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読書感想

悩みにふりまわされてしんどいあなたへ
幸せになるためのいちばんやさしいメンタルトレーニング

この本を手にとったときは、「胡散臭いタイトルだなぁ」と思った。
先に言っておくと、この本はかなり良い本である。
こういったメンタルケア本は9割はゴミ(だと思う)のだが、この本は数少ない、残り1割の読む価値のある本だと思った。

世の中には雑誌の誇大広告のような、くだらない本がいくらでもある。人生は言い方が9割だのいや見た目が9割だの、読むだけで人生が楽になるだの。
自己啓発本で人生が変える!と読書を励む人を見るたびに、私は小学生の時の素朴な疑問と失望を思い出して、いたたまれない気持ちになる。

私が小学生のとき、なぜ他の人々がニキビに悩むのか、てんで分からなかった。なぜならニキビ薬のテレビCMで、可愛らしい女優にできた、大げさなまるまると太ったニキビが魔法のように消えていたからだ。
「薬局でニキビ薬を買うだけで治るのに、どうしてみんなはニキビで悩んでいるんだろう?」と思っていた。
それ以外にも、こう思っていた
「どうして薬局には、風邪が治る薬や腰痛が治る薬があるのに、お婆ちゃんは病院に行っているんだろう」
「どうして、雑誌広告では1000円のコロンにみんながうっとりしているのに、1万円もするような香水が世の中にあるのだろう」
「スーパーや百貨店には何でも揃っているから、大人になって自由に買い物できたら簡単に幸せになれる」
自分が中学生に上がって、その勘違いが大きな間違いだったと知るが、この疑問は私に大きな気づきを教えてくれた。
幸せはスーパーにも百貨店にも売っていないし、思春期の根深いニキビは薬局の薬じゃ歯が立たない。

「読むだけで〇〇できる」系の本にアタリなし。これはどのジャンルでもそうだ。世の中に、簡単に習得できることで価値のあるものはない。

とはいえ残念ながら、私も人生に迷う一匹の羊なので、何度もそういった本を読んでしまったことがある。
普段は冷笑気味に斜に構えるタイプの私だが、ついついこういった本に惹かれてしまうのも、「この辛い気持ちが少しでも楽になれば」と藁もすがるような気持ちだから、尚更腹立たしい。

ということで、この本を手に取るのは、タイトルも相まってかなり抵抗があった。
だが、なんとはなしにAmazonの紹介文を読んでみると「出版社が事業を停止したことにより絶版したが、読者のリクエストにより電子版のみ販売を再開した」とある。
ふむ、こういう本で、読者がもう一度出版して欲しいと希望するのは珍しい気がする。筆者の経歴も、胡散臭いセミナーの会長とかではなく信頼できそうだ。おまけによくよく読んでみると、いま私が関心のある「ACT」について取り扱った本らしい。

ACTという言葉は、たしか鈴木祐が書いた「超ストレス解消法」に出てきて知った言葉だ。
鈴木祐の本も、上でこき下ろした本のタイトル傾向に当てはまっていて大層恐縮なのだが、役立ちそうな科学的なやり方を思いつく限り大量にあつめる、という筆者の姿勢は他の本と一線を画していて面白いと思うし、本自体もなかなか役立った。
そのなかで、一番興味を引いたのは、ACTという手法だった。実践的であるし、科学的なアプローチとして実証されていそうだと思って、もっと自分で調べてみようと思っていたところだった。

ともかく、自分に様々な言い訳をしながら、この本を読むに至った。

まず、この本は、誠実な本だと思う。優しく簡易な語り口ながら、かなり厳しい現実について説いている。

この本では、人生から「嫌なこと」が消え去ることは絶対にない、と言い切っている。
世の粗雑な本にあるように「言い方一つであらゆる嫌な上司を変えることができる」とか「考え方を変えるだけで気が楽になる」など、そういうことはありえない、と突き放している。
また、そのストレスを「代替行動」で解消することも推奨していない。
つまり、よくある言説にあるように「愚痴を言える友達を作る」「自分なりのストレス解消法を見つける」では問題は解決しない、と指摘しているのだ。

