自分の考えを周りに理解してもらうのに大事なのは、間違ってる(と自分が思ってる)事や人を頭から否定や批判する事じゃないんだよ。
基本的にSNSは必要以上に使わないように控えるようにしているのですが。
どうしても、ある人の文が読みたかったのでthreadsアカウント作ってみた。
やはりためになることが書かれていて、それを読めたことは良かった。
で。
いろいろ他の人のthreadsも見ていくにつれて、結局、開いて間もないthreadsのアカウント自体を黙って閉じることにした。
短期間であったけれど、フォローしてくださっていた人に対しては、黙ってアカウント削除して申し訳ないなと思っている。
ただ、やはり自分には向いていない世界だったのだと思う。
もちろん楽しいやり取りもあったけれど、慣れていくに従って、いろいろ出てくるのかもしれない。秩序を持って冷静に楽しく使用している人も多い中で、一部で様々な意見の相違による対立の空気も散見された。
例えば。(この類のことだけじゃないけれど実際にあった1つの例はこんな感じ)
vegan一派一絡げにして批判してるつぶやきだったり、
(まあよくある『veganは意見を押し付けてくるから嫌い』とかね。それに同調するかのようにベジ批判のコメンとが増えてたり、もう悪口になってるthreadもあった。)
逆にvegan以外の人を『監禁・虐◯されてる被害者(動物)のことをなんとも思ってない。人以外の事を何も考えてない残酷な人たち』と、これもまた極端に一派一絡げにして頭から批判するveganが現れたり。その人の年齢も職業も知らないけど。若い人なのだろうか、若しくはベジ始めて間もない人なのだろうか。SNSであっても互いを尊重する気持ちや人との距離感覚がわかっていないのだろうか。海外の一部の過激な動物愛護団体みたいだなって思う様な極端な批判の仕方。
こう言う事をいきなり初対面の人に言っちゃうからvegan批判が減らない一因にもなってるんだが…
私は批判も押し付けもしておらず、対立せず共存していく事がお互い理解を得るにはベストだと思うという旨の内容を書き込んだ途端、その文面の趣旨を読まずに批判してくる人がやはりいるわけで。
私が言いたいこととは全く違う、単語だけをピックアップして揚げ足取るかの如く、人ではないくらいの勢いで否定してくる人が出てきたり。
一人一人に対して理解してもらえるまでコメント残していく時間など到底作れないし、自分がすり減ることが予想されたし、自分を護るためにも今後のことを考えて、そのコメントにはあえて何も返信せず(何を言ってもこの手の人はヒートアップして反論し続けるのをやめないであろう事が目に浮かんだ為)黙って迷うことなくアカウント削除した。それで良かったと思っている。
私は、生きとし生ける全てを大事だと思ってる。自然も宇宙も目に見えるものも見えないものもぜーんぶまるっと。
私の場合はveganの時期もあったし、長年ovoベジだから、全部ひっくるめると20年以上ベジタリアンです。きっかけは身体を壊したことがあって内臓の負担を減らす為だった。
長い方だと思う。その分いろいろ調べたり学んだりした時間も長いので、いろんな意見があるのも知っているし、酪農家や畜農家にも様々な種類の方がいるのでそれを安易に一緒くたにすべきでもないことも知っている。(いきなり批判してきた人、ベジ歴21年を舐めんなよ〜って思う)
現在はovoベジタリアンだから、平飼いの遺伝子組み換え等の餌は与えていない、自由に動き回れる環境で大事に育てられた鶏さんたちが産んでくれた卵を感謝していただくことも時折ある。毎日ではないけれど。
でも他の生き物の命を軽んじて考えたことなど、子供の頃お肉やお魚普通に食べてた頃から一度もない。
因みに日本の歴史から言うと、周りに海があることから古来から貝や海藻類をたくさん摂取して栄養としていたことがわかる。それは遥か昔の縄文時代からなのだ。そういうヒトとしての歴史も踏まえた上で言えるのは、
日本人は元々草食だけではない。という事。縄文時代から植物性の食べ物は勿論のこと、貝も海藻も魚もイノシシや鹿などの肉を狩猟したりして食べている。地層から出て来た記録だから間違いない。そうやって日本人は生きてきた。だからこそ『(命を)いただきます🙏』の文化があると思っている。
もちろん現代における一部の利益優先の無闇な命の搾取は良くない。それは大前提として。
だからこそ、私はovoベジになった今あっても野菜だって命をいただいて生きていることには変わりないと思っているし、だからこそ大地からいただいてるエネルギーを感謝して大切にいただこうって思いながらお米一粒だってネギの髭だって大事にする。買ってきた野菜も余らせたり腐らせて廃棄することのない様に全部綺麗に使い切れるように気をつけているし。
