意見はどうでもいい …あなたがどう思っているかなんて聞いていない …教えた通りにできているかを確かめさせなさい …ご褒美をあげるか罰をあげるかを決めるのはこちら  正解を問われる質

普通って言われても

 「普通」の言葉が持つ意味ってなんだろう? ・通常、平常 ・一般的、標準 ・ごくあたりまえな、いつもの、習慣 ・常識的、平均  気持ちとして「普通は~」と使うとき、こんな感じの意味を含んでいるでしょうか。  「普通」って、あなたが思っている日常ってことなんでしょうね。  とても主観的な判断でしかないんだな。「一般的」「標準」「平均」「常識」のように客観的で普遍的なようでいて、実は、人ひとりの頭の中だけの基準であって、それは自分にしかあてはまらない基準です。どこか遠くにい

居場所はどこに

 なんだか以前にも同じタイトルで書いたなぁなんて思っているのだけど、最近のテーマです。『居場所』。  こんなつぶやきをしました。  「居場所のない」って…そこですでに前提として断定されてしまっている哀しさがあるんですよね。(別の場所や別の機会、タイミングってものだってあるものさ…)とそれなりに割り切りかたを知っている大人ならともかく、いわゆる「不登校」の渦中にいる若者にとって、居場所っていうのは、今そこに居るはずの自分、自分と同年代の、同級生が日常に過ごしているその空間なわ

やさしさで返してあげれば

 「怒る」っていうのはさ。  「怒りの感情表現」なんだよ。  怒りの感情表現は、なにも怒るってだけじゃないんだけど、まぁわかりやすいよね。(あ、この人、怒りの感情が今あるんだなぁ)ってことがさ。その表現方法は人それぞれ、その時々だから、間違っていることも多々あるんだろうけど、それはそれなんだ。大切なのは「怒りの感情」がそこにあるんだなってことだけ。  相手の怒りを受けとめなくてもいいんだよ。それはそっとやさしさで返してあげればいいんだよ。  何に怒りを覚えたんだろう?って

かならずそこにあるから

 やさしさに傷つき、やさしさに溺れ、やさしさに悩み、やさしさに力を奪われる。そんな出来事にきっと出会うときがある。 「辞めたいんだ」 「もう少しがんばれば達成まですぐそこじゃないか」  がんばりつづけてもうこれ以上がんばれないのに。 「辞めようかと思うんだ」 「きみの決めたことならなにも言うこと無いよ。そうすればいいじゃないか?」  自信がないんだ。ほんのちょっとの勇気が欲しいんだ。きみならまだやれると背中を押してほしいのに。  最後まで自分の力で歩き続けたかったのに、