見出し画像

今、必要なこと

大変な時(いわゆるしんどい時)ほど、どこか俯瞰している自分が常に居るのを感じる様になってる。

物理的に人を頼った方が解決するものはそうしたらいいけれど、それでも自分自身の感情や思考のコントロールは自分で何とかするしかないわけで。(感情や思考を律するわけじゃなくて、いろんな場合の自分がいるってことを認めて根っこの自分が冷静に自覚しておく作業。あと、頭の中でいろいろ考えるのを一旦休ませることの大切さよ!とも思う)

いろいろ湧き上がるものは、人間だから当然あるのは仕方ない。ただ、それは一時的なもので必ず収まる。その波が来ても、とにかくそれを観察しながら凪になるのを待つ。動くのはその後から。そんな感じ。

職業・肩書き・置かれてる立場や状況・所有してるもの・身なり・年齢とかも含めて諸々のこと一切取っ払ったところで、とにかく余計なことは考えず自分自身と向き合う時間をとことん持つようになったのは、事故に遭ってからが顕著で。私にとってはその名の通り“怪我の功名”ってヤツかも知れない。
ま。事故の怪我なんかするもんじゃない、勘弁してくれと今でも思うけどさっ。(物理的に日常生活に困るし、長引くとしんどいし、とにかく痛いから。あの日、姉のところにお裾分けの梨を受け取りに行ったのが母じゃなくって本当によかったと今でも思う。因みにその立派な梨は、事故でかなり遠くまで放り投げられ、食べられない状況になった。)

ヒトってやっぱり眼に見えるものや聞こえてくるもの、起こってることに翻弄されがちだし、本来の自分自身と繋がる(向き合う)時間を意識的に作っておくことがどの年代の人たちにも本当に大事な時代だなあって思う。

私が具象的な作品を私が描かないのは、現代を生きるみんなにとって“ボォ〜っとする時間”がとにかく大事だと感じているから。頭の思考停止してボォ〜っと眺めちゃってるだけでいいんです。日常の中に少しでも超絶relax状態を作ってもらえる一助になればなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?