それぞれの歴史や文化や体質やアレルギーの問題など様々の事があるから、自分の選択が万人に通用するともこれっぽっちも思っていない。興味を持って聞かれる人にはシェアするけれど、一方的にむやみにベジを勧めたりもしないようにしている。
治病中の人が食事方法で動物性のタンパク質などを積極的にとるよう医者から言われて真剣に取り組んでいたりする場合だってあり得る。
魚の栄養が日本人にはあっているのも間違いないのだ。
いろいろな情報を知った上で、何を選択していくかはそれぞれの自由であって人から指示されるべきではない。
地球の歴史で、お野菜が育たない土壌や地域に住んでいたり、気候が厳しく移動しながら暮らしている民族の人は、動物性のもの中心で命を繋いでいるたちもいて、そういった人たちは動物に命を頂いた場合も全部無駄にしないし、命の大切さを深く理解している人も多い。愛がないわけではない。
その国や地域・気候によっての食の歴史だから“肉食してる全員”が何も動物のことを考えていない人だと紐づけるのはあまりにも安易ではないだろうか。
もちろん、一部の、自由に動き回れないような環境で育てられてベルトコンベアー状態で屠殺されてる動物がいることは知っているし、そういう業者はぜひとも減って欲しいし、ホルモン剤大量に投与されてる牛さんなどがいるところは可哀想だからやめてほしいと思うし、
動物を『モノ』扱いされてるところは早くなくなって欲しいと思う。ペット業界の問題なども然り。
飽食の時代で必要以上に作られて廃棄されるようなことも減って欲しい。それは食べ物以外でもそう。
出来るだけ『プラントベースの食べ物がこれだけあって美味しいからお肉じゃない日を設けてみよう』って思う人たちやレストランやカフェがもっともっと増えてくれるといいなあとも思う。
ただ。threads等々でごく一部の人が、動物性の食事をとる人たちに対していきなり批判したり糾弾するような発言を直接目の当たりにして、
その正面衝突するような方法では、いつまで経っても非ベジの人からの理解は得られないだろうなと思ったし、ベジの私でさえ嫌悪感を持った。
頭から否定するような発言をするから、ずっと『ほら、ベジタリアンやヴィーガンの人って意見を押し付けてくるから本当に苦手』って言われ続け、要らぬ誤解や対立を産む原因を作っているように思う。
いくら自分が正しい(と思っている)ことであっても、周囲から理解を得て拡げていける人って、絶対相手を批判したり糾弾したりする様なスタートはしない。
正義を振り翳し押し付ける行為は争いの元。
誤解を恐れず言うとすれば、なにが正解で何が不正解かなんて生きてる人間の誰にもジャッジできないのだ。自分は正しいから従えと主張する人ほど全く信用ならないと思っている。
問題提起をする活動はいいと思う。ドキュメンタリー映画作って、一部の酷い現状をみてもらったり。知らない人に知ってもらうきっかけ作りとして。
プラントベースのレストランやカフェを集めてイベント組んだり。楽しく拡めていけばいい。
例えば今回、藤井風さんがスタジアムライブでプラントベースの食事ができるブースを設けてくれたり、ベジカレーをグッズとして販売してくれたりして、興味を持ってくれた人がベジメニュー作ってみたって楽しくインスタでアップしているのとかサイコーじゃん!って思った。2022年のパナスタのライブの時もベジメニューのブースはあってとても好評だった。
楽しい、ワクワクする拡めかたが1番平和で効果的なのよ。マジで。企業さんも今回プラントベースのメニューに協力してくれていた。こういうのって知るきっかけづくりには最高。
正面衝突するかの様にいきなり批判するのは、かえって批判が増える。いつまで経ってもベジ以外の人から理解が得られない、変な誤解が生まれる大きな原因のひとつになってる。
争いはもうたくさんだ。平和に、冷静にいきたい。
重たいエネルギーなど手放した方が生きやすいよ。
お互い考えが違うところがあっても穏やかに共存できる世の中であって欲しい。
久しぶりにちょっともどかしい、悲しい感情を味わった。…人間ぽいな。
でももうざわつきたくない。私は全部を包み込む様な解決の仕方をしていこうって思うし選択していくと思う。これからもずっと。
目の前の出来事に翻弄されずに、もっと穏やかに冷静に、透明な心でありたいと思う。
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