助っ人サードのあなたはなぜファーストまで守らなければならないのか(反語)
僕は野球のことはほとんどわからない。でもメタファーとしてその時たまたま野球を使ったのでメモ代わりにそのメタファーを書いておこうと思う。
あなたは今、サードを守っている。チームの正規メンバーではなくこの試合のために呼ばれた助っ人として。にもかかわらず、人数が少なくやむをえずセカンドはいないのである。なので、サードとファーストがお互いセカンドのあたりをカバーしつつ守備をしているという状況。
しかし、後々気付く。ファーストはファーストすら守れていない状況に。そして、そのときあなたは監督に言われるのである。ファーストをカバーしろと。ファーストを守れないファーストは前提条件として、守備が機能するようにいい感じに立ち回れと。
そんなとき、あたなはどうするだろうか。僕ならなぜやらなければならないのか、と思う。
しかし、こう返される。ファーストは弱い。仕方がない。この試合のための変えの人員はいない。この試合はどうにか乗り切ってくれ、と。次の試合にはどうにかする、と。
サードを守ってくれと言われたからイエスと言った。まぁセカンドまで守るのもまだわかった。それは人がいないからだ。試合に勝つ(負けない)ためには致し方ないという気持ちはわかる。
しかし、正規メンバーが守っているファーストまでも守るのは一体なぜなのか。ファーストをどうにかしなければ勝てないことはわかっている。ファーストの役割が必要なのはわかった。しかし、他の誰でもないあなたである必然性があるのだろうか。
どうしたら守ろうと思えるのか、僕にはわかっていない。このチームに勝利が必要なのだろうが、チームが勝利してもファーストの人が属するチームの勝利である。僕のチームではないのでそこまでこだわりはない。助っ人としてチームが勝ったというくらいのものである(嬉しくないわけではないにせよ、程度問題である)。
すると、こんな声が聞こえてくる。そんなチームを勝利へ導いた助っ人としての名声が得られると。守備範囲の広さも実力になる、と。
細かな打算はおいておいて、目の前のできることをすべて全力でやることこそ成長だと人は言うのだろうか。主張としては理解できる。それでも僕は心から納得はできないのだ。
それはなぜか。考えてみるとこんな感じなのだろう。ファーストは愚かセカンドにすら裾野を広げて守っている状況なのだ。サードを確実に塞げる確証もないのだ。セカンドとサードを卒なく守れる保証もないのに、ファーストのことに頭を使う。これは個人としてとてもリスクだし、チームとしてもリスクなはずだ。
ファーストのことを考えるあまりサードで失点した場合、汚点をかぶるのはおそらくサードだ。ファーストのせいでサードが抜けたという因果があろうとなかろうと人々はそんなところまで考えるだろうか。
一個人として単にリスクが高い。では、なぜリスクを人々は取るのか。それはひとえにそれに見合うリターンへの期待があるからではないだろうか。
果たしてリスクに見合うリターンがあるのだろうか。どうしても、圧倒的成長をぶら下げた無賃労働という名のインターンシップを強いる胡散臭さを感じる。
とりあえずどうしてこんな不思議な試合を初めてしまったのか、というそもそも論の話をしても仕方がない。試合は既に始まってしまった。
チームの中で、勝ちたいと思っているのか、どの程度強く思っているのかは人それぞれだ。それを精神論で、根性論で皆に思わせるのは愚の骨頂。それを踏まえた上で、なぜあなたはファーストを守らなければならないのか。僕にはやはりわかっていない。
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