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「存外、平凡な」

芥川の「羅生門」は朗読団体Reading Notteの勉強会でも朗読講座でも、テキストとして扱って久しい。Notteでは高校生向けの『朗読シアター』で繰り返し上演した作品でもある。
慣れてしまって、ついそのまま通りすぎるのだが。

羅生門の上で死体から髪を抜く老婆に遭遇した下人は老婆を追いつめて、その行為について問いただす。(むしろ声を柔らげて尋ねる。)
「今時分、この門の上で、何をしていたのだか、それを己(おれ)に話しさえすればいいのだ。」
老婆は答える。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘(かつら)にしょうと思うたのじゃ。」
下人は老婆の答えが「存外、平凡なのに」失望する。
下人は「平凡でない」、どんな答えを期待していたのだろう。

人は誰かから傷つくようなことを言われると、酷いと思いつつも、「もっと言え」と思うことがある。
もっと酷いことを言いそうなヤツだし、むしろ言ってくれたら、ヤツはもっと悪人になり、自分の方が正当化され、同情もされる。
マゾヒスティックだけれども、こう想像することで、傷つけられる自分を守ろうとすることはないか。

「平凡でない」答え、下人の期待していた言わば「酷い」答えはー

老婆を相手に、それもかなり激しいチャンバラをやらかして問い詰めた時点では、下人の心には「あらゆる悪に対する反感」が強さを増し、「悪を憎む心」が「勢いよく燃え上がりだして」いた。
盗人になるくらいなら、饑え死にする方がマシだと思うほどの正義感に燃えていた。
だから、下人が無意識のうちに期待していた答えは、もっと「酷い」ものだったかもしれない。

たとえば「わしは死人の肉を喰ろうて生き延びているのじゃ」とか。
その期待に反して、老婆の答えは「抜いた髪を鬘にして売った金で生きている」だと⁈
(因みにこの時点では、老婆の答えに「売る」ことまでは含まれていない。)

一般的に言えば、少なくとも、この荒廃して崩壊した都では、老婆の行為は誰も責めることのできるようなものではなかったに違いない。

しかしこの平凡な答えで、下人の正義感は「冷ややかな侮蔑」へと傾き、このあとの老婆の長台詞で180度転換していく。
老婆は言う、
「わしのしていたことも悪いこととは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑え死にをするじゃて、仕方なくすることじゃわいの。…」

下人にはそれまでとは違う勇気が湧いてくる。
(饑え死にするぐらいなら、盗人になって生き延びてやる!)
「己が引剥ぎ(ひはぎ)をしようと恨むまいな。」

もし「死体を喰ろうて生きている」と言われたら、それが下人の期待通りなら、下人は正義感で老婆を斬り捨てただろうか。

「戦争のときはそんなこともあったってね。」
「犬は…今でも食べるところがあるらしいね。」
「お婆さんから剥ぎ取った着物は汚れていて、ボロボロで、臭かっただろうに…とても売れなかったはずよね。」

朗読の勉強会でのハナシは逸れながらも、楽しく深まっていった。
着物は売るつもりだったかどうか分からないが、「引剥ぎ」をして盗人になることが、下人自らが望んだ「成長」の第一歩だったのだろう。

#朗読 #羅生門 #ReadingNotte

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