繋ぎとめるということ1
朗読者として活動している。仕事だと思っている。文学作品が中心、舞台に立つことが多い。一般向けの朗読講座が1つ、指導・構成・演出・出演を伴う自団体が2つ。その他、もろもろ。
コロナの影響ですべてが止まってしまった。自団体のうちの1つはこの6月、2年に1度の本公演をすることになっていて、台本もキャスト・スタッフの体制もできあがったところだった。4つのグループに分けて本読み稽古を始め、「自粛要請」の出ている公民館を使いながらギリギリ4月11日まで活動を続けて、ストップになった。市の文化財団が主催事業を6月末まで中止したため、共催だった公演自体が来年に延期になってしまった。
さてどうするか…集まれない、稽古できないのだから、じっとしているしかない。しかし、来年は同じ材料で公演に臨まなければならない。ふだんひと月に3回程度は開いている朗読の勉強会ができないのも辛い。それぞれの課題作品の朗読を聴いて私がアドバイスしている。入ったばかりのメンバーも何人かいる。
何か続けようと思ってグループLINEを組んだ。LINEを使っていない人が何人か外れたが、メンバーと公演スタッフ合わせて26人がLINEで繋がれた。公演作品の内容について、人物像とか背景とか、衣裳や舞台イメージなどの話題、またキャストたちが担当する箇所の読みを録画や録音で上げてくれて、私からのアドバイス、演出も伝えられた。作品の「街」を素晴らしい地図にしてくれた人もいて、朗読音声と一緒にFBに載せることもできた。勉強会の課題作品も音声データで上げてくれたら意見を言います、と提言したので、何人もが読みを聴かせてくれた。
ナマの勉強会と違って細かい、実際的なアドバイスはできなかったが、よかったのは何度でも読みを聴けたこと。こちらから返す言葉もじっくり考えられたこと。文字に、文章にしてみて「いや、ちがう」と思えば書き直せた。どう書いたら理解しやすいか、誤解されにくいかも検討できた。ナマの現場では時間の制約もあって、言葉を選びそこねることもある。
だんだん公演のためのベース作りや稽古からは離れていったかもしれない。自ずと見えて来た「限界」もあった。これ以上やっても、いい方向へは進めない、現場で稽古したら一目瞭然のこと。それはZoomなどを使っても、ほぼ同じことだったと思う。
何のためにLINEで「活動」しているのかと根本を問うことはしなかった。問えば苦しくなる。LINEのやりとりで生まれたものがあれば、それはそれでいいじゃないか。限界が見えるものがあったら、それもそのまま受け入れればいい。結局、この「活動」はみんなを繋ぎとめるためのものだったのかもしれない。すべてがストップして、いわゆる「テンションが下がる」のを少しでも防ぐためのだったのかもしれない。繋ぎとめる必要などあったのか。(2へ続く)