じゃあどうすれば良いのかというと「創造的絶望」に向き合え、という。
苦痛はなくならない。なぜなら、不快な刺激は生きている上で不可避だからだ。


例えば、「上司に言われた嫌な一言で落ち込んだ」とする。
これは事象だけ抜き出せば「上司は自分にとって苦痛なことを言った」ということであり、さらに身体的な反応では、「それを聞いて、胃がムカムカした。胸が詰まるような感覚がした」と、現実を分けることが出来る。
そして「胃がムカムカする、胸が詰まる用な感覚がする」というのは、それもまた身体的な事実なのだ。だから、気のせいにすることも出来ないし、軽くすることもできない。
それを無視したり抑圧したり、逃避したりしても、一時の問題解決にしかならないという。それを続ければ、自分の人生を生きている感覚を失ってしまうと。

だから、この本では「苦痛を心底味わえ」という。
「感情を味わうことが、あなたにとっての現実をみることだから」だと。
不快な感情、蓋をしたいような感情を、ありのまま受け止めてみれば、案外耐えられることに気がつくはずだ、と。

問題なのは、不安、悲しみ、怒りといった不快な感情自体ではなく、大切な人生がそれらを回避する「ために」使われることだという。
そうじゃなくて、そういった不快な「苦痛」を受け止めて味わい尽くしたあとに、本当にやりたいことのために「行動」しよう、と。

また、ラベリングについても警鐘を発している。
例えば、「自分に自信がないからコミュニケーションが苦手なんだ」と悩んでしまうと、今度は「どうしたら自信がつくのだろう」と負のループに入ってしまう。
ただ「自信」そのものは、目で見ることの出来ないラベルにすぎない、とこの本では指摘している。「目で見える行動」ではないため「自信がない」というラベルは、実際には中身がなくてもつけることが出来てしまう。
言葉に囚われるのではなく、「いつコミュニケーションが苦手だと感じたのか?」「どう行動したら改善するのか?」と具体的なアクションに起こせと。相手の反応はコントロールできないが、自分の行動はコントロールできる、変えられる。
「なぜ、自分はコミュニケーションできないんだろう」と苦悩するより、「こういうと相手はどう反応を返すかな?」と観察したり、「言い方」を試してみる具体的な行動のほうがよっぽど「役に立つ」。
具体的な改善が伴えば、その「不快な感情」も、意味のあるものになる。それが「創造的絶望」だ、と私は理解した。

この本では思考の負のループを「ゆううつループ」と名称している。まさに、以前私が書いた記事なんかが、「ゆううつループ」そのものだろう。
嫌なことがあっても、それを「味わい尽くして」、前に進むことができるのなら、それは意味のあることなのだと。そういう「せいちょうループ」に身をおきなさい、と。

うーむ、こうして本の要約を書き起こしていると、今までの振る舞いを切り替えなければならない、という気持ちに尚更なってきた。
「不幸な人間というのは、その実、憐憫を快楽として味わっているから不幸なのだ」というような文章が、私の記憶に強く残っているのだけど、それは太宰だったか、太宰の書評だったか。
高校生くらいから悩んでいる思考の負のループを「意味がない」とこうも言い切られてしまうと、少し可笑しい気持ちになる。

この本は文章が約半分、具体的なトレーニングについての内容が約半分といったところ。トレーニング方法を読んでみたところ、気楽にできるものもあれば、なかなか骨太な内容もある。まだ取り組んでいないものもあるから、これを書き終えたら早速やってみようと思う。

本の内容を整理してみると、その実、ものすごく目新しいものというのは少ないかもしれない。
似たような内容の文章は、すでに読んだことがある。
ただ、この本の内容は「現実的」であり、どのような状況の人でも「具体的に改善」することが出来るという点、そしてなにより改善案が「夢物語」でないことが、個人的には気に入った。

最近、私は自分の人生に疲れているので、よく本を読んでいる。せっかくだから、これを期に、感想文をあげて行こうと思う。

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